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川口での一人暮らしは、日照不足で、うつ病悪化

父の実家は、新築に建て直した当初、売りに出そうとしていたのだけれど、そこに無理言って住まわせてもらっていた。本当は数年で出ていくという約束だった。けれど、なかなか仕事先が見つからず、また仕事をしても長続きせず、ずるずると長く住んでしまっていた。 父に責められるのも当然だと思い、結局、死んでいない自分が一番悪いのではないのか、と自分を責めるばかりだった。

だから、母の遺産も二十万くらい入ったことで、いよいよこの家から出ようと思った。出ていけば、父にも責められず、家を売りたいと思っている願いも叶うのだと思っていた。

この頃は仕事も、契約社員として行っていたので(派遣社員となんら変わらなかったけれど)、入居審査も通りやすかった。ただし、この時の仕事の時給は1050円と安く、生活的にはどうしても苦しいものとなってしまった。

母の遺産をプラスしても貯金額は七十万くらい(そこから賃貸契約で20万くらいが減った)。

選んだ物件は五万円台後半で、生活保護を受けている人も歓迎するというアパートだった。

 問題は部屋の狭さと、晴れていても陽がほとんど入ってこないこと。

運んできた家具や段ボールを全部入れると、布団を敷くスペースがかなりギリギリになてしまった。段ボールは上に積み重ねて放置状態。クローゼットもなく、内覧した時よりも、実際物を置いてみると部屋は想像以上に狭かった。

 

そして、もう一つ、実際に入ってみて悩まされたのが、陽の光がほとんど入らないことだった。

部屋は一階だったし、更に向かい側には大きなマンションが建っていた。内覧した時は夕刻で、時間帯によってはもう少し陽が入ってくるのかなと思っていた。あまりそこは気にせず契約したのだ(過去にも賃貸で一階に住んだことはあって、何も問題なかったからだ)。

けれど、陽の光がほとんど入ってこないことが、うつ病に大きな悪影響となってしまう。

仕事をしている時は日中部屋にいないからいいのだが、休みの日などは朝になっても暗いままで、なかなか起きる気分になれない。そして昼間になってもとにかく部屋全体が暗い。部屋も狭く、更に日の光が入らないと、気分も憂鬱になってしまい、体がいつも重たく感じるようになってしまった。

日照不足だと気持ちが落ち込みやすく、うつ病になりやすいというのはよく言われている。電気の灯りではダメで、日中は陽の光を浴びることがやはり大切なのだ。物件選びでは騒音問題とともに、日当たりが良いということも健康に生活するために重要なポイントになるのだと初めて知った。

とにかくそうした日中薄暗い部屋にいることによって、動くことも億劫になり、追い詰められた思いばかりが募ってきてしまい、気がおかしくなりそうだった。すでにうつ病を患っている身としてはかなり厳しかった。

 

自分の人生、何故こうも似たようなことの繰り返しなのか。思い切って行動してもネガティブな状況に陥ってしまう。しかもうつ病は、良くなってきたと思ったら、また悪化してしまう。

苦しいばかりで何も変わらない、やっぱり自殺するしかないのかといつも思ってしまっていた。

死にたい、そのネガティブな思いが、ネガティブな状況を引き寄せてしまっていたのかもしれない。

父は父で、せっかくぼくが川口に移り住んだのに、東京の家を売りに出すことはしなかった。売りたい売りたいとあれだけ脅迫に近い形で連日追い詰めてきたのに、いざ売るとなると渋り出した。

※父のこういう意見がしょっちゅう二転三転するのは、のちのち家族以外にも多大な迷惑をかけることになる。そして、本人には人に迷惑をかけている自覚がない、というのも大きな問題だった。車で物損事故を起こした時もへらへらして全く反省していなかった、ということもあった。

 

結局、川口での一人暮らしもただただ苦しいだけで、気持ちを追い詰めるだけだった。

 

 また、この頃にしていた仕事にも問題があった。

 

地図に手書きで、水道配管工事の図面を書いていくという仕事をしていた。

パソコンを使わない図面作成という珍しい仕事だ。

派遣元と契約する際、処理した件数により給料が上がる歩合制になると言われた。実際、その派遣先で一緒に働いていた別の派遣会社の人々は歩合制だった。処理件数をこなせばこなすほど給料はすごい額になっていたそうだ。派遣でも月に三十万~五十万くらいもらっていたそうだ。

一日のノルマもあった。最初の一・二ヶ月くらいは慣れるため、試用期間ということもあってノルマはなかったけれど、三か月目あたりから何百件というノルマが課され、それに達しないとその本社の社員に注意を受ける。

処理件数を伸ばすのは苦しかったけれど(本社社員の威圧感・派遣社員を見下す態度もすごかったが)、段々と目標の処理件数を達成できるようになり、更にノルマの倍を行くこともあった。一日の件数が500件以上超えることが当たり前になった。

けれど、試用期間後に歩合制になると聞いていたのに全くならなかった。ノルマを大幅に超えても給料は全く上がらなかった。他の社員と同じプレッシャーをかけられて同じことをしているのに、給料に大きな差が出ていた。

時給1050円のまま。同じこと・同じくらいの処理件数をこなしても、月に三十万円以上もらえている人に対して、ぼくは毎月十六万程度だ。

雇われている派遣元にかなりの不信感が湧いた。その派遣会社が個人経営の会社で、まだ立ち上げてからそんなに年数が経っていないということも知った。

職場の正社員の態度も気になった。いつも不機嫌で(自分は偉いんだぞという態度を常にとり)、陰でこそこそとこちら側に対して悪口を言っているのだ。

最初の頃は、処理件数が遅いから仕方ないと思っていたが、ノルマを大幅に上回っても不機嫌な対応をされる。指導役の女性上司からのセクハラまがいの行為も度々受けた。

派遣元と派遣先、両方に不信感が募りに募って、七か月目で辞めた。むしろよくこの給料の少ない中、この環境で七か月もやっていたと思う。

※ ぼくが辞めた後、三か月後くらいにその個人経営の派遣会社自体が契約打ち切りになったそうだ。

 

辞めたら辞めたで、今度は日当たりの悪い部屋で過ごす時間が長くなり、気が滅入る毎日を送った(それでも、無職の期間、自分一人で同人ゲームを作ってそれを販売し、一万円程度だが収入はあった。売れた本数はわずかで、本当に微細な収入だったが)。

薄暗い部屋の中、追い詰められた思い・焦りのみで生きていた。死んでいない自分に後悔することが多かった。

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