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「ひきこもり」は自分に厳しい人たちです

「川崎の事件が頭をよぎり・・・」

引きこもりの長男を殺害した元事務次官・熊沢英昭容疑者はそんなことを口にしていたようです。

この事をきっかけとして、「ひきこもり」に焦点が当たったわけですが、今回の件を通して当事者であった私が思う事は


「人は知らない世界の事はとにかく怖い」


ということです。「ひきこもり」の当事者と言うのは私が知っている限りごくごく普通の人です。さらに性格的傾向としては「真面目で責任感が強い」人が多いかと思います。

引きこもる「きっかけ」となる出来事は多種多様ですが、引きこもっている時に考えることというのはだいたい決まっていて


「失敗したからもう未来なんかない」「こんな自分なんかじゃ何もできない」


という様な「自己否定」の気持ちが大部分をしめると思います。一言で言ってしまえば


「自分の失敗に対してものすごく厳しい人」


という事が言えるかと思います。自分に厳しいからこそ「情けない自分」が許せず、許せないので社会に戻ることも出来ず「自分を守る」ために引きこもってしまう。それが引きこもりのスタートだと思います。


ただ、当初は自己否定だった気持ちもやがて変化する時が来ます。それは「自己防衛」のための変化だと思うのですが、


「親のせいにする」「社会のせいにする」


という様な変化です。ただ、変化と言っても完全に「誰かのせい」に心が傾くわけではなく、「自分のせいだ」という感情も入り乱れています。人は弱い生き物です。自分を責めて続けていては心が持ちません。家に引きこもっている限り「誰も自分を承認」してくれないわけで、心の安定を保つために「今の自分で良い」という肯定的な気持ちを作り出す必要があります。


つまり、反面として「誰かのせい」にするのだと思います。


これは別にひきこもりの人特有のものというわけではなく、普通に社会で生活を送られている方々でも「何かのせいにする」という事は日常的にやられているのではないでしょうか?


注意されたときに「だって・・・」という感情がわいてくることがありますよね?それがまさに「何かのせいにする」という自己防衛反応だと思います。


ひきこもりの人たちは「普通の人たち」です。決して変わった人ではありません。人一倍傷つきやすく、また自分に厳しい。そんな人たちです。


今回の事件は当事者である私からしてみるととても悲しい出来事で、親御さんも苦しんだ結果なのでしょうが、「殺す」ということが親としての責任だと考えたのだとしたらそれは「逃げ」でしかありません。もっと出来る事はありました。


「引きこもる」という行為自体は決して、恥ずかしいことではないと私は思っています。


色々な人がいるのが社会と言う場所です。


人生は長いです。苦しいことも多いです。


「ひきこもり」の人たちは少しの間、休んでいるだけです


時代に合わない性格なのかもしれません


でも決して誰かを「傷つけよう」とは思っていません


他人事だとは思わず、自分が同じ立場になってしまったら、どれだけ苦しいか


そんな風に少しでも想像してもらえたらいいなと思います。