原住民博物館入り口

大航海ロマン。台湾原住民が、ポリネシアやニュージーランドへ

台北の郊外、故宮博物院のすぐそばにある「順益台湾原住民博物館」は、台湾人口の約2%いる台湾の原住民族について、様々な資料と展示により、台湾文化の多様性を伝えてくれます。故宮を訪れた時にはちょっと足を延ばして、漢民族のものとはまた違う独特の文化に触れてみてはいかがでしょうか。展示内容の詳細については、以下のサイトからどうぞ。

今回私が訪れて興味をもったのは、台湾原住民が大海原をはるばる越えて、太平洋に拡がるポリネシア諸島、ニュージーランド、さらにはアフリカ東岸のマダガスカルまで航海をしたのではないかという、ある学説でした。

台湾原住民族がポリネシア人のルーツ?

館内での映像資料で、カナダ人大学教授のこんな学説が紹介されていました。もともと台湾の原住民族は対岸の中国本土にルーツがある、オーストロネ語を話す部族が、1万年前に海峡を越えて台湾に渡ってきたとされます。この部族の痕跡は、いまは大陸側には残っていないそうですが、渡ってきた台湾の気候や風土に順応したオーストロネ語部族は、台湾全土に拡がり、爆発的に人口も増えました。そこで、舟を作る技術や航海術にも優れていた台湾原住民たちは、さらなる新天地を求めてフィリピンからボルネオ、ニューギニア、さらには太平洋全域へと拡がっていったのではないかというのです。これは博物館での、台湾東部のタオ族が漁につかう舟です。クギを使わずに、木材の組み合わせで作られています。

台湾原住民と、ポリネシア諸島の民族との間には、いろいろな共通点があるとカナダ人教授は言います。たとえば族長を絶対とする家父長制の社会制度、また織物でいえば共通の形式の平織り機で布を織っていること、などです。こうして台湾原住民は数千年の時間をかけてハワイからイースター島、ニュージーランドまで太平洋全体に拡がり、1億7千万人のポリネシア圏のルーツとなったそうです。さらにはインド洋をこえてマダガスカルにまで達したのではないかといわれます。本当に雄大な、歴史ロマンですね。

失われつつある、台湾原住民文化

台湾原住民たちは、いまでは他の台湾の民族と文化的な同化が進み、自分たちの伝統文化に触れるのは各地に残るお祭りの際ぐらいになってしまっていると、博物館の展示にはありました。台湾政府も、原住民の民族語での芸術イベントを開くなどして、台湾固有の文化の保存に力を入れているようです。かつての日本統治時代には、日本の戦争に協力させるため原住民族を動員した高砂義勇隊の話など、日本とも関係の深かった台湾原住民族のこと、これからも折に触れて学んでいきたいと思います。


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