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蛍光ピンク色プラスティック性椅子からの眺め


はじめはいつもの電車だったのに、そのうち舟になった車内で、私は手にした本を透明なオールに替えて、こっくりこっくりと舟を漕ぐ。浅い眠り。淡い夢。今朝方見た幸福な夢の続きならば良いのに、どうしたことか夢の中の私は生の終わりの昏睡で、さめざめと泣く誰かの声を聴きながら、これでよかったと思っている。良かった、これで漸く深く眠ることが出来る、と。

がくんと揺れて舟が電車に戻り、オールが本に戻ると、目は新宿の高層ビルを捉え、耳は賑やかな中国語を迎え入れる。夢からうつつに戻ったそこは、観光客と思しき中国の人たちが吊り革に掴まる車輌だった。飛び交う言葉は南の方の癖を帯びていて、四川省あたりからはるばるやってきた方たちかもしれない。懐かしいな、と夢から覚めてようやく開いた眼を、遠い日々を見詰めるためにふたたび閉じる。

地上から生えたシャンデリアのような上海の夜を眠れずに過ごし、スーツケースと後ろ髪を引いて上海航空に搭乗した。
眠気は安心という岸があってはじめて航行できる舟だと知った。一昨日、東京で寝ずの荷造りをし、昨夜は、ホテルの冷たいシーツの上に横たわり、あみだくじのような天井の染みを夜明けまで見つめていたのに、眠たくはなかった。これから足を踏み入れる中国語漬けの生活に備えて、日本語での思索を止め中国語で思考を巡らせていたから、脳が驚いたのかもしれない。

留学にあたって、体に染み付いた日本語を拭い落とすべく、荷物とともに持っていく本は数冊にしようと決意したのは我ながら潔かったが、選ぶのは容易ではなかった。気鬱を恐れて太宰治と夏目漱石は早期に脱落をお願いし、村上春樹は思案したもののやれやれと言いながらそっと脇に除け、結局、須賀敦子の「ミラノ 霧の風景」から始まる初期作品4冊と、神谷美恵子の「人間を見つめて」、そして父からもらった谷崎潤一郎の「細雪」を、スーツケースとバッグに滑り込ませた。

眠れない頭のまま、貴陽空港に向う飛行機の中で、既にくたくたになった「細雪」をひらき、「こいさん,頼むわ。―」という冒頭の一行をしばらく眺めている。

「こいさん,頼むわ。」と私が小さな声で読み上げると、掃除担当のその女性はそれまで勢いよく前後していたモップの手を止めた。

-それはどこの言葉?

-日本語、です。

-なんだか不思議な感じ。転がっていく感じ。

-對。中国語のような四声がないのです。

 
20代前後半くらいの、パーマではなく「パーマネント」という呼び方が相応しそうな強いカールを髪の毛に施した、逞しい四肢と、アーモンドの形の目を持つ、寡黙だったはずのその人が突然話を切り出したのは、私がその留学生楼に入居して半月ほど経った頃だった。日本で北京語を学習していた私には、貴州省の人々の言葉は遠い異国の言葉に似て聞きとりづらく、話しかけられてもぽかんとして、その阿呆面ゆえに失笑される日々が続いていたが、彼女の言葉に限っては、あたりの景観を楽しみながらゆっくり湖岸を歩くような穏やかなスピードと、その足取りに似た明確な発音で、私の耳にすっぽりと収まった。

モップを壁に立てかけ、私の手にある小さな新潮文庫の言葉の海を覗き込むと、続きは?と先を読むように促す。この半月ほど、独り言も中国語で呟くようにしていた私の日本語が、懐かしい柔らかさを湛えながら彼女の耳を通過して、3階の部屋の開け放した窓をゆるやかに超えていく。


李明さんという名のその人は、当時、貴州省の某大学に雇用されていた掃除人で、両親思いの優しい一人娘でもあった。私と同い年であることが判明すると、李明さんは自動扉のようにするすると心を開き、ときには私の妹のように懐き、ときには姉のように私を諌め、容赦のない厳格な中国語の先生にもなった。

私に対しては穏やかな視線で軽口を叩く彼女も、その大学の中国人学生たちに向ける目は険しく、冷ややかだった。話を聞くほどに裕福ではなかったことの偲ばれるこれまでの人生で、大学とは足を踏み入れることの叶わない場所であったのかもしれない。しかし今や彼女は毎日大学にいる。モップとバケツを抱えた雇われ掃除人として。
私の部屋が、日本語を選択した学生の溜まり場になっていくのを彼女は快く思わなかった。以前は、あなたの部屋は掃除が要らないくらいいつも綺麗だ、と一つ覚えの呑気なオウムのように同じ台詞を繰り返していたが、学生が来るとゴミもやって来る、と時には毒づきながらモップをかける手に力を込めるのだった。

李明さんと話すのは、彼女が私の部屋を掃除をするあいだの5分ほどだった。その土地の話や彼女の故郷の話、彼女の問いに答える形での日本の話などを毎日ほそぼそと交わしているうちに、それらはいつしか絹の縦糸と横糸になって、この世に一枚だけの美しい布を織り上げる。その艶やかさに彼女は勇気づけられたのだろう。帰国まで残すところあとひと月となったある日、李明さんは私を一泊二日の予定で田舎の実家に誘った。

大学の門の前に現れた彼女は、いつもの鼠色のズボンの代わりに水玉模様のジャンパースカートを身に付け、パーマが落ちて伸びるに任せた髪を綺麗に編んで背中に垂らして、見るからにめかし込んでいた。ピンクの口紅まで塗っているではないかと、驚きながら私はかさついた自分の唇を指でそっと撫でる。
そんな戸惑いなど一顧だにせず、小さな旅かばんを私の手から奪い取ると、李さんは胸を張って市場の中通りを歩いていく。私は寝癖のついた髪や、皺のよったスカートを撫で付けたり伸ばしたりしながら、慌てて彼女を追う。

田舎から都会に出て働いている彼女が、外国の友人を連れて故郷に帰るその高揚を私はよくわかっていなかった。バスの中では甲斐甲斐しく私の世話を焼き、降車のときは手をとって恭しく誘い、駅に向かう足取りは意気揚々としている。
ただ、軽やかな旋律は長く続かない。駅の改札付近で、李さんは手にした財布を二つに裂けるほど開いてお金を数え始める。どうしたの?と訊くとお金を落としたかもしれないと、説明が終わらぬうちに泣いている。泣き始めるともう探している。最初は腰を折り、そのうち四つん這いになって、最後は涙を拭いながら辺りを小走りに走って。

結局彼女の財布はいくぶん軽くなったまま、私たちは彼女の実家に向かう電車に乗り込んだ。先ほどの弾けるような笑顔はどこへやら、水の涸れた紫陽花のように萎れきって、硬い座席でくたりとしている。

夕方到着した駅で、私たちは20人ほどの人々に迎えられた。家族と親戚の近所の人と、たぶん野次馬。走り出した誰かの車の、埃で汚れた窓から眺める外の景色は青い闇に溶けかけていて、暗い街灯の向こうで金色に輝く人家の灯りがしみじみ温かい。


6月30日の夜は、香港返還前夜で、小さな地方の町でも祝賀ムードが漂っていた。彼女の家は国営住宅の2階部分で、お勝手口のようなささやかな玄関を抜けると長細い台所があり、質素なダイニングルームが隣接していて、奥には両親のベッドが部屋の全てを占拠している小さな寝室がひとつあった。
人の良さそうなご両親と、他称いとこ、自称知人が、部屋を案内する李明さんと案内される私のあとをブレーメンの音楽隊宜しくぞろぞろとついてくる。

人が変わったように喋り続ける彼女の隣で、私は餃子を包む作業を手伝った。湖畔を歩くようないつもの彼女の中国語は、大漁で港に帰った漁船のように勇ましい。
椅子を抱えてやってきた近所の人たちも交えた賑やかな夕食が終わると、たちまち食卓は隅に追いやられ、棚の上の小さなテレビが李明さんの手でつけられた。そして、瞬く間に床に大小さまざまな椅子が並べられて、小さな蛍光ピンク色プラスティック性の椅子が私にあてがわれた。

画面の中の香港は降り頻る雨だった。返還式典の中継に、一同、身を乗り出す。チャールズ皇太子が香港植民地について謝罪ひとつしないと、申し合わせたように腕組みをして憤り、香港特別行政区成立宣言が読み上げられると、一斉に立ち上がって手を叩く。
パッテン総督とチャールズ皇太子が湾仔から去って雨脚がいっそう強くなっていく。テレビカメラが捉える土砂降りの雨を見詰めながら、そろそろ人民解放軍が香港を突き進んでいくんだ、と色めき立つ。年越しを思わせる常ならぬ空気がその部屋を包み込み、誰ひとりとして帰ろうとしない。ただ一人、李明さんだけは卓上の食器を片付けたり、何かを抱えて出入りを繰り返し、特別な空気の外側にいる。

軍の香港入場が7月1日の朝になることが分かると、まず近所の人たちが席を立ち、親戚たちも重い腰を上げて帰途につく。
私はなおも蛍光ピンクの小さな椅子で脚の折り畳み方に苦労しながら座っていると、李明さんが手招きをし、私を隣室に招き入れる。

─今夜はここで眠ってね。私はダイニングにいる。何かあったら声をかけて。

ご両親は?と尋ねると、

─親戚のうち。たっぷり眠ってほしいからここをあなたに提供したいと両親が言ったの。気にしないで。ゆっくりしてね。

手を伸ばせば壁に手が届くような小さな部屋のダブルベッドで、私は身と心の置き所に悩んだ。老いたら両親を夜半に追い出してしまったという戸惑い。その鈍色の感情に耐えかねて窓辺に立つと、テレビを見ているのか、それとも宴を楽しんでいるのか、見渡す限りの窓という窓はあまねく金色に燃えている。

ダイニングから光が漏れる。窓から離れ、決して細くない隙間から光の源を覗き込むと、李明さんが私から譲り受けた「細雪」を膝に乗せ、蛍光ピンクの椅子に座り、ついていないテレビに顔を向けている。穏やかな横顔を、図らずも私に晒しながら。

私は彼女の横顔を飽かず見詰める。憧れの大学で出会った外国の友だちを実家に誘い、飛びきりのご馳走でもてなし、国家一斉一代の式典を観賞させ、清潔な寝室を明け渡してゆっくり眠らせたという、個人的には香港返還を凌駕するような一連の大仕事を筒がなく済ませた人の、深い満足がそこにはあった。

ここからは創作だ ─ やがて彼女は居眠りを始める。ゆうら、ゆうらと体を前後に揺らしながら、膝の「細雪」をオールに換えて、明るい夢の方角に、光る舳先を向ける。

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