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062.どんどん時流から置いていかれて平気な心の話

英語が苦手なことは前に書いたが、英語の授業で「out of fashion =流行遅れ」と習ったのはよく覚えている。何が流行りで、何がダサいのかの感覚が研ぎ澄まされていた高校生の頃だ。私服通学であったので、毎朝何を着ていくか悩んでチョット遅刻を繰り返していたアホ生徒であった。

それからウン十年、アホ生徒は少し賢くなって、スティーブ・ジョブズよろしく、ほぼスタイルを決めて、着るものに迷わずに生活できるようになった。これだと「制服でええやん」と思われがちだけど、自分の好みや体型に合ったスタンダードを探して、自分のスタイルを確立することに意義があるのだと思う。

それが少し危うくなり始めたのは、愛用していたタイツが販売中止になった頃なのかと思う。(ライセンスを受けてるだけで、日本のメーカーが作っているのだと思うけど)カルバンクラインのタイツの厚さや伸び具合、ウエストゴムの感じや履き心地など気に入って、毎年同じものを5足買って愛用していたのが、ある年突然、店頭からなくなった。ずっとあると思っていたものが突然なくなって困惑したし、不自由した。現在は試行錯誤と予算の関係で福助「満足」を定番にしている。

お気に入りのタイツがない世界を生きる。

表参道のFENDIの前辺りで、TVで見るのと同じ黒スーツに白シャツスタイルのエレカシ宮本さんとすれ違ったことがある。音楽雑誌で読んだのだと思うけど、宮本さんが気に入っている白シャツが廃番になった時のために、買い溜めしていると発言されていたのを思い出して、自分のスタイルを守るのも難しいな、と思ったのだった。

それから10年ほど経った頃、私が服をよく買っていたTSUMORI CHISATOの販売終了の発表があり衝撃を受け、そしてまたよく買っていたtricot COMME des GARCONSもブランド名が「タオ」に変わり、「COMME des GARCONS」とついてない方がブランドにとって良いことと判断されてしまったことに言葉を失った。ついでに普段着としてよく買っていたメルシーボークーもコロナで終焉を迎えた。この数年は節約生活でそんなに良い顧客ではなかったけれど、自分内主力ブランドの撤退と改名は、「アンタ、out of fashionやで」と突きつけられたようで、寂しく思った。

我々世代が盛り上げていたブランドが、我々が老後を見越して節約生活に入ったために廃れてしまっただけなので、仕方のないことだわな、と諦め、そのまま忘れていた。
「何も買わずに、あるもので暮らす」無職の暮らしで、つい先日、とうとう愛用していたソフィーナAUBEのアイシャドウがほぼなくなってしまった。こんなに最後まで化粧品を使うのは初めてw この後は、化粧ナシにするかプチプラコスメに変えようか悩み抜いて、安物買いの銭失いになるよりいいかもと、AUBE継続を決心し、最安値を確認するためネット検索したら、AUBEシリーズも今年の8月で生産終了とのことであった。
なんだか「そして誰もいなくなった」感。

TSUMORIの生産終了のニュースは寂しく聞いたけど、だんだん面白くなってきて、そうか、そうくるか〜という気分。買いたいものがなくなったら誘惑が減っていいやん。それに若い人に人気の元気のあるブランドも次々出てくるだろうし、それを(買わずに)鑑賞させてもらって楽しんだらいいやん、戻ってこないものを悲しんでも仕方のないことだわな、という心境に達しました。
モノだけでなく、道徳的価値観の変化に伴って、池波先生の本をスッと読めなくなる日が来るかもしれないし、道徳観の歴史を味わって楽しめるかもしれない。流れに身を任せるのみである。

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