見出し画像

島田市に根付いた母のブティック!私が母の洋品店を継いで引越しを決めるまで

生まれも育ちも静岡県島田市の私。父は左官屋、母は服屋。実家は28坪の小さい木造2階屋でした。2階建てといっても、1階は母が運営していたブティック「高木商店」の店舗で、ミセスのおしゃれ着でいっぱい。生活スペースは2階のみのぎゅうぎゅう詰めでした。

狭いお店にも関わらず、母の人柄か、いつもたくさんの人が寄り集まっていて賑わいのある家でした。島田市中央町の「髙木商店」と言えば、タクシーの運転手さんも「あそこね!」とすぐに分かってくれるお店だったんですよ。

開店時の賑わい。ヘッダーは母、こちらは私と子供。
「高木商店」店内の様子。

そんな実家で育った私。上京して都内で生活するも、この実家にまた戻ってくることになるのです。
島田高校を卒業してから上京し、代々木の文化服装学院に入学。ひょんなことからモデルになってランウエイを歩いたり、ひょんなことから出版社でDTPにどっぷりハマったり。その間に結婚、子育てと東京での30年余りは充実感に満ちた日々でした。

実家では80歳を超えた母が張り切ってブティックを運営していました。帰郷した私は当分の間リモートワークでDTP業を続けていましたが、そんな母を見て自然とこう思うようになりました。

店を継いで、両親に安心して暮らしてもらいたい──

商売上手で人気者の母に比べて、引っ込み思案でシャイな私。モデルとして人前に出ていたこともあるけど、根っこの性格は変わりません。でもここは見習わないと!勇気を出して母に言いました。

文化服装学院で勉強させて貰ったし、オシャレ大好きだし、あなたの娘じゃん。これからはお店は任せて!」と。

母は大喜び。後継2代目も決まってめでたしめでたし……と喜んでいる間もなく問題発生です。
カナダに留学している子供たちが卒業して帰国する日が迫っています。老夫婦2人でさえ手狭な家に、私が帰ってきて、さらに子供たち2人が増えたら、大人5人?……ムリムリムリムリ!

さあ、ここからが家探しのスタートです。急がなきゃ!

次のnoteでは本通7丁目の家と出会うまでのお話をできたらな、と思っています。
ちなみに、実家での田んぼを眺めながらのデザイン作業はストレスフリーで、集中力が高まりました。夜はカエルの声に癒されレイアウトが冴える!鈴虫に聞き惚れてのDTP編集もオツなものでした。島田でのワーケーション、とてもおすすめですよ!
(東京の出版社とのやり取りだったのですが、もう20年以上も前のことなので、今思うとかなり先駆けたリモートワークでした。理解をしめしてくれた出版社にも改めて感謝です。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?