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中国での終わりを考えた時

 2018年に中国での事業を譲渡して帰国しました。頑固マグロおやじの店「天家」を中心とした飲食ビジネスを15年間展開しました。

 中国でのビジネスを辞めた理由は、「昔ほど商いに勢いがなくなった。」「しんどい中国ビジネスから逃げ出した。」など枚挙にいとまがありませんが、一番の理由は「単純に疲れたから。」であるように思います。

 上海で頑固マグロおやじの店「天家」を創業した私は30歳、無一文でした。それからの15年間は、まさに人生を賭けて「天家」に取り組んできたつもりです。その想いのこもった事業をやめようと思った時のことは、比較的はっきりと覚えています。今回はそのことについて書いてみようと思います。

 頑固マグロおやじの店「天家」は、マグロが大好きなわたしが中国の創業メンバーと見よう見まねではじめた商いです。創業時、私は飲食未経験でした。ただ不安はまったくなく、あるのは大きな野望だけでした。

 オープン準備時には、いろいろな方から「飲食はそんなにあまくはない。」「未経験で大丈夫なのか。」等多くの意見を頂きました。その度に私は内外にこう宣言しました。「玄人とは、経験を積んだ素人のことである。未経験であることは、なんらハンディキャップにはならない。」そうです。これこそが我々が掲げる企業スピリッツでした。しかしそのスピリッツの旗頭である私が、中国で商いをするうちに変わってしまったのです。

 「天家」が10店舗目の出店に近づくころから、私は日本の飲食企業と多く提携していくようになります。実際日本の会社と協力して、とんかつ店・鉄板焼き店・高級寿司店を出店しました。中国役員の多くは反対でしたが、粘り強く説得して推進しました。そして上海焼肉ブームに乗り遅れてはならないと日本の焼肉企業と提携を進めているときに、私を猛省させ終わりを感じさせる出来事がありました。

 提携に反対する役員から「どうして多額のロイヤリティを払ってまで提携する必要があるのか?」と質問された私は「焼肉未経験の私たちには必要な費用だ。」と答えました。その会議で「天家は未経験から立ち上げた。それがわれわれのスピリッツであるし、そうやって成長してきた。新しい業態に挑戦するならば、そのスピリッツを持って自社で業態開発をするべきだ。」とまくしたてられました。

 ハッとしました。私自身が創業当時とはまったく違う考えをするようになっていたのです。悪く言えば自分の会社をまったく信用していなかったのです。自社で業態開発なんてできっこない、他社に頼るべきだと考えるようになっていたのです。どうしてそうなったのかは自分でも分かりません。それが良いのか悪いのかも分かりません。ただ私がまったく別の考え方をするようになった。これは間違いのない事実です。痛烈に終わりを意識しました。もう疲れきっていました。

 常に居心地の悪さを感じていた上海での社長業。これは自社や仲間の力を信用しきれていない自分自身が招いた結果なのかもしれません。中国ビジネスなんて勇ましいことを言ってもこの程度です。結果には後悔しかありません。今考えれば、本気であったのかも疑わしいです。

 この情けない気持ちが「鮪のシマハラ」創業の起爆剤になっています。今度こそビジネスや自分自身と本気で向き合いたいと思っています。いや、やります。45歳から「鮪のシマハラ」に本気で取り組みます。「もう逃げない。」これが最後なのです。

 それでも未熟な私はこれからも多くの道に迷うでしょう。考えが変わっていくかもしれません。ただ今回の私にはマグロがあります。迷ったらマグロに立ち返ります。「マグロで飲食業界を変えていく。」そんな気持ちで、仲間たちとまったく新しい組織や価値観を生み出していきます。おっさんには本気になる理由や逃げない訳がある。そう奮い立たせて今日も店舗に向かいます。









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