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就活生ライター、『経営者の孤独。』を読む。

『経営者の孤独。』という、いい本がある。

Webマガジン「BAMP」での連載が書籍化されたもので、新規インタビューも2本収録されている。

自分自身BAMPで書かせてもらうこともある身だし(これこれ)、見知った人が何人もこの企画のために動いていたから、読まない理由はなかった。

けれど仮にそういうバックグラウンドが一切なかったとしても、僕はこの連載を好きになっていただろうなと思う。

経営者は「人間」である

僕はいま就活を始めつつある。あらゆる企業には「経営者」がいるわけだけど、こっちからすると、なんだか別世界の人みたいだ。

だから「人」としての経営者の声を聞けるのは、なんというか、安心する。半ばバトルサイボーグと化しているように見えても、自分と同じように悩んだり言葉に詰まったりする一人の人間なんだな……という当たり前の事実にちゃんと思い至ることができる。

就活って、どうしても「企業という敵に学生が挑む!」みたいな意識になりがちでしょう。でも本当は「敵」なんていないわけだ。理想論的に過ぎるかもしれないけれど。

経営者の言葉を浴びる

経営者とは「リスクをとり続ける人」。瞬間ごとに判断力を試される人。

僕の言葉で言うならば、心を燃やせる「何か」に、自分の人生を全額ベットしようかという人。覚悟というヨロイで全身武装した狂気のソルジャー。

そんな人たちの言葉が軽いはずがない。ゆえに浴びる甲斐がある。ゆえに勉強にもなる。

この本を読んでいると、ぼんやりした学生身分に甘んじる自分を顧みざるを得ない。彼我の差に感服し、納得し、ちょっと絶望する。

Webライターの活動を始めた1年前からこんな歯がゆさはずっとあって、取材相手の多くは「ガチでやってる大人」だ。彼らの真のすごさを飲み込むためには、せめて「社会」という同じ土俵に立たないといけないんだろうな、と思う。

その意味では、社会人としてやっていくのが楽しみにもなってくる。(ただし同じくらい不安であり憂鬱である。)

最強の軸、「孤独」

経験の浅い僕がライターを語るのはおこがましいけれど、ライターの仕事において「ライト(=書く)」は最重要ではない気がしている。

自分が「ライト」したものは編集の人に調整してもらえるし、信頼できる何人かのチェックを経て世に出る。「まずい文章を書いたらゲームオーバー」なんてことは絶対ない。

それよりは「インタビュー」に本質があるんじゃなかろうか。その場でいい言葉を引き出せなければ、ほとんどゲームオーバーに近いから。

こちらが通り一遍の質問や相槌しか繰り出せなかったら、相手だって、他のメディアでの発言と何ら変わらないフツーの言葉をくれるだけだろう。

……そんなフツーなものを、こんなに豊穣なWebの海へ、新たに放り込む意味があるんだろうか。

(かく言う自分自身は、自ら舵をとって完璧にこなせたインタビューなんてまだ一度もないような気がする。)

だから『経営者の孤独。』はいいな、と思った。

「孤独」という普遍的で強いテーマが、全編をザクッと串刺しにしている。誰にとっても身近で、誰にとっても怖い言葉。

この最強の軸がインタビューの前提を盤石にしている。柿次郎さんのセンスに恐れ入る。

そして何より、著者の土門蘭さんの手腕。お会いしたことはないけれど、きっとインタビューでもライティングでも、深淵から涌き出づるような「何か」を持つ方なんだろう、と伝わってくる。

漱石と百年の孤独

いきなり自分の領域に引き付けて恐縮だけど、夏目漱石の小説も「孤独」がテーマだ、とよく言われる。

最初から一人でいる孤独、ではなく、「人とつながろうとしてつながれない孤独」。漱石はそんなディスコミュニケーションを描き出す。

『吾輩は猫である』の猫は人間に言葉をわかってもらえない。『坊っちゃん』の主人公は暴言を吐き、屈折と反発の殻に閉じこもる。『三四郎』の主人公は“ストレイシープ”の意味がわからず、『こころ』の登場人物たちの心は徹底的にすれ違う。

「孤独とは何か?」という問いは、どうやら漱石の時代から百年経っても答えが出ないらしい。

そんな尽きせぬ泉だからこそ、『経営者の孤独。』を味わうことはいい体験になったんじゃないかな、と思っている。

……以上、頼まれもしないのに書き散らした感想でした。こんな風に自分の好きなものをもっと気軽にレコメンドしていきたいんですけど、筆不精が祟る。ほんとは10分で5000万字書きたいですよね。

それでは。


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