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幻とのつきあい方

三つ単語のお題を貰って書いた短い話

「りんご」「森」「部屋」

あれはわたしが人生で一番泣いた日だった。

おじいちゃんが死んだ日だった。大好きなおじいちゃんだった。おじいちゃんは空手の先生だった。強くて、厳しくて、でも、とびきり優しくて、自慢のおじいちゃんだった。

おじいちゃんは病院で最期を迎えるのを嫌がった。お医者さんの反対を押し切り、病院を飛び出して、家で最期の時間を過ごした。

おじいちゃんが亡くなってしまう最期の日。わたしはおじいちゃんの側にずっとつきっきりでいた。すると、ほぼ意識の無いおじいちゃんが、わたしの手を握ってぽつりと呟いた。

「おじいちゃんがな、子供の頃に裏山で育てた、りんごの木を見せたかったなあ」

それがおじいちゃんの最期の言葉だった。おじいちゃんが息を引きとると、みんなが一斉に咽び泣いて悲しみに暮れた。みんなが俯いて、泣きすすって、誰一人おじいちゃんの側から離れなかった。わたしも悲しくて、おじいちゃんにずっと泣きついていたかった。だけど、わたしの足は何だか勝手に動き出して、わたしは玄関を飛び出して、走り出していた。

「まさみ!何処行くの!」

お母さんのコンパスの針みたいに尖った声が、わたしの背中に突き刺さって、通り抜けて、辺りに響き渡った。しかし、その声もどんどん小さくなって、消えていった。

気づいたらわたしは森の中にいた。どうやってここまで来たのだろうか。わたしは迷いもなく、駆け出した足を止めることもなく、生い茂った木々をかわしながら、森の奥へ奥へと走り進んでいった。もう此処が何処なのかわからなかったが、不思議と怖い気持ちは浮かばなかった。

「はやくはやくこっちへおいでよ」

遠くの方で麦わら帽子を被った男の子がわたしを呼んでいた。男の子は大きく手を振ってわたしを呼んでいた。あの子は誰なんだろう。手を振る際、麦わら帽子のつばで隠れた顔が時々垣間見えたが、まったく見覚えがなかった。だけど、わたしはこの男の子に会いに此処まで走ってきたのではないのかと思った。

男の子は急に走り出した。わたしはあの男の子が走る先に行かなければならないんだ。って必死になって追いかけた。男の子は長い坂道の上で笑って手を振っていた。そして、わたしが膝に手をついて息を吐いている間に、姿を消していた。

「待ってよ」って、わたしは急いで坂道を駆け上った。しかし、男の子姿はどこにも見当たらなかった。だけど、真っ赤に煌めく大きな光が目に突き刺さった。それは大きく立派に育ったりんごの木だった。折れてしまうんじゃないか。と心配になるほどしなった枝には無数の真っ赤なりんごがなっていた。つやつやのりんごの実は太陽の光を反射して宝石みたいに光っていた。

「凄い!おじいちゃん!凄すぎるよ!」

この木はおじいちゃんが育てたりんごの木に違いない。わたしは空に向かって叫んだ。おじいちゃんに聞こえるように。

わたしはなんだかたまらなくなって、りんごの木に抱きついていた。わたしがりんごの木に抱きついているのに、わたしがりんごの木に抱きかかえられているような気がした。

「痛いっ!」

わたしが頭を手でおさえると、大きなりんごが地面に弾んで落ちるのが見えた。

わたしの脳天に特大のりんごの実が落ちてきたのだ。

「もう、何なのよ」

わたしがりんごの木を見上げて頬を膨らませると「ごめんね」と声が返ってきた。

「誰っ!」

先ほどの麦わら帽子の男の子が悪戯したんじゃないだろうか。と辺りを見回したけど、誰もいなかった。

「ちがうよ。ここだよ。ここ!ここ!りんごを見て!」

わたしは恐る恐るわたしの脳天を直撃したりんごを手に取ると、りんごのへたの方がぱかっと開いた。

「みつけてくれてありがとう」

りんごの中でりんごの種より小さくて、光り輝き続ける妖精の登場と、予期せぬ感謝の言葉にわたしは言葉を失った。妖精はりんごの中に部屋を作って住んでいた。わたしは目を丸々として、どうにかこの状況を理解しようと頭をフル回転させたが、胸がどきどきするだけで、なんなのよ、もう。と悶えた。

「きみのおじいちゃんがぼくたちの居場所を作ってくれたんだ。感謝してもしきれないよ」

「やっぱりこの木はわたしのおじいちゃんが育てたりんごの木なんだ!」

「そうさ。きみのおじいちゃんがこんな美味しいりんごが成る木を育ててくれたおかげで、ぼくたちは一生食べ物に困ることも無いステキな部屋を持つことができたんだ。食べれる部屋なんてお洒落で最高さ。みんな!そうだろう?」

妖精がそう問いかけると、りんごの実が枝からぼたぼた大量に落ちてきた。それらのりんごは同時にぱかりと開いて、中から妖精たちがいっせいに顔を出してわたしに言った。

「ありがとうございました!」

わたしは何にもしていなかった。おじいちゃんがすごいだけだった。わたしは感謝される所以も何もないのに、心の底から涙がぎゅるぎゅるせり上がってきて、目からぼろぼろこぼれ落ちた。

わたしの目の前に落ちた大量のりんごがころころと転がり出した。そして、それらは「ありがとう」という文字を作って、わたしの視覚と聴覚の両方にこれでもかといわんばかりに感謝の意を伝えてきて、わたしの心を揺さぶった。

「そのありがとうはおじいちゃんに言ってよ」

わたしが溢れる涙を手でぬぐっていると、ドーン!という衝撃音が辺りの木々の葉を揺らした。そして、ぼたぼたと大量のりんごが落ちてきた。まだ何かあるのだろうか。まだわたしを泣かせるつもりなの。と目に溜まりきった涙を指で弾くと、目の前で大熊がりんごを貪り食っていた。大熊の口からは頑丈そうな歯でごりごり何かを噛み砕く音と、妖精たちの悲鳴が交ざって聞こえた。大熊はりんごを口いっぱいに詰め込んだが、まだ腹を満たすには足りないようで、りんごの木に体当たりをした。ドーン!またぼたぼたと大量のりんごが落下した。大熊は手当たり次第にりんごを口に運んでいった。その度に妖精たちの絶叫が響き渡り、わたしの鼓膜に突き刺さった。おじいちゃん助けて!でも、おじいちゃんはもういない。大熊とふと目が合った。大熊がわたしに向かってきた。もうやるしかない。わたしは覚悟を決めた。おじいちゃん。わたし、今日という日の為におじいちゃんから空手を習ってきたのかもしれない。わたしは渾身の力を込めて正拳突きを大熊の腹のど真ん中に打ち込んだ。バキィ!木々をすり抜けて音が鳴った。大熊の腹があまりにも硬くて、わたしの手首が簡単に骨折した音だった。わたしは痛みで膝から崩れ落ちた。おじいちゃん、わたしもすぐおじいちゃんのとこに行くみたいだよ。でも、最期に本当に綺麗な思い出残せたよ。ありがとう。ってわたしは死を覚悟したら、大熊が腹を抑えてドスムと倒れてもんどりうって苦しんで痙攣していた。そして、目を白黒させた大熊のぱくついた口から妖精たちがわーっと飛び出してきた。

「あんなにあのりんごを食べたらこうなるに決まっているのに。あれはぼくたちしか食べられないりんごなんだから」

「あなたたち、大熊に食べられて、あんなに悲鳴あげてたのに大丈夫なの?」

「あれはこんなにりんごを食べたら駄目だよ。酷いことになってしまうよ。っていう意味での悲鳴さ」

妖精たちは大熊の腹に集まって、みんなでお腹をさすっていた。すると、ぎゅるるるるると大熊の腹は大ボリュームで鳴って、妖精たちの「危ないよー!」という声と同時に大熊の尻から大量の糞が噴出された。それはいつまで経っても止まることなく垂れ続けて、裏山の木々を押し倒し、糞なだれとなって、わたしの住む町を糞まみれにした。わたしは泣きながら大熊の腹を何度も何度も殴った。しかし、糞が止まることはなかった。


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