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保活の終了と、終わって感じる保活のコドク

3歳の息子と0歳の娘を持つハハです。保活を終えて、4月から下の娘が認可保育園に通い始めました。

ふりかえってみれば、保活はかれこれ3年。「安心して子供を保育園に預け親が働く」という単純なことに、どれほどに、ふり回されたことか。

海外から日本への転職が決まり、東京に引っ越してきたのは2015年のこと。そのとき、息子は8か月。

「時間を通勤に使うくらいなら、早く家に帰って子供とすごしたい」と、会社と同じ区に引っ越すことにしました。保育園は、まず日本に引っ越してから考えよう、と。

その時は、東京の保育園事情を甘く見ていました。

引っ越したのは、湾岸高層マンションがひしめく中央区。30代共働き+小さな子供という、同じようなプロファイルの家族が乱入する地区でした。当然、保育園の供給が追いついているはずもありません。待機児童が増え続けていたことも、当時は把握していませんでした。

海外も含めて勉強・仕事をしてきた私に合わせて、夫はフリーランスという仕事の形態を選んでいました。家族がずっと一緒の場所ですごせているのは、そんな柔軟な仕事形態を選んでくれた、彼のお陰。

フリーランスは、家族のハッピーを実現する、1つの働き方。ところが、そんな働き方を否定するような、認可保育園のやっかいな選考基準にぶちあたります。

認可保育園の選考では、「指数」で家庭の保育の必要性を順番づけします。同じ公共サービスなのにおかしな話ですが、指数の考え方は自治体によってバラバラ。

そんな中、フリーランスが会社員と同じ時間働いていても、指数が低くなる自治体が、結構まだまだ存在しているのです。「会社員で外勤の方が、子供は保育できないよね」「フリーランスは自由だし自宅で働くから、子供はみれるよね」という考え方が、差別の根底にあるのでしょう。

「フリー」という言葉がそうさせているのか、何なのか。子供を見ながら自宅で働き続けるということを実際にやってみた人には、決して思いつかない考え方です。

中央区も、フリーランス(=居宅内労働)の指数を低く設定しています。外勤フルタイム会社員夫婦の家族が40点満点の指数をもらう中、うちは1点低い。保育園供給が追い付いていない中、当然のことながら、39点の私たちは、不承諾通知を受け取ることになりました。

でも、夫婦どちらかが仕事を辞めるわけにはいかない。フリーランスこそ、一旦仕事量をセーブしたら、復帰したからって急に契約を元に戻すことは難しい。

結局、私たちは約2年間、無認可保育園とベビーシッターで食つなぐことになりました。ベビーシッターは、月20万円を超えたときもあります。

働くために保育が必要なのに、保育のために働いているような、本当によくわからない状態に陥っていました。

そしてわかった、2人目の妊娠。

もう2度と、保育園で苦しむことはしまい!と、認可保育園に入りやすい区を調べに調べ、引っ越しを決断しました。

家族構成や働き方によって、指数的に有利となる区は違ってきます。私たちは、認可に在籍している・いないに関わらず、兄姉がいることに加点をくれ、フリーランスを差別しない区を探しました。そして、私たち家庭の事情に最も有利であろうと選んだのは、文京区です。

もちろん、選考指数が見直されることもある。引っ越しは賭けでした。指数が示される平成30年度の保育園案内が公表されるまで、本当にヒヤヒヤでした。

幸いにも、私たちに関係する指数は変わらず。娘は無事、4月から希望した保育園に入れたのでした。

正直、引っ越しまでして手に入れた承諾通知を開いた瞬間は、安堵と同時に、むなしさがジワジワとわいてきました。「安心して子供を保育園に預け親が働く」という単純なことを、ここまでしてやらなければ、手に入れられないのが日本なのか、と。

他の多くの「活」と比べ、保活というのは、家族ごとのコドクな闘いだなぁと感じます。だから、余計しんどい。

まず、保活の当事者でなければ、保育園問題は遠くのこと。「保育園不足が・・・」「少子化が・・・」なんて言われても、すぐ実生活に影響してくることではないから、身近に感じられない。

一方、保活の当事者は、保活の最中、良い情報は周囲にシェアしたくない、という思いにかられます。自分の子供を入れたい園への競争を生み出したくないからです。

例えば、保育園見学に行った時の、ママパパたちとの微妙な距離感。彼らは、どこの保育園を希望するんだろう?どっちの方が有利な家族?「あちらの保育園の方が良いよ」という雑談。自分が入りたい保育園の競争を減らすために、嘘を言っていたりして・・・?

ネット上で保育園の具体的な評判や情報が限られるのも、これが大きい原因なのではないか?と思ってしまう。

本当は、同じ思いと悩みを抱える、仲間同士のはずなのに。

そんなコドクな保活の末、保育園に入れることが決まった途端、保活をやっていた本人だって、保活問題は他人事になってしまうのです。私は大丈夫だったから一安心、まぁ、あとは頑張ってね・・・、と。

社会では保活当事者とそうでない人が分断し、保活中は隣のパパママ達と分断し、そして保育園に入れたら、入れなかった家族と分断する。保育園問題が共感や共闘を生みにくいのは、保活における、これらの独特かつ複雑な分断によるものかもしれない・・・?と感じます。

そんな分断に抗ってみたくて、むなしい保活を経験する人を少しでも減らしたくて、「保育園をつくろうプロジェクト」に参画することにしました。

息子と娘が大きくなる頃には、保活なんていう言葉自体、なくなっていればいいのにな。そのために、ちょっとでも変化を起こしたいです。


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