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臨時通路を抜けて

 長崎駅周辺は今、『100年に一度の大改革』の最中で、写真のような臨時通路や柵や幕や衝立や、そんなものだらけだ。
 いつもは極力、その辺りを避けて、“工事中ではない”道や場所を通るようにしているのだが、今日は久しぶりにこの臨時通路を歩いた。
 この道を避けるのは『大改革』を否定しているからではなく、単に歩き慣れない道なので、なんとなく、避けてしまうのだ。

 今日(1/21)は出島メッセでの講演会の帰りにここを抜けてバスに乗った。
 芥川賞作家・平野啓一郎さんの講演会は『核なき世界の想像/創造』というタイトルで、PCU-NC(※1)とRECNA(※2)の創立10周年記念特別講演として行われた。
 講演会に行く前に、もし質疑応答の時間があったら、思い切って、手を挙げてみようか⁈と、考えていた。講演会などほとんど参加したことがないのに無謀にも。
 『「核抑止論」を論破して「核抑止力」を打ち負かすには、どうしたらいいですか?』
 今から40年ほど前、大学の平和学の短期講座で、核抑止力の頑強さと核抑止論の鉄壁さを期間の9割を使って述べた後、最後に、教授が言った、『私は、この鉄壁な核抑止論を論破し、この強固な核抑止力を打ち負かさなくてはならない。』(多分このようなことを言われたと思う)という言葉が、私の頭から離れずにいたのだ。時代と共に核抑止力も核抑止論も影を潜めていた感があるが、果たして論破したと言えるのか?ロシアのウクライナ侵攻、日本の軍事力増強のニュースを目にし、耳にすると、ぼんやりとではあるけれど、核抑止力はその輪郭を際立たせつつあるような気がしていた。結局、“核抑止論を論破して核抑止力を打ち負かす”こと無しには、核廃絶は望めないのではないか?

 質問は、しなかった。
 講演の中でも、質疑応答の際にも、平野さんが繰り返されたのが、「今、何に関しても問題はとても複雑で、“これさえやれば大丈夫”といった、特効薬的な解決策はない。一つ一つ、対話を積み重ねて解きほぐし、一歩ずつ進んで行くしかない。」という事。(多分、そんなような事を言われたと思う)
 『核廃絶を実現するためには、核抑止論を論破すればよい』なんて簡単なことではないのだ。
 いや、そんなことわかってたつもりで、核廃絶実現の足がかりというか最初の一歩となるのが、核抑止論の論破だと、思っていたはずだったのに、いつのまにか自分の中では、それこそが解決策かのようになってしまっていた。
 確かに、問題は複雑だ。
 簡単な解決策など、ない。
 一つ一つ、しか、ない。
 対話を繰り返し、積み上げるしか、ない。
 ただ、危機感との擦り合わせが難しい。
 焦る。
 核は明日にも使われかねない。
 焦る。
 問題の認識のされ方に大きな違いがあって、恐らく、対話の必要性を理解してもらうところから始めなくてはならないのだ。

 『始まったことは、いつか、終わる。』(朝ドラの撮影を終えてヒロインのバトンタッチイベントでの堀北真希の言葉)は、私の座右の銘の一つだが、対話の始まりさえ見えていないのが現状で、始まってもいないものを終わらせることなどできない。
 それでも、だ。
 対話を始めなくてはならない。
 解決のための初めの一歩を、歩み出さなくてはならない。
 どうやって、、???
 そんなことを考えながら、始まってだいぶ経つ、終わりが見えている『100年に一度の大改革』の工事現場を通り抜けた。

※1:核兵器廃絶長崎連絡協議会
※2:長崎大学核兵器廃絶研究センター



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