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「これはね、書いていないことが大切なの」と彼女は答えた

「またきた」
香奈子はそう言って、手に取っていたスマホを机に置いた。里菜は白ワインを一口飲んでから、「どしたの?」と聞いた。

香奈子と里菜がいつものお店のカウンター席で飲むのは毎月恒例の行事だ。二人とも会社員ではなく個人として働いている、いわゆるフリーランスだ。香奈子はライターとして、里菜はイラストレーターとして、企業から依頼を受けたときに仕事をする。

「今日打ち合わせした人から早速Facebookの友達申請」と、香菜子は呆れた顔でレモンサワーを勢いよく飲む。
「いい感じのダンディな人だったんでしょ?」
「いい人なの。でもさあ」
「でも?」
「名刺交換はいいんだけど、友達増やしたいわけじゃないんだよなあ」
「何だっけそのCM」
「知らん、忘れた」

香菜子は今日、編集担当者との打ち合わせだった。その人とは普段メールでやり取りをしていて、それなりに仲がよかったから話は盛り上がる。

「里菜ってFacebookほとんど書いてないよね」
「見ることもあまりないかな。あそこにいる人を見ると眩しくて『目が、目がぁ〜』ってなる」
「マジそれ!」
「もっとさあ、mixiみたいにまったりしたいよ」
「mixi! 懐かしすぎて死ぬ。もう何年もログインしてないや」
「何書いてたのmixiで? やっぱり日記とか? そのころからライター目指してたの?」
「いやいや全然、思ってもなかったよ。今見たらたぶん死ぬと思う」
「死ぬなよ……コミュニティとかよかったんだけどね」
「てか、やっている人なんてまだいるのかな」
「それがいるらしいよ、しかも毎日」
「嘘だあ!」
「えっとね……これ見て」

里菜が見せてくれたスマホの画面には、「mixiまだ使っている人、7割が「毎日利用している」とあった。

「ね、意外でしょ」
「……ちょっといい?」
香菜子は里菜のスマホを借りて、記事を一通り読む。
「これがアンケート結果ね……ふんふん」

里菜はその間、白ワインをもう一口飲む。こういうときの香菜子は、何か探しているのだ。

しばらくしたら香菜子が「わかったよ」と言った。「何が?」と里菜が聞くと、「これはね、書いていないことが大切なの」と答えた。

「どういうこと?」
「確かに7割も毎日見ているなら、mixiは盛り上がっていると思っちゃう。でも、ここには大切な情報がいくつも書かれてない。パッと思いついただけで2つ」
「2つも?」
「さて、それは何でしょう」
「うわ出た、香奈子さまの人を試すクイズ」
「いいから答えて」
「うう、厳しいよお」
里菜はスマホの画面をじっと見ながら考えている。
「そうそう。もう一度同じアンケート結果、特に肝心な前半だけ載せるから、里菜が考えている間に読者も考えてね」
「誰に話しているの?」

里菜は恐る恐る答えてみる。
「これさ、『有効回答数:1,879名』ってあるけど、もともと何人に聞いたの?
「それ!」と、香菜子はレモンサワーを一口飲んでから話し始めた。「極端な話、1万人にアンケートを送って答えたのが2割しかいないとしたら、かなりの数が無視していることになる。無視するってことは、興味ないってこと」
「ということは、毎日使っているような人だけがアンケートに答えているってこと?」
「その解釈は十分できる。『毎日使っているから答えよう』と思うのは必然だし、逆に『もう使っていないmixiのアンケートなんか答えるのメンドイ』と思うのも必然」
「じゃあ実際には、mixiをほとんど使っていない人はもっと多いってこと」
「多いのは間違いない。でも有効回答『率』がないから、どれだけ無視されたのかわからない」と、香菜子は「率」を強めに言った。

「率……割合ってことか」里菜はワイングラスを傾けながら呟いた。
「で、もうひとつはわかった?」香菜子が畳み掛ける。
「うーん、毎日利用しているって聞くと盛り上がっているのかなって想像しちゃうけど、その発想って合っているのかな」
「というと?」
「盛り上がっているって、ユーザー数が増えるとか、投稿数が増えるとか、10代とか20代がいっぱい使ってるとか……あれ?」
「お、どした?」
「ちょっと見せて!」と、里菜は香菜子の手からスマホを取り返してアンケート結果の記事を読み直す。

やがて里菜は顔を上げた。「これさ、なんで年齢の分布がないの?」
「そこ!年齢別の性別はあるのに、なぜか全体の年齢分布がない
「どうして?」
「里菜は、『全ユーザーの半分が40代です』ていうサービスを、10代の高校生や大学生は使いたいと思う?」
「それは、ないかなあ」
「そう、何事も長続きするには、いかに10代とか20代の若者を取り込むかが勝負になる。でもこのアンケート結果には、それが書かれていない」
「ということは?」
「想像だけど、これからも盛り上げたいってときに、10代と20代が少ないことはマイナスになるかもしれない。だから書いていないかも」
「確かにTikTokとか10代がすごいらしいからね」

里菜は白ワインを飲み干すと、「なるほどね、書いてないことが大切、か」と言った。
「そういうこと。仕事でいろんなアンケート結果とかプレスリリースとか読むけど、何が書いてあるかはもちろん大事だけど、何が書いていないかはもっと大事なの」
「そこに本当の意味があると」
「そういうこと。隠したいことが本音」と香菜子が答えると、「名言きた!」と里菜がはしゃいだ。

「で、香菜子は昔のmixiで何を書いてたの?」
「うー、ログインして見てみるか」
香菜子はmixiのウェブサイトを開いて、「うわ、私の知っているトップページじゃない。てかなんでmixiにFacebookの広告が出ているのさ」とぼやきながら、ログインメールアドレスとうる覚えのパスワードを入力すると、10年ぶりくらいにログインできてしまった。
「えっと、日記はこれか……」
日記にこんなタイトルをつけていたっけ、と思いつつも読み直す。

「……だめ、死ぬ!」

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