模倣ということ

ガッコのセンセの影響力

これまで僕の人生に影響を与えた人の中に、小学校の時の社会の先生と、高校の時の古文の先生がいる。

何人もいた”ガッコのセンセ”の中で「印象に残っている」という程度ではあるのだけど、まあ、この年になってその印象があせないのであるから、やっぱり「影響を与えた」のだろう。

それで、小学校の先生というのは、具体的な発言とか体験が記憶に残っている、とかではなくて、そのひとは「NHK出身」だった、という経歴が印象的な先生だった。で、その人に何を教わったか、これまた、なにも具体的には覚えていないんだけど、とにかくその経歴は、憧れの存在で、非日常の世界であった「テレビ」を身近にさせてくれたし、若いうちに「テレビを見る側」ではなく「テレビを作る側」という視点を垣間見せてくれたことは、いまの仕事観に少なからず影響を与えているのだろう。

で、高校の古文の先生はというと、これまた具体的な発言とか体験とか、経歴とかでもなくて、だた一点、小林秀雄という人を教えてくれたこと、これにつきる。

今思えば、なぜ古文の先生は授業の題材に小林秀雄を取り上げたのか、まったく覚えてはいない。覚えているのは、小林秀雄があまりにも難解すぎて、クラスのみんなはほとんどついて行けず、興味を失い、半分以上が机に突っ伏していたということくらいである。

小林秀雄は難しい

小林秀雄は難しい。それは、この偉大なる批評家の考えや主張が難解ということではなく、前提にしている”教養”の次元が違いすぎるのだ。彼の論点に到達するためには知らなければならないこと、嗜んでおくべきコトがあまりにも多すぎる。取り上げた題材は『モオツァルト』だったと思うのだが、小林秀雄が論じるモーツァルトを理解するためには、ベートーヴェンやハイドン、ワグネルといった前後の音楽史はもちろん、スタンダールやニーチェ、ゲーテといった哲学、文学など同時代の様々な表現・思想への”嗜み”を要求する。ほんと、なんで、こんなのを高校生の題材に選んだのだろう。

当時の僕は、「頭の良い」ことで調子に乗っていて、妙な万能感があって、同じ時期にニーチェもドフトエフスキーも読んでいて、それこそそれなりに嗜みをもっていたつもりなのだが、この小林秀雄の「批評」というジャンルというか世界観には全くついて行けなかった。

ニーチェはある意味簡単だった。それもおこがましいことだが。というのも哲学的なこと、文学的なことの奥底には、「人間の普遍性」についての追求があるから、そこまで落とし込めば「16.7歳の人間」という視点で同じ土俵に立てるし、例え説明が難解であったとしても、自分の土俵に引きづりこんで「理解」というより「共感」できるかどうかで、彼らの思想と直接呼応することができた(つもりだった)。つまり、分かる・分からないではなく、共感できる・できないで処理ができた。

しかし、小林秀雄は、どうもそういう思考回路では処理できず、とにかく”分からない”のである。ある種の教養コンプレックスがあった僕は、そんな小林秀雄に必死に食らいつこうとした。

とはいえ、その圧倒的な教養に追いつくことが出来ずに、彼の文を必死に繰り返し読みながら、どこか”分かること”はないのか!と食らいつこうとした。それは、とうていキャッチできそうにないところに打たれる1000本ノックのようなもので、小林秀雄の紡ぎ出す一小節、一段落が、どれも自分の理解力の及ばないところにあるのをわかって、ボールに飛び込むような絶望的なものだった。

そんなことを、部活が終わった後に、帰りの電車で、家で、夜が明けるまで格闘していたのだから、若いってすばらしい。

模倣は創造の母である

そして、そんなプロセスの中で出会った言葉が

「模倣は創造の母である」

である。

これは「モオツアルト」の後半の方にでてくる言葉なのだが、冒頭で彼が引証しているゲーテによるモーツァルト評と功を奏している。

「如何にも美しく、親しみ易く、誰でも真似したがるが、一人として成功しなかった。(中略)元来がそういう仕組みにできあがっている音楽だからだ」


16.7歳の多感な少年には激しく刺さった言葉だった。当時の僕は、テレビドラマの脚本家に憧れて、授業や部活の合間にコツコツ書きためてはいたのだけど、それらがあまりにも稚拙で、どこかのパクリっぽくて、小学生の妄想漫画の域を出ていなかった。そのことで、自分の才能のなさを恥じていたし、絶望していたりもした。

だいたい、「創造性」という言葉が良くない。神様が「ゼロイチ」で、無から有を生み出すこと、それがクリエイティブの源泉というか、才能の証のように見ていた僕にとって、この小林秀雄の「モオツアルト」は、「ゼロイチ」の視点を変えさせてくれたし、「自分の才能のなさ」という問題の先送りを保証してくれた。

この言葉に出会えたことで、僕は「とにかく真似しよう」と心に決めた。自分が好きな小説家のセリフをパクったり、テレビで見たお笑い芸人のネタをそのまま引用したり、それらをつぎはぎして作品をつくってみた。

これがまた、面白くないのである。なぜだろう?パクリ方が間違っているのか?そう思って、好きな作家の作品を徹底的に研究した。批評家たちの論評を読んだり、世間の評判を調べながら作品の良さを客観的に理解しようとした。それはそれで楽しい試行プロセスだったので、いつしか、自分の作品を書くのを辞めて、好きな作家の魅力を深掘りして言語化することばかりになってしまった。

無教養であったからこそ、感性のままに心に刻まれ、無知だからこそ勘違いのまま突き進むことになった「模倣は創造の母である」という言葉。今なら分かる。この言葉の真意を。だいたい、改めて小林秀雄を読めば、それが単にパクれば良いという意図ではないことは明白なのだが。

自分らしさの呪縛

ただ、この面白いものを徹底的に研究するというクセは、広告業界で異常に役にたった。広告やマーケティングの世界は、やたら「ケーススタディ」が好きなのである。「あのヒットキャンペーンはこのようにして生まれた」とか「なぜあのCMは話題になったのか」とか、そういう分析や批評を聞くだけで、関係者はすこし頭が良くなったような気がするし、それを模倣することで、自分のキャンペーンもうまくいくような気がするし、なんなら重要な意志決定(発注)の根拠になったりもする。

そんな風にして広告業界の中でクリエイティブを手がけていた僕は、たまたま結果が出たコトによる名声や評価と、「オリジナリティがないよね」という陰口を背後に抱えて気が狂いそうな毎日を過ごす羽目になった。

それも結局は、膨張する自意識と自己否定感の中で、自分が評価されていることや、明白に存在する自分らしさに気づけなかったことにつきる。実際、クライアントさんたちからいただく評価に嘘偽りはないし、そこでやってきた実績にも不純なものはない。ただ、自分の中の「間違い」を早く探したかっただけだった。


さて「模倣は創造の母である」という言葉に戻ろう。この真意は何なのか?

僕の答えは「体を使って真似る」ということだ。素晴らしい作品を再現しようとするのではない。純真な子供が、楽しい音楽を聴いて体一杯にその楽しさを表現する時、それが上手になればなるほど、その子供は、その子自身のかけがえのない音楽を模倣している。おっさんが、好きな歌をカラオケで熱唱するほどに、その歌はおっさんのものになっていく。

重要なのは、共通の概念や記号性をもとめる「頭」で模倣するのではなく、唯一無二の存在である自分の身体で模倣することで、オリジナリティがやどる。そういうことなんだとおもう。

たぶんそういうことだ。というか、それに近いことは、小林秀雄がすでに語っている。ああ、高校生の時に、もうちょっと教養があったら、遠回りしなかったかな。




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