2020年月記・卯月

 四月上旬。そもそも三月後半からからずっと、昼は会社へ行き、夜と土日はずっと家にこもって原稿と格闘する日々が続いている。通販で映画のソフトを買ってはいるものの、原稿の進捗が悪いので落ち着いて観ることが出来ない。仕方ないので観るのは我慢して積んでいる。
 その代わり、家でちびちびと「ドロヘドロ」のアニメを鑑賞している。あの長編を全十二話でどうまとめるのか期待していたのだけれど、全くまとめずに終わったのは予想外だった。むしろああして結末をぶん投げてしまうと逆に一般視聴者は「原作で結末を読もう!」と思うのかも知れない。それで原作が売れるのなら御の字だろう。
 鳥太の声を初めて耳にしたときキャストは中尾隆聖だと思ったのだけれど、勝杏里という声優だった。めちゃめちゃ声が似ている!
 最近の3DCGIは格段に表現力が向上していて、粘土の人形がふらふらとしているようなかつての不安定さを全く感じない(肘と肩周りは若干違和感があるけれど……)。なぜか必ず「CGアニメかあ……」と否定的に語る輩もいるけれど、あまり極端にデッサンが崩れるとマズいタイプの作品以外はもうこれでいいのではなかろうか。あとエロ作品は駄目だな。
 今期は「映像研」と「FGO」に全部かっさらわれた印象があるけれど、「ドロヘドロ」もなかなかの良作だったと思う。「まるで終わってない」という点に目をつぶれば。

 あと、「ドロヘドロ」の主題歌を聴いていてふと思ったのだけれど、最近のJ-POPには随分と「無意味な言葉を羅列しただけの歌詞」が増えているような気がする。J-POPというかボカロ曲を中心としたアニソン・ゲーソンと考えたほうがいいかも知れない。
 昔のV系で、特にグロ曲なんて呼ばれていたジャンルには山ほど存在するタイプの歌詞ではある。脳髄とか切断とか発狂とかDEATHとか、それっぽい単語をシャウトしていくだけの楽曲は枚挙に暇がないはずだ。そして、それをマイナーな音楽を好む層に広く流布したのが多分ディルアングレイだ。さらに、そうやって広まった単語羅列系リリックを一般リスナーにまで拡大したのは間違いなくマキシマムザホルモンだと思う。
 仮に無意味な単語を並べたとして「実は深いメッセージを込めています」と作詞者がいえば、聴く側は「そうなんだ!」と思ってしまう。そのアーティストに憧れる若者であればなおさらだ――という見方はちょっと意地が悪いかも知れないけれど、実際に「こういう意味を込めてこういう理由でこの単語を使った」というような作詞者本人の解説を見たことがないのだからしょうがない。
 そうした辺りがちょっと胡散臭く思えてしまって、単語羅列系リリックをいまいち受け容れることが出来ない。あえてそういう表現方法をとっています――とアーティスト側が言うのならしょうがないのだけれど、ちと残念に思ってしまうのだ。

 ライブが全く開催されなくなってしまったので、どんなにカッコいいアニソンが発表されてもあっと言う間に風化してしまう。それが残念でならない。
 五月にはメリーとLUNASEAのショウに行く予定なのだけれど、このぶんだと開催は難しいだろうなあ……

 それにしても、自宅に引き篭もって政府の発表を待つばかりという状況の人が増えたからか、ツイッター上にニワカ論客が凄まじく増えた。ろくに言葉の意味を理解せずに極めて卑近な理想論を語る一般人と、140文字では全く説明しきれていない精緻な解説を稚拙なテクストで語る専門家とがずれた論点で議論を戦わせている様子は昔のニュー速板みたいでとても面白い。
 政治批判をすれば高尚な人間になれるし、「私は専門家です。現場では○○で、■■で……」と言えばイイネもRTも沢山貰えるのだ。彼らには是非ともこのままネットを盛り上げていて欲しい。

 山田風太郎の「十三角関係」を読み終える。いまの感覚で読むと、設定がことごとく弛い。何度か難事件を解決したために警察に顔が利く探偵――という設定も弛い。社会的な地位のある人間のほうが却ってその立場ゆえに犯罪に手を染める――という設定も弛い。ことあるごとに事件の関係者がヒントを口走る展開も弛い。もちろん、いまの本格が総てにおいて優秀であるとは言わない。昔の推理小説はこれはこれでとても面白い。そもそもトリックが使い放題だった時代なのだ。総てが目新しい。
 読んでいるときにふと気付いたのだけれど、昔の推理小説に出てくる名探偵(とご都合主義な展開)って、いまのラノベに登場するチート主人公とすごく類似点がある。
 本人は庶民派気取りでも物凄い権力者の後ろ盾を持っていて、普段はあまり発揮することのない物凄い能力を持っていて、完璧超人過ぎない程度に親しみ易い欠点を持っていて、必ず受け容れてくれる頼れる味方を持っていて、生活苦がない。などなど。
 オタクというか、娯楽や逃避を文章に求める層の嗜好がどの世代でも似通っているということなのだろうか。もっとも、これが現代の新本格になるとがらっと設定が変わるし、一世代前のラノベだと主人公の質が全く違うのだけれど。
 お約束やお定まりの作品たちがシーンを席捲する中で、読者の嗜好に応えすぎる物作りを嫌う作家がイキった作品を投下し始める→ライト層とユニークユーザが離れる→再び商業思想に特化した作品がシーンを席捲する――という流れも考えられそうだ。
 そもそも「十三角~」は昭和三十一年に上梓された小説なので、設定の弛さは弛さではなく当世風(つまり当時としては最新)のディテールではあったのだろう。この翌年に仁木悦子の「猫は知っていた」が実質の第一回乱歩賞を受賞することを考えると、チートな名探偵が幅を利かせる時代は過ぎ去りつつあったのかも知れないけれど。

 このころ、ふと思いついてSteamでゲームをし始めた。プレステは電源の入り切りが面倒になり始めたというのと、やり途中だったイース8がほぼ大詰めに差し掛かっていて最後までプレイする覚悟が決まらない。ときどきネット上で「ラスダンでゲームをやめちゃうのって俺だけじゃないよな?」という発言を見るので、クライマックスでゲームをやめちゃうのはそう珍しくはないはずだ。
 Steamだと原稿を開いたまま気軽にプレイ出来るのがいい。現物のソフトが存在しないからプレッシャーもないし。
「魔塔ハンター」というアクションゲームが700円くらいだったのでぼんやりとプレイを始めた。結構痛いバグが多いけれど、サクサク進めるのでストレスはない。ただ敵キャラのレベリングに関してはゲームバランスがあまり良くないように思う。ゲームプレイだけではなくゲームそのものの出来栄えも楽しみたいという人には不向きかな。

 四月十日。土日を前にして引き篭もる予定なので、TSUTAYAへ行って書籍を数冊購入しておく。深志美由紀先生の新刊も買った。今度お会いしたときにサインを入れていただこう。
 途中まで読んだのだけれど、怖さを楽しむよりも、幸せいっぱいの若夫婦や恋人たちが霊障によって破局していく様の爽快感が堪らない。幸福感からの落下をディテールいっぱいに描くという作風はあまり男性作家では見られないような気がする。

 スーパーへ行くと納豆の棚が空っぽになっていた。店員に訊いたところ、疫病騒ぎとは全く関係なく売れているらしい。なんでもTVの健康番組で紹介されたんだとか。十年くらい前にもこんなことあった記憶がある。久しぶりに納豆が食いたかったのに。
 健康志向はいいことだとは思うけど。

 四月十五日。有給を取って原稿を進める。担当者からは足掛け二週間連絡がない。リモートワークになって編集作業も停滞しているはずだ。配本すらままならない状況では電書の作業でてんてこ舞いだろう。考えないようにはしているけれど、いま書いている原稿もどうなるか分からない。
 わかつきひかる先生もnoteの記事で書いていらしたけれど、いま販売されている書物ならともかく、これから販売される書物に関しては大打撃である。下手をすると電子に弱い出版社は会社が傾きかねない。比較的電子に強いであろうエロ本業界ではあるけれど、経済環境そのものが縮小してはどうしようもなかろう。(そういえば絶対に電書を出さない方針の作家も少なからずいたような)

 会社からの発表で、GWは四月二十九日から五月六日までと決まった。特段収入に響くわけではないけれど、あまり長期の休みとなるといざ会社が平常運行し始めてから労働が辛くなりそうで怖い。それに、そのぶん夏休みも減らされるだろうし。
 それにしても八日間家に引き篭もり――メシどうしよう。

 市場に卸せなくなった食品の特売が始まって、それに引っ張られるように各通販サイトでもセールが開催されるようになった。僕も幾つかのサイトで買い物をしたのだけれど、少なくとも衣料品に関しては出番が来るのはいつになるのだろう。そもそも出番なんてあるのだろうか。
 書籍類に関しても先月からほとんど楽天ブックスで済ませている。これまでは本屋で現物を見て購入していたわけだけれど、それだと「そのとき本屋に置かれていなかった本」と「見落とした本」は買えない。ところが、楽天ブックスで新刊カレンダーを見ながらカートに入れていく方式だと、ローラー作戦状態でほとんどの新刊書籍が網羅出来てしまう。これはとても危険だ。

 四月も下旬に入ると、そろそろ会社と家を往復するだけの生活に飽きてくる。「いつでも出られるけど、あえて出ない」というのと「出るに出られないので、仕方なく出ない」というのではわけが違う。おまけに先行き不透明な執筆も続けなければならない。あまり意識はしていないけれどかなりストレスが溜まっているようで、家の中でも職場でも独り言が増えた。この場合の独り言は、「あれ」「ちぇっ」「なんだよ」「おいおい」みたいな無意味な一言ではなく、意味を持った一つの文章として成立する発言。恥ずかしいから具体的には書かないけれど、恐らく心のバランスを取ってるんだろうなあ――と思う。幼い子供が作るイマジナリーフレンドと同じ代物だ。

 四月二十一日。LUNASEAのツアーキャンセルが発表された。分かってはいたけれど残念。

 四月二十三日。担当者から連絡があって修正作業。「なにかあったらメールより電話で」とのこと。編集部もそうとうアレな感じになっているのだと思う。かなり大幅なリテイクが出されたのは辛くはある。けれどやるしかない。

 古本で買って積みっぱなしだった松尾由美の「銀杏坂」を読み始める。これはミステリ短編集なのだけれど、とある一編の結末から、次の一編の冒頭部分までが落丁していた。つまり、ある事件の解決部分と、ある事件の発端部分が読めない状態なのだ。ミステリにおいて一番大事な部分なのに。そもそも落丁本は書店でも出版社でも交換してもらえるのだ。それをなぜ古本屋へ持っていくんだよ!
 とりあえず「銀杏坂」を持ってるかたがいたら第三話と第四話に関して詳しく教えて下さい。

 ふと思いついてツイッターで「松尾由美」を検索したところ、好きなミステリ作品に「安楽椅子探偵アーチー」を挙げてるかたが数人見受けられた。個人的にものすごく好きな作品なので、やはり同じ意見の人がいると嬉しい。
 小説は漫画やアニメ以上に分母が大きいので、誰かと趣味が合うことはまずない。もちろん、最大公約数的な作家や作品であれば合致はするのだけれど、そんな有名作品を共有したところでカタルシスは得られない。松尾由美もそうだけれど、いつか仁木悦子や古処誠二を共有出来る人と会っておしゃべりしたいものだ。

 一日のルーチンの中に、三十分ばかりyoutubeをだらだらと流し見する時間があるのだけれど、オススメ動画だか関連動画だかの中にジョビジョバの公式チャンネルを発見した。
 六年前に暫定的に復活して以来、ちょいちょいと活動をしている――というのは知っていたのだけれど、いつの間にか動画配信アカウントまで作っていたようだ。
 その昔U-1グランプリの公式で流されていた動画に加えて、今年に入ってから作られた映像もある。懐かしさ八割くらいで見始めると、やはりとても面白い。「漫才」にしろ「お笑い芸人のやるコント」にしろ、まず笑いありきという意識で見てしまうのだけれど、ジョビジョバは半分くらいは「演劇集団」という認識があるので、あまり笑いを期待せずに観ることが出来る。これは東京03なんかも一緒かも。
 昔は本当にスタイリッシュ(お笑い界のスマップなどと呼ばれていた)な舞台を作っていたけれど、オッサンになった今は随分と現実味の強い居住まいに変わった(気がする)。今まで全く僕のスケジュールと折り合いがつかず一度も行けていないのだけれど、是非ともナマで舞台を観たいものだ。

 四月二十三日。「攻殻機動隊」の新作がNETFLIXで配信された。僕は観ていないのだけれど、ネット上の意見は「まあ、あんなもんでしょ」という層と「初代SACを想像して観たら全く違った。裏切られた!」という層とに分かれている印象だ。人気シリーズの宿命である。
 そもそも「あんな作品初めて観た!」という感激が大前提としてあるわけで、それだけ感激のハードルが高くなっているのだ。それに対して同じ方向性のサプライズを用意したのでは感激のハードルを越えるのが非常に困難なのは間違いない。そのうえ、仮にハードルを越えたとしても歓ぶのは「前と同じものが見たかった層」だけなのだ。であるならば、わざわざ困難で見返りの少ない作業にリソースを割くよりも、新たな方面を開拓したほうが商業的には正しいはずだ。
 だからこそ「前と違うから駄作!」という意見には納得出来ると同時に、仕方ないんだよという気持ちにもなる。
 かつての常連客が「完全に前作以下の駄作!」と大騒ぎすれば、新規顧客は手を出すのに躊躇するだろう。そして、そんな常連客は得てして声が大きいものなのだ。「自分で観て判断するよ」と言える人は案外少ない。
 どのみち攻殻くらいのビッグコンテンツなら、一つ二つプロジェクトがコケたくらいで消滅なんてしやしない。ユーザーはデンと構えていればいいのだ。

 四月二十五日。LEGIOん先生が、たまたま買った「映像研~」の単行本が乱丁だったというツイートをされていた。上述した通り、僕も落丁本を掴んだばかりだったので妙なシンクロである。乱丁といっても軽い裁断ミス程度だったら読むのに差し支えないけれど、本文に干渉するレベルとなると問題だ。そういう異形の出版物に価値を見出す人も居るとは聞いているけれど、実際に読む側からすると面倒に感じるだろう。
「せっかくだからとっておきなよ」などと軽々には言えない。

 そういえばその昔、「ピーターラビットのおはなし」の何巻だかが乱丁本で、福音館に交換希望として直接送りつけたことがある。やがて返送されてきたのだけれど、本自体の他に、ピーターラビットのステッカーシートも同封されていた。メイン読者が児童であるという意味でのサービスだったのだろうけれど、なかなか気が利いている。「映像研~」なんて山ほどノベルティが作られているだろうし、小学館に送りつけたら案外色々と貰えるのではないだろうか――などと考える小市民のさもしさよ。

 Steamでプレイしていた「魔塔ハンター」を二十時間ほどでクリアした。七百円程度でだいたい一ヶ月くらいのあいだ息抜きが出来たと考えれば上出来か。クリアした流れでセール中だった「Bloodstained」を購入。これは悪魔城シリーズのプロデューサーによる悪魔城シリーズの文脈にある作品で、とても安定した出来栄え。ただ、一面をクリアしてセーブ→翌日再開しようとしたらゲームが起動しない。Steamではたまによくあることだけれど、大丈夫だろうか。(調べた結果、起動前に整合性のチェックをすればプレイ出来ることが分かった)
 もう運指が追いつかないので複雑なコマンド入力とシビアなタイミングが要求されるアクションゲームはプレイ出来ない。ヒットアンドアウェイでなんとかなる「魔塔~」や「Blood~」のようなゲームの存在は実にありがたい。ファミコン世代なのでたまにはコントローラを握ってカチカチとやりたくなるのだ。
 
「波よ聞いてくれ」のアニメがちょくちょく話題に上り始めた。
 なんというか、「若いサブカル世代」と「ヲタ文化に飽き始めた世代」をゴッソリまとめてかっさらえる作品だと思う。マイノリティへのアピール性の高さがすごいのだ。
「受け取る側にある程度の知性が要求されるセリフ・言い回し」「まったく媚びてないキャラ(それでいてキャッチーな要素はテンコ盛)」「ラジオ業界という如何にもマイノリティの自意識をくすぐるようなロケーション」――どこを切っても狙いにきているのだ。
 僕も原作はずっと読んでいたのだけれど、内容はとても面白いし、マイノリティ心をいたくくすぐられた。原作は絵柄が絵柄なので、アニメのような跳ねかたをするかは分からないけれど、どうせ「アニメでは省略された原作のこのシーンが最高だから見て」とかいうツイートがこれからポチポチ出現して話題にはなるのだろう。個人的には穂隠さん(「おひっこし」という漫画にも登場している女性キャラ)が汚れキャラとして扱われた時点で総てが灰色になった作品なんだけど。
 などと色々書いてみたけれど、実際のところは「無限の住人」からずっと沙村作品を読んでる僕を差し置いてニワカ連中が他の沙村作品を知らなきゃ完全には楽しめない「波よ~」をTVで見て喜んでいるのが恨めしいという醜いヲタ心を抱えている。老害ってホントに嫌だね。

 それにしてもいまのアフタヌーンの強烈なサブカル臭(とモラトリアム感)はなんなんだろう。本誌を買うたびにアンケートで愚痴っている。

 四月二十八日。まるまる八日間のGWは家の中で過ごすと決めた。そのために色々と食料品や娯楽用品を買い込んでおく。特にコーヒーと水。ついでに在庫が復活しつつある納豆も買った。暴飲暴食しなければ問題なく過ごせるはずだ。

 問題があるとすれば読む本が家にない。読んでいない本は山ほどあるのだけれど、いま読みたいかと自問すればあまり積極的に読みたいと思わない本ばかりなのだ。買うときは猛烈なテンションで買ったはずなのに――などと罰当たりなことを考えていたらずいぶん前に駿河屋で注文していた古本が届いた。ギリギリなグッドタイミングである。いまの駿河屋は五千円未満の注文だと手数料を取るらしいので、いきおい一度の注文が大きくなってしまう。商売上手なのはいいことだけれど、あまり派手にやらかしてコケないで欲しいと思う。ブックオフの凋落ぶりは凄まじいし、VISCOフルイチ紙風船と、隆盛を極めながらも消えていったショップやサイトは枚挙に暇がない。なにしろ駿河屋は在庫も豊富で便利なので、細く長く生きて欲しい。

 二十九日と三十日はひたすら原稿。そして息抜きにSteamを起動。
 全く抑揚のない四月が終わった。

 以下、今月の面白かった作品。

「怪異と乙女と神隠し」……オリジナルの怪奇現象と既存の都市伝説をミックスさせた日常系オカルト漫画。いいとこ取りの浅い作品かも知れない――などと思いながら読み始めたのだけれど、キャラクターの濃さもあってか実によく物語がまとまっている。女性キャラに涙も血も涎も鼻水も遠慮なく垂れ流させる思い切りもいいし、なにより二十八歳のヒロインが処女なのもいい。描線の多いがりがりとしたタッチも作品そのもののディテールを深める演出として働いていると思う。なんとなく全三巻くらいでスパっと終わってしまいそうな気がするのだけれど、長く読み続けたい作品。数年前に立て続けに打ち切り漫画を発表して消えていった「おにお」という漫画家ととても作風が似ているのだけれど、いま見比べたら耳の描き方が全く違う。別人。失礼を承知で書くけれど短命なところは似ないでほしい。

「じけんじゃけん」……第一巻が出たときには「これはスゴい!」と思ったんだけれど、たぶん世間的には何も響かなかったっぽい。なぜだろう。ほどほどにミステリ読者受けを狙った小ネタで失敗したんだろうか。よく出来ていると思うんだけど。まあ、「ミステリはそこそこ読んでますよ。主に新本格ですかね。メフィスト(藁)」みたいな層は美少女漫画なんて読まないか。というか、今のヤングアニマルってどんな読者層なんだ!?

「サバゲっぱなし」……ちょうど自分がサバゲを始めた直後くらいに読み始めた漫画。最近めっきりとメジャーになった「趣味性の強い娯楽への招待マンガ」の中でも特にキック強めな作品だと思う。ここまでトンガってればそりゃウケもする。「じけんじゃけん」と違ってそのジャンルを支えてる層がダイレクトに読者になってくれる層でもあるし。(実際、僕が一緒にサバゲをやっている連中はみんな読んでいる)
「娯楽への招待マンガ」がコケる・詰まらなくなる原因は、初心者への配慮のしすぎだと個人的には思っている。主人公が初心者で、対象となる娯楽への知識がゼロである――というのはまあ分かるんだけれど、それにしても一般常識レベルのことすら知らずに、いちいち「それ何?」「どうして?」を繰り返されると読んでいて苦痛である。そもそも物語のテンポが著しく落ちるし。
 その点、例えば「ゆるキャン△」は初心者と中級者を交互に配置することで物語のバランスを絶妙に制御しているし、「放課後ていぼう日誌」であれば「初心者がやってみて失敗したけどどうして?」というトライ&エラーの話しになっている。これならばベテランは「○○が理由」と思い描きつつ助言者サイドとして楽しめるし、中級者ならば「俺もこれ経験したなあ」という経験の共有が出来るし、初心者であれば純粋に新たな知識として楽しめるだろう。
「サバゲっぱなし」がどうかと言うと、初心者は初心者でも「金にものを言わせて上達する」タイプの初心者が主人公なので、異常に物語のテンポがいいのだ。ニコさんはマンガの脇役ならばちょっとウザい金持ちだけど、主人公になると実に頼もしい存在なのである。
 などと書いているとサバゲがしたくなってきた。
 もう半年近く行ってない気がする。

 劇場版の「カイジ」では東京オリンピック後の壊滅的な経済崩壊が語られていたけれど、どうやらそれを待たずしてとんでもないことになりそうな気がする。僕はこれからも小説を書かせて貰えるのだろうか。
 また来月に続きます。

 文中一部敬称略とさせて頂いています。ご了承ください。

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