2020年月記・葉月

 八月一日。一日かけて原稿の修正。担当者に指摘される修正点というのはほぼ例外なくこちらの筆がノリすぎてしまったところか、もしくは読者のテンションを想像せぬままに書きたいものを書いてしまった部分の指摘だ。言わば商業的な意味でのダメだしである。これは本当にありがたい。ときどき「担当者なんていらない」という作家を見かけるけれど、彼らはいったい打ち合わせでどういうやりとりをしているのだろうか。
 もちろん、どんな社会にも奇態な人間はいるものなので、当然編集者にもそういう人はいるのだろう。まして作家の大部分は社会経験に乏しい人間だ。齟齬が生じる確率も高いのかも知れない。

 八月二日。土曜日はずっと原稿に首っぴきだったせいか、ほとんど一日中通販サイトを巡っていた。ちょうどサマーセールの時期である。誘惑だらけだ。負けた。

 八月三日。サバゲーのお誘いがあったけれど、そろそろ原稿の大詰めなのでお断りする。たぶん九月には「コミュサバ」という大規模イベントに参加することになるので、しばらく我慢である。
 そういえば、先月のアタマに大分県のカスタムショップに銃を預けたのだけれど、受け取りの連絡があったきり何の連絡もない。大雨の被害が確実にあるであろう地域なので、とても気になる。

 劇場アニメ化が決定したらしいので、「ジョゼと虎と魚たち」を図書館で借りてくる。僕は恋愛小説には全く無縁に生きてきたので、非常に新鮮な気分でページをめくることが出来た。とはいえ、この短編集はほぼ不倫ネタかヤリマン・ヤリチンによる火遊びのような話しか収録されていない。登場人物に童貞は一人もいない。萌え文化に浸ってきた僕のような人間からすると共感性もリアリティも皆無である。
 面白かった作品は「うすうす知ってた」という短編。ヒロインは三十路間近の処女である。その彼女が妹の部屋でコンドームを発見してしまう。そして彼女は驚きと昂奮のあまり誰もいない部屋で「しゃー!」と威嚇の声を上げながら手刀を切るのだ。読んでいて思わず笑ってしまった。いったいどういう反応だ!?
 そして表題作でもある「ジョゼ~」である。ヒロインのジョゼは、この短編集には珍しい処女で、ごりごりのツンデレだ。「もう来るな!」と怒鳴りつつ、主人公が帰ろうとすると「私を怒らせたまま帰るな!」などとのたまう。ただ理不尽な怒りではなく、主人公への甘えが根底に流れているので、読んでいてとても可愛らしく思えるのである。
 この作品が発表された当時(ツンデレなんていう概念が存在しない時代)の人々がどういう感情で読んだのか不明なれど、萌え文化に浸ってきた僕のような人間からすると最高としか言いようがない。
 ツンデレ文化爛熟期には、とにかく理不尽にキレまくるヒロインが粗製濫造されてきた。ただヒステリーを起こすだけの彼女たちがツンデレブーム減退の一翼を担ったのは否定出来なかろう。そしてツンデレマーケットは縮小し、いまとなってはツンデレに真っ向から取り組む作品はほとんどなくなってしまった。
 もしかすると、劇場版の「ジョゼ~」はそんなツンデレの黄昏期にある現代の、最後のツンデレ作品となるかも知れない。以前に実写映画として公開された「ジョゼ~」は性に乱れた青年の爛れた日常を描いた作品だったらしい(ネットであらすじを追う限り)。どうかそっち方面ではなくキャラ萌え方面に舵をとって欲しい。
 いま改めてキャラデザを見たら、僕が原作を読みながら想像していたジョゼとは全く違うビジュアルである。当世風のフワッフワなお嬢さんなのだ。アニメ向けにキャラ設定をいじっているのかも知れないけれど、とても二十五歳には見えない。そもそもハンデを負った人間としての憤懣と鬱屈を腹の奥に蓄積させているような人間には見えないのだ。生温いヒューマンドラマになりはしないかという不安が少々ある。もちろん、原作をいくら改変しようが、面白ければいいんだけれど。

 八月六日。ツイッター上で「冷凍餃子が手抜き」云々という話題が取りざたされた。大部分の人々と同じように、僕も冷食を食卓に上げることを手抜きだとは思わない。そんなことを言ったらカレールウなんてもっと手抜きだし、蕎麦や饂飩の乾麺も然りである。

 リモートワークで在宅時間が長くなっているせいか、素人による「こんな料理を作ったよ!」という投稿が非常に増えている。さらに、そうした連中を当て込んだなんちゃって料理人(なぜか料理研究家という肩書きを好む連中)による「一手間レシピ」の投稿も激増している。それらの中でしばしば登場するのが「チューブ入り薬味」だ。
 あのチューブ薬味を料理に用いることを手抜きだとは言わない。けれど、仮にも「研究家」を名乗る人間が、あんな増粘多糖類と安定剤の味しかしないものを勧めるのはどうなのだろうか?
 まあ、私見と極論なんだけど。外食産業が長い人間なので、ちょっと気になるのだ。

 八月八日。三連休の初日である。午後イチで「宇宙からの色」の劇場版を観るために川崎へ向かう。事前にチケットは購入していたからよかったものの、館内はほぼ満席。
「未知の存在への恐怖」が主眼なのか「理不尽に崩壊させられる家庭」が主眼なのか、若干のブレを感じた。けれども最終的には総てを飲み込む宇宙的恐怖で総括出来てしまうのがクトゥルー神話の強いところだろう。逆に言うと、そうした荒技で物語を締めくくれてしまうがゆえに、クトゥルー系映像作品はそれほどメジャーになれないのだと思う。
 ニコラス・ケイジ演じる父親が車の中で暴れると、パニックワイパーよろしくカーアンテナがにゅ~っと伸びていくシーンがひたすら面白かった。それと、動物キャストとしてルシファーという名前の猫が出演していた。日本でも厨二の人々が飼い犬に「ケルベロス」と名付けたり、それこそA・ポーの「黒猫」の名前がプルートーだったりするけれど、その手のネーミングセンスは洋の東西を問わないのだろうか。
(いま改めて検索したらディズニー版シンデレラにおける継母の飼い猫の名前がルシファーだとか。クソくらえだ)

 夕方になり川崎から中野まで移動する。東海道線だとあっと言う間に東京駅まで出られる。川崎もそうだったけれど中野もまた道行く人の数は往時のものに戻っている。経済が悲鳴を上げているのだ。
 向かう先は中野ZEROホール。メリーのコンサート会場である。ホールそのものが地区センター的な施設の一角にあるために、開場時間まで併設の図書館で時間をつぶすことが出来た。ありがたい。
 今回のコンサートでは事前にOHP上でIDの提出やらアンケートへの回答やらが要求されていて、僕もそれを送っておいた。ただ、それを送ったところで僕たち回答者に番号などが割り振られるわけでもなかったので、「多分なんの意味もないのだろうな」と思っていたのだけれど、案の定入場時にその回答が生かされることはなかった。改めて同じものを書かされただけである。
 入場者が三百人を割るくらい(目測)だったのと、会場が広かったことと、入場時間が前倒しされたことで、少なくとも僕はスムーズに入場出来た。けれど、これらの条件が少しでも崩れたら入場はてんやわんやになっただろう。
 受付では鑑賞用のフェイスシールド(顔面を覆うバイザー)が配られて、フロアに入るときに着用するよう要求された。ベルトを通す程度とはいえ、最低限の組み立て作業は必要な代物である。簡単ではあるけれど、荷物を持った状態でなんとかなる作業ではない。中野ZEROホールはロビーが広く、テーブル代わりに使えるオブジェクトが多数配置されているからどうにかなった。けれど、もっと小振りの会場だったとしたら、とても落ち着いてフェイスシールドの組み立てなど出来ないだろう。
 そんな準備を終えて開演を待つ。千三百人入る会場は悲しいほどにガラガラである。あまりに空席が多いので係員が「空いている席に移っていただいて構いません」と案内していた。一階席の人は頑張れば三列目くらいで観られたはず。
 そして、あまりの不入りゆえか、いざコンサートが始まると後方席の観客の大部分は着座して鑑賞していた。まあ、指定席のコンサートだし、どう観ようが個人の自由だ。
 いささか残念なのが音響だった。ホールそのものが大音量のロックコンサートを想定したツクリではなかったのかも知れない。真ん中の音域が塊りになってしまって、各音の粒と抜けがとても悪く感じられた。天井が高いから綺麗に抜けるのかと思いきや、昔の武道館のような音の篭り具合なのだ。座って観ていた人たちはあの音をじっと聴いていて楽しかったのだろうか。
 下手ギターの健一がこのツアーをもって脱退する……ということで、彼の楽曲メインのセトリになるかと思いきや、そんなことはなかった。不思議。ライブでの定番だったりシングルになっている曲もあるのに、その辺りもほどほどに外されていた。不思議。
 時流を鑑みたのか、MCは一切なし。ピックやらスティックやらを客席に投げるパフォーマンスもなし。C&Rもなし。ドラムソロもなし。観る側はヘドバンなし(頭にバイザーがあるから出来ない)。という、いささか異常なコンサートではあった。しかし、もしかすると今後のコンサートやライブの雛形となるかも知れない。いずれにせよ貴重な経験だった。
 全十八曲で、百分ちょっとの上演。若いころなら「短いよ!」と思ったはずだけれど、オッサンとなったいまはこのくらいのボリュームがちょうどいい。

 八月十日。修正した原稿の手直し。「ここを削って」という指示に従って修正していると、どこかで必ず小さな綻びが生じる。削った部分で触れていた設定が、あとになって登場するような場合だ。なにかの作品を読んでいて「この話、急に出てきたぞ」と感じるときは恐らくこうした削除が原因である。そのため、削った部分に初出の情報がある場合はきちっとメモしておかないといけない。今回はそれをかなり忘れていたために、修正後の作業で苦労している。
 この日は午後二時頃の室温が三十六度。さすがに暑い。クーラーはあるものの、僕の部屋まで効果が及ばないのだ。椅子と接する尻から太腿にかけて汗だくである。

 八月十三日。会社の夏休み初日である。とはいえなんの用事もないので原稿の修正作業で時間を消費する。ひたすら暑い。

 八月十四日。原稿作業を夕方に終え、ビデオ鑑賞。一本目は「ブラックホークダウン」。掴みのようなシークエンスなしで、二十分ほど設定の説明がされると、それ以降は怒涛の戦闘である。ドキュメンタリーであるためか、若干の間延び感はあった。けれども、ほとんど二時間近く戦闘シーンを続けられる構成力と編集力はさすが。有名俳優も多数出演していた作品だけれど、僕には顔の区別がつかなかった。まさかユアン・マクレガーが誰だか分からなくなるとは……

 休憩を入れて二本目は「ダークスカイズ」。スレンダーマンとかポルターガイストのようなネタかと思っていたら、まさかの!
 なんとなくクリーチャーの姿を見せておいて、クライマックスで満を持して登場するような演出ではなく、ある段階でいきなり全身像を見せ付ける度量が素晴らしい。オッサンは集中力がないので、あまり引っ張られると飽きてしまうのだ。

 怪異に悩む人にアドバイスする専門家という存在がホラー作品には一定の確率で登場する。正直を言うと、僕はあいつらの存在が好きではない。無理して解説を付けなくてもいいよ、と思ってしまうのだ。(例えばその解説によって物語が転がっていくような作品だったり、解説者サイドが狂言回しだったりする作品はまた別である)
「ダークスカイズ」も終盤にチョロっと出てくる怪異の専門家が余計だった。あのシークエンスをカットして、もう一回驚かせて欲しかったところ。

 とある脚本家の友人が映画「残穢」の感想をツイートしていた。「超期待外れ」だったそうだ。僕は確か彼の前でこの映画を褒めちぎった記憶がある。残念だ……
 その土地の開発や、地元住民の世代交代によって徐々に忘れ去られていく穢れた記憶。そして、それらの情報を登記記録やら老人の記憶やらから少しずつ紐解いていく感触。僕のようなベッドタウンでの暮らしが長い人間には凄まじくリアリティがあったのだ。
 いまでも憶えているけれど、ほんの時間つぶしのつもりで入った吉祥寺の図書館でなにげなく原作を手にとってページを開き、二時間かけて貪るように読んだ。少なくとも僕にとっては「読者の理解」と「物語の進行速度」が完全に一致した稀有な作品である。その構成の見事さに戦慄した。
 映画版は映画版で、原作をしっかり踏襲しつつ、冒頭の映像をクライマックスへの伏線とする辺りが素晴らしかったと思う。
 そもホラー作品なんてものは感覚的な要素が大部分だし、合う合わないはしょうがないか。

 八月十五日。少し前に届いた「映像研には手を出すな!」のビデオを観る。記憶にないカットがちょいちょいあるのは新規に追加されたものか、はたまた僕の記憶から飛んでいるだけなのか……
 ソフト化されたら買うつもりでいたので、本放送は最終回まで観ていない。久しぶりにわくわくとした気分を抱えてアニメを観た。
 僕はほとんどアニメを観ないので、声優の世代交代に驚くことが多々ある。あのジェリドがお爺ちゃんの役を演じているのも然り、南ちゃんが母親役なのも然りだ。
 それにしても、外注作画の不出来さと一軍スタッフの作画との落差が凄まじい。ナディアの頃から変わらないNHKアニメである。

 八月十九日。担当者から原稿の戻し。演出上の修正。

 八月二十日。二日間かけて修正作業。
 クトゥルフ系のフィギュアがたて続けに発表された――と思ったら、この日はHPLの誕生日だった。そろそろFGOにも御大本人が登場するのではなかろうか。(僕が知らないだけでもう出てるのかも知れないけど)

 以前に修理を依頼した電動ガンが完成したとの連絡がある。大分だったので大雨被害を危惧していたのだけれど、一安心。

 八月二十一日。日付が変わったあたりで修正した原稿を送信して、ついでに楽天ブックスで漫画を注文する。ネットで本を買うのは最早ルーチンワークである。

 八月二十二日。原稿が一山超えたので家でビデオでも観ようかと思ったのだけれど、自分のテンションにあうストックが無い。断念。スプラッタ映画とかサメ映画とか、ああいうトンガりすぎたジャンルの映画ってのはこういう時のためにあるのだろう。

 夜になってから飲み会中止の連絡がくる。月末に企画されていたエロ作家の集いだ。多いときだと二十人以上の参加者があるのだけれど、今回は二、三人しか集まらなかったらしい。残念ながら当然か。秋にはTRPGをやろうという話もしていたのだけれど、このぶんだとそれも流れるだろうなあ。

 八月二十五日。飲み会は中止だけど来られる奴だけで飲みに行こうという謎めいた連絡が来たので、やはり週末は飲み会になる模様。会社に行って帰るだけの生活はいっさい刺戟がないので、同業者との触れ合いはやはりありがたい。

 八月二十六日。電動ガンがようやく到着する。家人が嫌がるので、送り状の品名を「機械パーツ」にしてもらったのだけれど、送り主の名前が「ガンショップ○○」。意味なかった。

 八月二十七日。「Fate」を鑑賞。夏休みだったせいもあるのか、平日の夜早い時間でも十人以上入っていた。
 
 さんざん事前情報として仕入れていたものの、やはり圧巻の戦闘シーン。やたらめったら珍妙な姿勢で戦うサーヴァントが気になったけれど、あれってたぶん「魔術的存在だから物理法則の干渉は受けない」っていう演出なんだろうな。好みはおいておくとして、厨二的なケレン味は充分にあった。
 ただ、作画と比べるとセリフ回りの演出が稚拙なのが少々気になった。「桜は桜だろう!?」と言われて「ハッ!」と何かに気付かされたような表情……みたいな演出はもうお腹いっぱいである。イリヤを助けに行くくだりも、そんな見飽きたやりとりが続いた。アニメファンは「またこういう展開か……」ってならないのだろうか。
 それでも、凶悪なレベルの作画と雰囲気満点のスコアで、充分に傑作と呼べる作品になっている。アニメってズルい。

 八月二十八日。米粒写経のライブ。半年ぶりの表参道。こちらもやはり、街の中は以前とまったく変わらない混み具合である。アップルストアには行列が出来ていた。

 ライブ会場は三割強の入り。五十人いるかどうかという人数だった。あれならば座席の間隔をもっと開けてもよかったと思う。
 最近はかなりマンネリズムを感じていた米粒写経のライブだったけれど、今回は佐分利信に特化したネタだったせいか新鮮な笑いがあった。そして、満を持して登場する丹波哲郎のモノマネはやはり鉄板の面白さ。
 ゲストトークは占領地切手の話。正直なところあまり弁の立つ登壇者でもなく、またホスト側も話を掘り下げるのが上手いわけではないので、グダグダ感は少なからずあった。そういう空気も含めてのコーナーであることは分かっているけれど、夜十時ともなれば眠気も襲ってくる。もう少し工夫は欲しいかな。

 八月二十九日。午前中に神保町へと向かう。顔なじみの書店は年内~年明け頃に店じまいらしい。残念である。
 書店で少しく散財し、有楽町へ移動。「混沌のクトゥルフ展」を鑑賞。原画の展示はなく、展示品は総て複製品ないしは拡大コピーだった。正直、あのショボい内容だったら普通に入場料を取ってまともな展示会にしてほしいところだ。もちろん、有料じゃ誰も来ないのだろう。
 そして午後一時過ぎに池袋に到着。とらのあなで漫画を仕込み、ジュンク堂から三省堂へと回る。
 二時を回ったころに飲み会の会場へ移動し、先輩作家の皆様に合流した。ヲタ界隈の方達ではないので、僕はローギアで話題に参加する。内容は主に■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。
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 ■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■した。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。
 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ない。

(上の■は検閲が入ったため修正したものです)

 場所を変えつつ六時間ほど歓談し、解散となった。久しぶりに誰かとだらだらトークが楽しめて満足である。

 八月三十日。とりあえずは完成している原稿の手直し。息抜きに「シャンタラム」を読み始める。
 なぜか会社の同僚が僕に勧めてくれた翻訳小説である。第一章まで読んだのだが、確かになかなか面白い。乱暴に言うと、作者のインドでの生活を私小説風に綴ったものである。インドのアンダーグラウンドな世界のディテールもさることながら、インドに住む欧米人の感覚とインドネイティブの感覚の対比が非常に面白い。
 翻訳小説お定まりの、やたらと長いパラグラフもあるにはあるのだけれど、無理な言葉を使っていないせいかかなり読みやすい。全三巻の大長編なのだけれど、これならわりとあっさり読めそうである。

 八月三十一日。原稿をいじっているうちに八月は終わった。毎度のことながら、夏休みらしいことは一切しなかった。誰かとなにかをしたのも月末の飲み会一回きりである。まあ、こんなものか。

 今月読んだものの中から面白かった作品。必ずしも新刊ではないです。

「鬼塚ちゃんと触田くん」……ここ数年で急速な盛り返しを見せている異種族間ラブコメ。主人公カップルの初々しい感じが堪らなく可愛らしい。「ばかばか」と詰ってくるヒロインがとてもいい。今後ネタが切れてきたときにサブカップルのエピソードに逃げないことを切に願う。

「24区の花子さん」……いつもの吉富昭仁作品なんだけど、ちょっとコワサがある。やっぱり主人公には人間味があったほうがいいな。物語が未だ転がっていないので、今後どうなるのかが楽しみ。ひたすら絵が上手いので、雰囲気だけで面白いという感じはあるけれど。

「MASK 東京駅おもてうら交番」……最近とても増えたライト文芸テイストの作品。けれどもあまりフィクション臭さや作り物じみた空気はなく、ディテールにも凝ったツクリになっている。ディテールといっても、警察小説であるので飽くまで「一般読者の感じるディテール」という意味ではある。毎度毎度ヒロインの晩飯を丹念に書いている点も面白い。


 来月に続く。
 本文は一部敬称略とさせて頂きました。ご了承下さい。

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