2020年月記・弥生

 三月一日。前日からずっと原稿作業である。出かける用事もなくはなかったのだが、かなり遅れているのでキャンセルとした。息抜きは例によって漫画……なのだが、ツイッターで見た「ボールを持ってスクワット」という動画が気になった。普通のスクワットよりも効果が大きいそうだ。実際にやってみる。動画で使われているようなサイズのボールなど家にないので、二リットルのペットボトルを左右の手に持ってみた。確かに十回ほどで肩腰腿に限界が来た。これは効きそうなので続けてみよう。確かライザップでもスクワットが一番多用されるメニューだったはずだ。
(人間の全筋肉の半量以上が下半身の筋肉なので、下半身を鍛えるスクワットはイコール半分以上の筋肉に効く……という理屈である)
 
 ところで、原稿を進めていると必ずと言っていいほどPCの調子が悪くなる。デビュー作を書いていたときにはCPUが、二冊目の文庫を書いていたときには電源ボックスがそれぞれオシャカになった。電源ボックスのときにはまるで原因が分からなかったので本当に焦った。いまはどうやらGPUが悪さをしているようで、起動直後に不意に落ちることがある。仕方がないのでドライバのアップデートをしたところ、嘘のように直った。AMDのアップデートは大体不具合を伴っているという印象があったので拍子抜けである。

 三月四日。担当者から原稿の戻しが来る。今回はやけにレスが遅いなあ……と思っていたら、戻しは真っ赤っ赤だった。時間がかかったのも納得である。これはもちろん執筆作業上絶対に必要だし、あって当然の行程なのだが、赤を入れられれば入れられたぶんだけ凹む(入れるほうは入れるほうでキツい作業だとも思うが)。とは言え、凹んでいてもしょうがないので修正作業を開始する。

 このころ、とある有名なエロゲクリエイターのかたが「いまの若い女性はタンスの抽斗にぎっちりと下着を詰めるようなことはしない。そして、下着も量販店の安くてシンプルなものを買うことが多い。だから、二次元作品で描かれるような、タンスの中に派手な下着がずらりと並んでいるシーンはおかしい。いずれエロゲでもアニメでもそういう描写は消える」というような内容のことを語っておられた。
「なるほど」と納得させられる発言である。作り手はどうしたってディテールを追求する。そうすると必然的にリアリズムを掘り進めることになる。となれば最終的には本物の現実を取り入れざるを得ない。上述のクリエイターの発言はしごく当たり前であるとも言える。
 しかしである。
 僕たちヲタはエロゲにそんなリアルは求めていない。僕たちエロゲーマーが求めているのは、こっちの理想と妄想を都合よく具現化してくれるヒロインと物語なのだ。現実など心の底からどうでもいい。……それともそんなことを考えているのは僕のような萌え厨エロゲーマーだけなのだろうか。極力リアルに則した現実と地続きの世界を描いたほうが、新規ユーザに対する間口は広がるのだろうか。
 かつて宮崎駿が「宮崎アニメにはトイレにも行かないようなお綺麗なヒロインしか描かれていない」という批判に対して「じゃあ君たちはウンコやオシッコばかりするヒロインが見たいのか」と応えたけれど……時代とユーザーのニーズは移ろうものということだろうか。

 三月五日。会社が退けてから図書館に向かう。かなり返却期間をぶっちぎっていたので、本を返さねばならなかったのだ。
 もちろん、感染症騒ぎで閉鎖されている図書館があることは知っていた。でもまさか自分が普段利用する図書館がそうであるなどとは少しも考えていなかったのだ。
 ところがと言うか案の定と言うか、横浜市の図書館もきっちり閉館していた。僕は外出するときは自前の本を持って出たくない人間なので、図書館で本が借りられないと途方に暮れてしまう。
 とは言えまるっきり閉鎖されていたわけではなく、返却・貸出延長・予約引取の業務は稼動していた。返却するために持っていった中には読み終わっていない本もあったので、それだけ延長してもらうことが出来た。これで外出が出来る。
 土日はやはり家にこもって原稿。出かけたくはあるものの、絶対に出かけなくてはならない用事はないので我慢である。

 三月十日。会社から戻ってツイッターを開き、別役実先生の訃報に触れた。小学校高学年のころにANIMAという雑誌で「けものづくし」と出会って僕の読書は一変した。読書の質というのは、その人物の思考と人間性に直結していると思う。そう考えると、思春期以降の僕の個性を形作った最大のファクターが別役先生である。
 いつか自分の著作(成人向けじゃないやつ)を献本出来ればと思っていたけれど、それは適わなかった。今後は先生のご著作を、僕が蔵書する限りレビューしていこうと思う。持っていない本(絶版が多い!)は買い足しつつ、全作品の紹介を目標にするのもいいかも知れない。

 三月十一日。有給を取って役所回り。帰りにラーメン二郎。三ヶ月ぶりくらいに食べたが、やはり身体に沁みる。以前は週一で食べて二郎めぐりまでしていたことを考えると、僕の食は随分と日和った。

 三月十四日。昼間は神保町へ。お馴染みの東西堂書店さんを訪問して不景気な話しなどする。かつてのコミック高岡は如何にもチープなホットドッグ屋へと変じていた。書店が入るという噂も聞いていたのだけれど、無辺なるかな。
 そもそも、去年から今年にかけて都内に開店した飲食店はほぼ東京オリンピックを当て込んだものだと聞く。件のホットドッグ屋もその流れだと想像している。しかし、しばらくは確実に冷え込むであろう世界経済を前にして、皮算用多めの事業計画を立てた人々はどうするのだろうか。
 午後は秋葉原に移動してUCCエヴァ缶の展示を観る。すさまじくチープな展示だったが、物販はしっかり売れているらしく、購入者対象のくじ引きは終了していた。(もしかすると、初日だったので間に合わなくて稼動しなかっただけかも知れない)
 初代エヴァ缶のTシャツが買えたのは嬉しい。

 夕方に入って池袋へ移動する。書店を巡ったあとは西口へ向かい、二丁目にあるパルミラというオリエント料理の店で、物書き仲間と飲食。ハラルの店なので酒は出なかったが、僕たちにはあまり関係がない。青春時代を思い返すヲタトークには酒の勢いなど不要なのだ。それでも後ろ向きな感じがしないのは、みな現在の作品にもしっかり眼を向けているからだと思う。「あの頃は良かった」でしかない会話は思考と感情を停滞させる(気がする)。僕の知る限り、まともに活動しているクリエイターはみななにかしら新しいものを継続的に取り入れている。

 三月十九日。担当者から再び修正が戻る。長い勝負になりそうな予感がする。三連休を控えているのでカレーを仕込む。いつもはトマトベースで作るのだけれど、今回はタマネギベースのカレーにする。
 せっかくなので飴色タマネギを作ったけれど、ネットで見た「タマネギを冷凍して水分を飛ばす」方式を採ったところ、本当に数分で出来てしまった。残念だったのは、使用したラム肉の風味がカレーのスパイスでマスクされてしまったところ。スライスされた肉を使うときは後乗せのほうが良さそう。
 
 三月二十日。ずっとツイッターで話題になっていたワニが死ぬ。同時にワニに関わる商業展開が一挙に発表された。「描き手はプロなんだから商業利用は当然」と考える人も多かったようだけれど、「結局は金か!」と分かり易く荒れるツイッター民もいた。そもそもああいう作品に感動する人々は、自分の感動が商業利用されることを厭うのではないかと思う(同時に、感動の波濤があっさり終息して結局は一銭も落とさないタイプだとも思う)。いざ商業展開されたときにどうなるかが楽しみ。傍観者として。
 ツイッターを全く知らない人々が新規顧客としてどっと釣れる気はするけれど。

 三月二十五日。済ませるべき用事がなくはないのだけれど、原稿の進捗が悪いため家で執筆。半日かけて描くうちにようやくペースが掴めてくる。たまたま一昔前のエロラノベを読み返す機会があったので、それが良い影響になったと思う。

 ツイッター上で「田中ロミオの偽者」事件を知る。まーそうそうバレないだろーなー……と不謹慎な納得。いまはネット上でなりすますよりもリアルでなりすますほうが遥かに簡単だろう。特にエロ業界は顔出しをしない人が多いので、より容易いはずだ。
 そもそも現代社会は「情報はネットで拾うのが当たり前」なのだ。ということは、他者がネットでどんな情報を拾うかは、事前にほぼ完璧にリサーチ出来てしまう。つまり、「オリジナルについて第三者が知っている点も疑問点もあらかじめ分かっている」状態……言い換えれば「なにを訊かれるのかが分かっている」状態へと持ち込むことが出来るのだ。言うなれば「無限の住人」で凛が関所破りをしたあれだ。
「顔出ししていない作家」「SNSには非積極的な作家」「読者とは没交渉を貫いている作家」……このくらいの条件が揃っていれば、恐らく簡単に偽者になれる。
 作家で言えば舞城王太郎あたりは誰でも楽勝だろう。
 その伝でいくと僕の知り合いの官能作家にも手ごろなのがいる。彼ならばなりすますことが出来るだろうという作家だ。問題は官能作家になりすましたところで今の僕と立場が一緒という点だ。

 三月二十六日。リテイクのリテイクの原稿を提出する。大げさな表現をすると、ヌキと娯楽の分水嶺を渡っているような感覚で書いた。これが担当者にどう判断されるかを考えると胃が痛い。

 三月二十七日。予約していたエロゲを引き取りに秋葉原まで行く。ソフマップの五階がエロゲコーナーなのだけれど、一度六階まで上げられて、そこで消毒をしたうえで五階に下ろされる……というどのくらい意味があるのかよく分からないオペーレションがされていた。
 エロゲの発売日はだいたい月末金曜と決まっていて、その日はレジに五十人くらいの行列が出来る。ところがこの日はいいところ十五人程度の行列だった。我らがエロゲ業界もしっかり病魔の影響を受けているようだ。
 時間があったので新宿まで移動する。花金の午後八時とは思えないほどに総武線の車内人口は少なかった。さすがに新宿駅を出ると人通りは当たり前に増えはしたけれど。
 小雨が降り始めた中をまずはディスクユニオンで買い物を済ませて、次にアニメイトへと向かう。時勢を考えると閉店時間が早まっているのではないかと思ったけれど、夜八時を回った時点でレジ待ちには二十人近い行列が出来ていた。もしかすると何かの新刊が発売していたのかも。そういえば壁面にワンスパンで作られたfate(FGOではなくs/n)の商品棚がガラガラだったのだけれど、なにがあったのだろう。
 ユニオンで買ったのは矢島舞依の新譜。嬢メタルというよりもV系メタルという感じの楽曲なのは変わらず。このまま突っ走ってほしいと切に願う。これで人気が出たりしたら確実にアメリカンヘヴィにシフトチェンジするだろう。それだけは本当に勘弁願いたい……

 三月の最終土日はやはり家にこもって執筆。それと確定申告である。そろそろ終わらせないとマズい。それにしても、なぜこの仕組みを学校の授業で取り扱わないのだろうか。少なくとも金資本の現代経済社会では三平方の定理と同じくらい重要な知識だと思うのだけれど。
 去年は本を出していないので金額はちょびっと。すぐに終わった。

 何度かメールのやりとりをしている同業者から、盲腸で入院していたという連絡を貰った。今後なにか体験談でも伺えればと思う。それにしても僕の受けた最大の手術といえば親知らずの抜歯くらいなものであることを考えると、赤の他人に腹を裂かれたうえに臓器の一箇所を持ち去られるという体験は想像もつかぬほど恐ろしい。

 今月読んだ漫画、小説など。たぶん月平均で二十冊程度の新刊を買っているけれど、「良かったよ」とわざわざ文字に起こせる作品は二割程度だろうか。

「OPUS」……今敏の最後の長編コミック。最終回がボツにされたためにこれまで封印されていたところを完全版として出版したもの。ぶ厚さと描き込みっぷりに腰が引けてしまいこれまで積んでいたのだ。「パプリカ」的な多重構造の世界観とサイコティックなキャラクタ群はいま現在で考えればありがちだけれど、この作品が発表された二十五年前にはかなりトンガっていたのではなかろうか。

「あそびあそばせ」……ここのところ、女子中学生のリアルな恋愛観みたいな内容のエピソードが多くて、ギャグ漫画としてはかなり失速してきたように感じていたのだけれど、いきなり復活した感。久しぶりにお腹が痛くなるくらい笑った。

「どろろと百鬼丸伝」……三巻で急激に原作から乖離し始めた印象。これが面白くなるかどうかは未だ分からないけれど、原作において週刊漫画的に殺処分をされていたキャラクタが、死なずに物語と関り続けるという展開は素晴らしい。イタチの斎吾の登場が楽しみである。

「巴里マカロンの謎」……小市民シリーズでは一番ストレートに面白かった気がする。ネタ出しのブレーンがいるのではないかと想像してしまうくらい小山内さんが可愛く描かれているのだ。そろそろこの作品もコミカルなドラマとして映像化してもいいのではなかろうか。

「medium」……もはや一つのジャンルになりつつある超常現象系本格推理小説。相沢沙呼が好んで描く、人間関係に問題を抱えたタイプのヒロインが本作でもとても可愛い。問題は、描写上のある要素が目立ち過ぎていたために、トリックのキモが早い時点で察せられてしまった点だろうか。

「誘拐の誤差」……図書館で借りたのだけれど、異常なまでのドライブ感に四百五十ページを一気に読みきってしまった。これまでに何冊か読んだ戸梶圭太の作品の中でも抜きんでて人物描写が優れている。
 親のスネを齧ってパチンコ暮らしをする若者や、流されるだけの漫然とした生き方をする人間たちを「安物・安モン」と表現する突出した描写力。「土曜日とか日曜日にショッピングモールに家族と一緒にきたもののほっとかれて途方に暮れているババア」という残酷なまでにリアルな表現。あまりのドライさにぞくぞくする。類型的に考えると「闇金ウシジマくん」が一番近いのではないだろうか。
 本棚には置きたくないけれど、定期的に毒素を摂取したくなるタイプの作品だ。

 ほとんど外に出ないとやはり書けることが少ない。
 無事に来月もnoteの更新が出来るといいのだけれど……

(一部文中は敬称略とさせて頂きました。ご了承下さい)

 

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