無題


同級生が、亡くなった。突然だった。


知らせを聞いたその瞬間、体の芯から冷えていく感じがした。

涙を堪えながら話す担任の声も、みんなが鼻をすする音も、どこか遠く、私の頭の上を滑っていった。 
何が起こったのか分からなかった。

黙祷の間に、ああ、この瞬間にも、彼はもうこの世にはいないんだと、やっと、その現実を飲み込めた。
堰を切ったように、涙が溢れた。


クラスの友達と帰りながら、話すのは彼のことしかなかった。
それ以外を、考える余力が無かったから。


あまり目立つタイプではなかったけど、みんなから一目置かれていて、頼りにされていた。
頭脳明晰で、ユーモアがあって、絵がとても上手だった。

彼はそんな人だった。

文化祭のクラス展示も、卒業アルバムのクラスページも、3年分の週番日誌の表紙も。他にもたくさん。
すべてが彼の作品で。

高校3年間で彼がこのクラスに残したものは、余りにも大きく、数えきれないほど、目に見える形で今もある。

私も、一緒に帰った友達も、彼と特別仲が良かった訳ではない。
それでも、彼との思い出は、話し出すと止まらなかった。

そんな存在だった。


個人的には、彼と勝負していたことがある。

彼と席が前後になる授業の教科で、考査の度に点数を競い合っていた。

成績優秀な彼に、私が勝てる教科はそれぐらいしかなかったから。冗談半分でふっかけたら、快く「受けて立つ」と言ってくれた。

今回が最後の勝負だったのに、結果はまだ聞けてない。
でも、負けた気がする。2勝2敗で並ばれたかな。


人は失って初めてその大切さに気づく、とよく言われるけれど、人の訃報に接する度、本当にその通りだと思う。

彼と交わした取るに足らない会話や、目の前にあった背中が、今になって鮮明に思い出される。

身近な人の死を何度経験しても、心に開いた穴の埋め方を学習することはできないのだと、思い知らされる。


担任が、みんなで乗り越えよう、と言った。
ここにはその苦しみを共有できる仲間がいる、と言った。
私には、それがとても救いだった。
帰り道で一緒に泣いてくれる友達の存在が、支えになった。

彼も、そんな友達の一人だった。
彼にとって私がどんな存在だったかは分からないけど、友達だと思ってくれてたなら嬉しいし、とても誇りに思う。



こんなことを書くのは不謹慎かと思った。
それでも文字に起こさなければ、整理できないとも思った。
投稿するべきか本当に迷ったが、勝手な話、私自身noteを、誰かに発信する目的より日記帳のように使っている側面があり、残しておきたかったのだ。
彼のパーソナルな部分には配慮したつもりである。


最後に

どうか安らかに。ご冥福をお祈りします。

楽しかったよ。ありがとう。


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