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金比羅さん

金比羅さんと言えば海の神様という印象が強い。象頭山の金比羅大権現さんが有名でしょうか。耳にしたことのある金比羅さんのご利益といえば縁切りかなぁ?
あまりご縁のない神様だなーと思っていたのですが、越してきたこのエリアは金比羅さんをお祀りしている神社が意外と多くて驚いている。
そんなこんなで、身近にあるのは知っていたけれど疎遠だったこの神様も、登山での金比羅さんとの出会いで最近拝ませてもらってるお話です。

この山で金比羅さんからもらったものがありまして。木の枝なのですが初めて登ったときにちょうど拾ったというか、いただいたというか。まっすぐで、硬度があり、長さもちょうどよく、太さもちょうどよく軽く。
とてもいい木なんですよ。
けっこう使い込んでるので少し短くなって来た感じもしますが、この棒が優秀すぎて登山用のスティックを買うのをためらうくらいです。名付けて金比羅棒と呼んでいます🤭

先日、史跡巡りをしてるときにたまたま金比羅さんがお祀りされていて、お参りをしてからというもの、猛烈に気になり始めてしまい、金比羅信仰などについて色々しらべてみるも、説は色々あるものの、いわゆる土着の信仰のものか長い歴史の中で現在伝わっている性質と本来の性質とはまた違うのだろうなということで拝んでみることにしました。
(こゆうのは拝んでみたほうがいい)

お金の使い道やお金がどんなところに流れていくのか、山の神様との関係もうっすら紐付いてきます。あくまでもイメージであって、言葉にするのはすごく難しい。
語弊があってはいけないのだけど、道筋、道理というものが理解すれば自然とその流れに乗せてくれそう??
そう、大漁の場所へ船を運んでくれるように。

黄金というものは天下泰平のために使われるものでありそのためなら融通がきくというのです。大きなお金が流れるところには地を治めるための力も強くなる。 
考えてみたらごくごく当たり前のことなのですけどね。

いつも思いますが神仏は当たり前のことしか言わない。

そして、金比羅さんを拝み始めてから連日続けて見ている夢があります。
私自身、海にはあまり縁がない。生活の中に海がないので、旅行や遠出をした際、太平洋のでっかい広い海を見ると、遠くから眺めてる分には「わーーー!キレイ!海だ〰!」となるのですが、いざ近付くと波の力強さや水というもののエネルギーの大きさ、迫力に畏怖と感動を覚えます。飲み込まれそうな感覚にクラクラ。
海の生物にも馴染みがなく、本当に不思議な気分になる。
そんな海に対しての日常生活経験ゼロくらいの私が船を手に入れるのです。
どうやって手に入れたかはわかりません。
ぽんと、手に入ったものの目的があるわけでもないのでその船の運用がわからないんですよ。船をどうしたらいいかわからない(笑)

とりあえずどかさなきゃ。え?どこに?
どうやって保管するの?誰が何に使うの?みたいなね。すごく困ってる。
おまけに、海になじむ生活をしてる友人も知人もいませんからなおさら困った。
そんなこんなで考えあぐねている夢を連日続けてみているのです。

数日この鮮明に覚えてる夢でなんとなく起きてる時間もふと思い出して考えてしまう。使うにも、運用するにも、こまったもんだ。
困った夢だなぁ!と夢に悩んでたらハッとしました。
活用するために知識やお金も必要なのだろうけどなに必要かって、使うと決意する「勇気」が必要なのですね。

内陸側で暮らしてる自分が海の生活をするというのは、淡水魚が海水魚になるようなもの。
生き方とか考え方、習慣、なにもかもわからないものを経験していくということ。

夢のなかの私はとにかく船を扱える人に頼ろうと、海の道具を手に入れてもどうしていいのかわからず、とにかく放り出してでも誰かに頼ろうとしてしまう。あてにしてしまう。

夢なのになかなか辛いことを突きつけられました。私みたいな凡人は、旅行で船に乗るくらいしかできないのです。
それを使って自分でなにかする知恵がない。

目的を持って道を切り開く者と、それを便利に利用する者はまったく視点も生き方も違うということです。

もし次に船の夢をみたら海のくらしに意思を固める勇気を持ってみたいと思います。
実際船でなにするよーーー。
まあ、夢の中のことですからね!
悩まずに気楽に描けたらいいよね!

そんな金比羅さんについての雑談でした。
そうそう、金比羅さんのお姿といえば、巨大すぎて全貌が見えていません。
が、波とワニというか亀というか、ワニがめというか、でっかいガメラみたいなモウラみたいな。でかいのでほんの一部しかみえないのですが、もう少し拝んでみて神仏像を育んでみたいと思います🤗

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