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1杯の水

どんな高級なレストランの食事、大好物の食べ物、お酒、珍しい高価なお茶、特別なお菓子よりも、「その時」にもらった1杯のただの水が特別なものになることがある。
慣れてしまえばただの水になってしまう。

つまらない飲み物だ
コーヒーがいい
ジュースのほうが飲みたいな

ある映画で、母子家庭で一緒にすごしてきた母親が再婚することになり、思い悩んで家出をする。もう母と一緒に暮らせない。
進学を諦めて自立をして一人で暮らすと思い立ち上京してみたものの、高卒で社員採用を期待するも就職活動はうまくいかず、希望をうしなってしまう。

田舎の小さな集落にあるお店であんパンを買って一人で思い更けながら食べていた。
店主は少女の様子に気がつき「こっちにおいで、お茶でもいれてあげるから」と店の奥へと招く。
そっと寄り添いながら話を聞くのだ。
心のうちを語りはじめ凍っていた気持ちがほぐれていく。
この時の「お茶」はただのお茶ではないだろう。

さて、これはまた別の話。
以前に世間を賑わせた某新興宗教で傷つき鬼のようになってしまった女性の霊がいた。
彼女は半島の出身で、容姿も美しく地位も高かった。熱心に信仰をしており、いわゆるその組織のなかでもエリートだったようだ。
自分は正しく信仰をしていて良き事だと信じていた。だが結局は、多くのものを奪い、人を傷つけ恨みをかっていた。信仰を強めれば
強めるほどまるで泥をかぶるかのように汚れていく。
次第に怒りに飲まれていき自身が鬼となった。常に怒り狂い、自分が攻撃されないよう他人を盾にしてまで己の保身をする。
鬼となったその者を追い込み1対1になったとき、怒り狂い言葉も通じなくなったその者にコップ1杯の水をだした。

「まあ、水でも飲め。なにがあったんだよ?話してみなさい」

え?水?

突拍子のない言葉に一瞬呆然とした。
攻撃されると思っていたのに、思いやりの言葉に驚いた。怒られると思っていた。
地獄に落とされるのではないかと思っていた。地獄になんか絶対に行きたくないのだ。地獄が怖い。

今一体何が起きているのか?

コップに注がれた水を見て、その水を口にした。飲んだ水がまるで涙になったかのようにすすり泣き、次第に大泣きを始め心のなかにたまっていたものを吐き出しはじめた。
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こんな1杯の水が人生を変えることになるかもしれない。

もしかしたら、この1杯の水が当たり前になってしまったら。
人の善意や気持ちに慣れすぎてしまい、もらうことばかりになれてしまうと、1杯の水に心を潤すことができなくなるかもしれない。
差し出された水を無視したり、水なんかいらないよと捨ててしまったり、さらにはなんでジュースじゃないんだよ、なんてね。

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