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#書評『誰の味方でもありません』を読んで

本日17日、芥川賞の発表がありました。今日が芥川賞の発表だったことを私は全く知らなかったのですが、偶然にも昨日、古市さんのエッセイを読み終えたので、ここに書評を書こうと思います。

『誰の味方でもありません』古市典寿

寂しいタイトルだと思った。

古市氏は社会学者として、『絶望の国の幸福な若者たち』や『だから日本はズレている』などの評論を書いているが、一方で『ワイドナショー』などのテレビ番組にも出演し、そのマルチな才能を様々なところで発揮している。彼の歯に衣着せぬ物言いは、笑いを誘うことがあれば、時にはSNSで炎上もする。いくら社会を批判して炎上したとしても、彼が自身のスタイルを変えないのは、彼はある意味で「正直」すぎる性格だからなのだと思う。

そんな彼のエッセイに私は興味があった。

表紙を開けてみる。

カバーの裏になかなかすごいことが書いてある(笑)

読み進めていくとわかるが、彼は社会の「正論」に対して疑問を投げかけている。その疑問が「正論」とは真逆のことでも、「あれ、確かにこんな考え方もありかも。」と思ってしまう。「正論」を唱えることは簡単だが、それに負けじと彼なりの持論を展開していく文章が面白い。また、彼のエッセイも彼の独特な体験の上に成り立っているので、とても個性的だ。

私がドキッとしてしまった文章を紹介したい。

「観光名所は写真には勝てない」

うん。たしかに(苦笑い)

最近ではインスタグラムなどのアプリで多くの画像を共有できる。その際、投稿するときに少しでも画像をきれいなものにしようと、画像に加工を施す人は多いと思う。この加工が強すぎると、加工の技術が実物の美しさを超えてしまって、本物を見たときに「何かちがう」と感じてしまう。私もこれには深く共感してしまった。目に映るもの以外にも、匂いや温度など、その土地に行かないと感じられないものはたくさんあるが、視覚だけに焦点をしぼると的を射ている気がする。デジタル技術の怖さを感じた。

一時期はセレブの象徴だったタワーマンションだが、高層階ほどエレベーターの昇降に時間がかかる。タワマン住民は、部屋からの景観と引き換えに、毎日多くの時間をエレベーター内で費やしているのだ。

これは、、、考えたこともなかった。

私はお金持ちの人がタワーマンションの高層階で暮らすことに、心からうらやましいと思っていた。しかし、高層階ほど自分の家にたどり着くのに時間がかかる。世の中のセレブたちは、わずかな時間を消費しながら高層階に住んでいたのか。それでも裕福な分、おいしい食事ができたり、旅行に行けたりするのだろうけど...

どうでしたか? 

私は古市さんの独特な視点から新しい思考法を学ぶことができました。それは、「一見正論だと思うことも正論ではないかもしれない」ということです。情報化社会によって、現代は膨大な量の情報があふれています。情報をすぐに鵜呑みにするのではなく、一度頭で考えてから吸収することが、これからの時代は大切になってくるのだと思います。

P.S 来年も芥川賞にチャレンジしてください。応援しています。








これからの可能性に賭けてくださいますと幸いです。