考えること、備えること

両親の老後の計画は決して未熟なモノではなくて、標準的な生活水準を保てるモノだったと思う。
客観的に見ても、親から譲り受けた持ち家で夫婦二人が暮らす為に受ける年金は十分な金額であり、もしもに備える貯金に僅かながら回すことさえ出来ると思われる。

その環境を崩したのは二人同時の入院生活だった。日本の保険制度は高齢者に優しく、介護制度の整備も充実している。求める人に対しては十分なサービスが提供され医療費用も介護費用も1割負担。それでも予定外の出費は家計を削りとることになる。
もちろん一時的な入院やリハビリ通院だけであれば、早々にリカバリできる範囲だと思う。それが長期に渡ると貯金はいくらあっても足りることは無い。

病気になりたいと願って自ら苦しむ人は居ない。
誰もが出来れば年相応であっても健康な生活を送りたいと思っているのではないだろうか。それと同じで、退院の訪れない長期の入院治療を前提に将来を計画する人も居ない。

母は「介護療養型医療施設」に3年前から入院している。医師による医療行為が可能で、リハビリスタッフと看護師が対応してくれる。
施設に不満は無いけれど、ここの費用は安くない。両親の年金を合わせた金額が毎月支払いに消えていく。特別な手術や治療が稀にあれば赤字となる。当然、どちらにしても父の生活費は貯金を切り崩す事になる。姉と僕とで仕送りを始めた。

そんな生活が続いた先にあったのが、父の癌発覚。そして入院治療生活。

長期入院を前提に将来を考えないのと同じで、両親の介護生活に備えて貯金をする子も少ないのではないだろうか。とはいえ、他者によって自分の貯金が減ることで悔しい気持ちが無いとは言わないけれど、必要なお金はいくらでも稼げば良い。
一番どうにもならないのは時間を拘束されること。

僕の場合、週の2日ほど拘束されることが続いた。一方で自分の生活、仕事を進めなければならないので休みが削られていく。でも出費が増えた分、稼ぎは増やさなければならない。身体の疲れは気持ちの疲れにも繋がり、たまに数日動けない日が出てくることもあった。多発性円形脱毛症や軽い鬱的な症状も経験した。

医療や薬が想像以上に発達していることを、ここ数年で実感している。同時にそれは、体力が不十分な高齢者にとっては投薬量に限界があるため薬の効きが弱く、病気の進行が僅かながら進んでしまうこともある。結果的に治療が長引く。そんな状態だった。

両親や家族との突然の別れは、想像出来ない悲しさがあると思う。ただ数年かけて親が弱り死ぬまでの移り変わりと向き合うのもかなり苦しい。
1日1日とできる事が減っていく両親を看ることは超スローモーションの死と向き合うことであり、そんな親を目にするのは苦痛でしかない。

両親共に要介護となるケースは増えてくると思う。こうした事は誰にでも起きることかもしれない。


頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。