見出し画像

【エスパルス】プロサッカークラブの「フィロソフィ」「ビジョン」ってなに?

清水分析同好会 経営分析担当(?)のspulse39です。
今回もエスパルスを題材に、クラブ経営やフットボールのスタイルを示す言葉として、定義が曖昧なまま使われているように思える「フィロソフィ」「ビジョン」について、自分が調べたことや自分なりの解釈を簡単に整理してみます。

J2降格が決まってから、シーズンを総括する記事などで「ビジョンが見えない」などと批判されがちですが、実際のところはどうなのでしょうか。
そして、フィロソフィやビジョンはなんのためにあるのでしょうか。

1.フィロソフィ・ビジョンの定義

まず、さまざまなカタカナ言葉の意味を定義しておきます。

はじめに「フィロソフィ」から。直訳すると「哲学」ですが、この言葉は普遍的な原理や価値観を指す意味で使われます。
これをクラブ経営やスポーツの現場に置き換えると、フィロソフィは人や組織の意思決定・行動の根幹をなす価値観であり、突き詰めるとクラブが存在する意義や目的、またはスタジアムのピッチ上で表現したい画そのものだと言えそうです。

ビジネスにおいては、企業の経営方針などを示す要素として「ミッション・ビジョン・バリュー」が有名ですが、スポーツ(フットボール?)の世界では、このうち「ミッション・バリュー」をまとめたものがフィロソフィと呼ばれているような気がします(下図)。

資料:インターネットを参照(spulse39作成)

続いて「ビジョン」ですが、こちらは概ね5~10年後の時点で到達したい姿、そのときの状態、目標などを可視化したもの
フィロソフィが普遍的・恒久的なものであるのに対し、ビジョンはクラブの内外を取り巻く環境によって変わりうるのも特徴です。
また、当然のことながら、ビジョンは上位概念であるフィロソフィに基づいて設定されます。

2.サッカークラブにおけるフィロソフィ・ビジョン

抽象的ではありますが、言葉の定義は確認できました。
では、フィロソフィ・ビジョンは、なんのためにあるのでしょうか。また、なくてはならないものなのでしょうか

(1)フィロソフィが必要な理由

その前に、サッカークラブをはじめとする「組織」がなんのために存在するのか、少し考えてみます。

企業をはじめとするあらゆる組織が社会の機関である。
組織が存在するのは組織自体のためではない。自らの機能を果たすことによって、社会、コミュニティ、個人のニーズを満たすためである。
組織は、目的ではなく手段である。したがって問題は、「その組織は何か」ではない。「その組織は何をなすべきか。機能は何か」である。

出典:【エッセンシャル版】マネジメント 基本と原則 P.F.ドラッカー 著(上野惇生 編訳)

かの有名な、ドラッカーの「マネジメント」という本は、こうした「なぜ組織が必要なのか」という問いから始まります。そして、マネジメントの役割は ①組織の使命や目的を達成すること、②仕事を通じて働く人たちを活かすこと、③社会の問題の解決に貢献すること と述べています。

また、上記の役割を遂行するために、「我々の事業は何か」を自らに問うて定義することが必要で、それが組織のあらゆる階層の意思決定を統一されたものにする。定義があってはじめて、目標(ビジョン)を設定し、戦略(ストラテジー)を発展させ、資源を集中し、活動を開始し、成果を上げることができる、と記しています。

ここで言う「我々の事業は何か」は、先に見てきた「フィロソフィ」そのものです。つまり、サッカークラブにおけるフィロソフィは、以下の目的で定められると考えられます。

①組織(メンバー)の意思統一、行動基準の共有
・育った環境も考え方の背景もそれぞれ異なる、組織に属するメンバー(経営者や社員、監督・選手・スタッフ)のベクトルを揃え、組織の使命や目的の達成に向けた行動を促すため
・同じ目的を共有するメンバーが活き活きと働く環境を整えるため

②目標や計画に対するフィードバック
・フィロソフィに基づいて定められたビジョンや戦略、戦術(計画に対する行動の成果)を振り返り、よりよいものに改善するため
・限られたリソース(人材や設備、予算など)を、効率的に運用するため

出典:Jリーグ「クラブ経営ガイド」

ここまで見てみると、フィロソフィはどうやら組織にとって不可欠なものであることがわかります。
では、フィロソフィは誰がどうやって作るものなのでしょうか。また、ビジョンはどのように位置づけられるのでしょうか。

まず、くどいようですが、フィロソフィは「使命や目的」を示すものなので、サッカークラブにおいては立ち上げの経緯や創業時の想い、立地する地域や母体となる組織が持つ歴史・文化などが大きく反映されます
その決定には、クラブに関わる全てのステークホルダー(クラブ内部の人間だけではなく、スポンサーやサポーター、行政、市民など)が関与します。決して、時の経営者が一人で決めるような類のものではありません。

(2)ビジョンが必要な理由

一方、抽象的な概念であるフィロソフィを実現するために、誰もがイメージできる数年後の画をアウトプットしたものが「ビジョン」です。中長期的な目標であるビジョンを具体的に描くことで、中期的な戦略・計画や、短期的な戦術、さらには日々の行動に一貫性を持たせることが可能となります。

また、ビジョンの策定には、現在のクラブを取り巻く環境を正しく把握し、未来の在り方を予測・イメージすることが不可欠なので、策定時点のクラブとしての現状認識や先行きに対する考え方が色濃く反映されます。

ビジョンはイメージであり目標なので、フィロソフィとは異なり修正が可能(むしろすべき)です。ビジョンはフィロソフィに基づいて作られるため、その修正は進む方向性を大きく変えるものではなく、通常は走っている車のハンドルを視線に合わせて微調整する程度のものになります。
方針にがんじがらめになるのではなく、変化を捉えて軌道修正するための軸だと考えるべきでしょう。

一般に「ビジョンがない」と称される状態は、以下に大別されると考えられます。

(1)ビジョンはあるが、解像度が低い(いつまでに何をどうしたいのか、
いわゆる5W1H)
(2)ビジョンを実現するための手段が講じられていない(下位概念である「計画、戦略、戦術」など)
(3)ビジョンが現状認識や未来観と明らかにずれている(実現性が低い)
(4)ビジョンも計画もあるが、行動に一貫性がなく、外からはないように見える

現実的には、程度の差こそあれ、上記1・2は少数派で、ビジョンの欠如と言われるのは、多くが3・4のケースではないかと想像します。
もちろん、戦術レベルの現場に近い話は競争優位性にも関わってくるので、簡単に外部に開示できるものではありません。世間は、なんでもかんでも手の内を晒してオープンにしろと言っているのではなく、情報開示によってビジョンに向かってやり遂げるクラブの意思や覚悟を問うているのです。


ビジョンに関しては、「現状を良くするために最善を尽くす」という観点から、敢えて策定しなくてもいいのではないか?とも考えられますが、私はやはり定めるべきだと思います。

前述したように、ビジョンがないとクラブがやるべきこと(課題)を設定できず、PDCAサイクルも回せないため、施策が属人的で行き当たりばったりになります。誰かが組織の使命や目的に照らして誤った判断をしそうになった、あるいはしてしまった場合に、問題がどこにあったのか、うやむやになってしまいます。
組織運営が上手くいっているときは問題が顕在化しにくいため、ビジョンがなくてもなんとかなるケースがありますが、うまくいかなかったときに原因を突き止め改善することができる状態にしておくことが肝要です。なぜなら、とりわけ市場環境に恵まれない地方クラブにおいて、リソース(人材や設備、予算など)の無駄使いは、経営上もチーム強化の上でも死活問題になるからです。

(3)フィロソフィ・ビジョンには2種類ある

ここまで、それぞれの言葉の意味や必要性を考えてみましたが、サッカークラブにおけるフィロソフィ・ビジョンには、大きく分けて2種類あります。

ここで、サッカークラブの組織について、会社全体を指す「クラブ」と、フットボール部門を指す「チーム」と分類します。

フィロソフィ・ビジョンには、①クラブ全体を貫くもの と、②チーム(フットボール)に関するもの があり、決める順番も①クラブ⇒②チーム(フットボール)となります。
上図のとおり、チームはクラブの1つの機能にすぎず、クラブの方針に基づいてチームの活動が規定されるからです。これは一般企業と同じ(経営方針から部署の方針が決まる)です。

さらに、チームの強化(トップチーム)と育成(アカデミー)には相関関係があり、クラブのそれに影響を受けます。
アカデミーを、クラブにとって若い選手を育てて移籍金を獲得する手段と捉えるのか、トップチームの柱となる選手を育成する機関と位置づけるのかで、フィロソフィ・ビジョンもまるで異なるものになります。

3.エスパルスのフィロソフィ・ビジョン

ここからは、エスパルスを題材に考えてみます。

(1)エスパルスにフィロソフィ・ビジョンはあるのか

とかく「ビジョンがない」と言われるエスパルスですが、それが何を意味するのか、改めて明確にしましょう。

エスパルスのクラブフィロソフィ(基本理念)は、「わかちあう 夢と感動と誇り」です。これはサポーターにはよく知られているはずです。
一方で、その理念を体現するものとして「世界レベル」「地域のシンボル・誇り」「最強のチーム」という言葉があるのは、意外に知られていないのではないでしょうか。

では、クラブのビジョンはどうでしょうか。何か頭に思い浮かぶフレーズがあるでしょうか?

ここでいうビジョンは、「世界レベル」「地域のシンボル・誇り」「最強のチーム」がどういう状態なのか、いつまでにどうやってそれを目指すのか、それを表現したものです。ここ数年のクラブの情報発信を見直してみましたが、確かにそういったものは見当たりません。
しかし、時を遡ること7年前、2016年(J2降格直後)の新体制発表記者会見のページには、それらしきものを見ることができます。

(2)2016年~のビジョンと施策

①クラブ経営について

「経営規模を変えずに、1年でJ1に戻す」ために取り組んだこと
1.強化費を維持するためにクラブの経営規模は落とさない(予算の精査)
2.軸となるサッカーの骨格を明らかにする(選手編成、新監督の検討)
3.現有戦力を全力で慰留する

資料:清水エスパルス 公式サイトをもとにspulse39作成(以下の図表も含む)

ビジョンがやや抽象的ですが、「Jクラブ一の闘う集団」を目指すことや、営業基盤を拡大するための地域事業への注力など、クラブとしてどうありたいか、そのためにどうしていくかが明確に記載されています。

また、チーム強化費を落とさないために、どの程度の年商(クラブの経営規模)が必要なのか、Jリーグ全体の状況や顧客のニーズ、未来の姿などを勘案して、数値目標が設定されているのがわかります。

②チーム強化について

フットボール部門においては、闘争心・身体能力などフィジカル面に焦点が当てられており、J1昇格後(未来)を見据えて、足りない部分(現状認識)を的確に見極めて強化する姿勢が感じられます。
また、クラブが主導して組織改定や行動規範の制定、分析手法の導入などが計画されており、決して現場の監督・スタッフ任せではないことも読み取れます。

監督の選定もクラブの戦術ありきで行われており、納得感があります。
また、ビジョンの中で育成に言及しているのも興味深く、この時点でU12カテゴリーの拡充が長期的な競争力強化に結びつくことを予測していた様子がうかがえます。

実際にこれらの施策が全て実行されたわけではないと思いますが、重要なのは、こうしたクラブのビジョンをサポーターも共有していたことではないかと思います。今振り返ると、球際に拘るプレーやハードワークに対してスタジアムで拍手が起こるなど、ビジョンがクラブ内部にとどまらず公開された影響は大きかったと感じます。

2016年(J2降格)以降のクラブの歩みは、上記ビジョンの最終年度である2018年に、1桁順位をもたらす形で一旦結実します。

その2018年、クラブは変化を選択します。
会長に鈴与の鈴木健一郎社長が就任し、GMにはかつてエスパルスを上位に押し上げた久米一正氏を招聘。記者会見で鈴木会長は「基本理念に立ち返って再スタートを切る」と宣言したうえで、以下のように述べています。

今のエスパルスにとって大切なのは全体を俯瞰する長期の視座と、ぶれない軸をしっかりともって、経営を進めていくことであり、これが経営の基本だと思っております。
我々の定めたぶれない軸というのは、エスパルスの基本理念、新たに明確化したエスパルスが目指すべきサッカービジョン、さらにそれを実現するための行動指針であり、一つひとつの基本を徹底することによって、着実に進歩していくクラブにしていきたいと思っております。

資料:清水エスパルス 公式サイト

しかし、久米GMの急逝により、脆い地盤しかなかったクラブは、拠り所を見失っていきます。このとき明確化されたというサッカービジョン「清水らしい魅力的なサッカー」は詳らかにされることなく、2020年には社長交代を契機に「RE-FRAME」としてゼロベースからの再構築を決断。その後の凋落はご存じの通りです。

ここで言いたいのは、左伴社長が有能だとか、山室社長がなにもしていないだとか、そんなことではなく、組織として立ち返る場所があるかどうか、そして、そのイメージやメッセージを社内外で共有することによって、全員が同じ方向を向いて進むことができるということです。

(3)ビジョンはどのように定めるべきか

2023シーズンから再スタートを切るにあたり、清水エスパルスというクラブが中長期的にどうあるべきなのか。そして、清水らしいサッカーとはなんなのか。
これには人それぞれの意見や解釈があって当然なので、クラブを中心に喧々諤々と議論を重ね、フィロソフィに沿った結論を導けば良いのだと思いますし、決める責任は経営者やGMだけにあるわけではありません。

重ねて言いますが、フィロソフィやビジョンは、組織としての意思を統一したり、計画を振り返って改善したりするためにあるものです。
結論そのものよりも、決めるまでのプロセスやその後の関わり、クラブを取り巻く関係者の当事者意識が、なにより重要です。今のエスパルスからは、どこかコミュニケーションの淡泊さや他人事な印象を受けます。

ちなみに、なんの参考にもなりませんが、1つの考え方を以下に図示してみました。これをきっかけに、サポーターも皆で一緒に考え、議論し、クラブと一緒にアイデンティティを確立していけばいいと思います。
そして、その意思をクラブ内外で共有し、スクラムを組んで前に進むこと。「夢と感動と誇り」を「わかちあう」とは、そんな姿ではないでしょうか

【参考】世界レベルのクラブ(チーム)になるためには

クラブフィロソフィの中に「世界レベルのプロサッカーチーム」とありますが、単純に経営規模で世界を目指すのならば、現時点での世界との差を正しく認識する必要があります。
こうした背景を知ったうえで、どんな領域で「世界レベル」を目指すのか。自分の意見は、また別のエントリで書いてみたいと思います。

4.おわりに

清水という地域には、サッカーに関して先人たちが積み重ねてきた歴史があるがゆえの強い自負があるからこそ、保守的で変化を恐れる意識が蔓延っているように思います。以前とは環境が異なるのに、既存メディアを中心に「サッカー王国の復権」などと懐古的な表現が多用される背景には、変化を阻害する文化・言論・雰囲気があると感じることがあります(確証はありません)。
また、市民をはじめとする多くのステークホルダーがクラブ設立に関与した経緯から、クラブが内外から寄せられるさまざまな声への配慮を求められてきた背景もあるはずです。

自分は一介の会社員なので経営者の苦悩を知る由もありませんが、この清水という地域において、クラブ経営やチーム強化の責任を負う方が、たとえ前向きな変化であろうとも、何かを変えようとする自らの方針を世間に晒すことが、とんでもなく勇気がいる行為なのは想像に難くありません。
2022年のホーム最終戦、エンディングセレモニーで山室社長が言った「見捨てないでください」という言葉には、そんな恐怖や迷いを感じました。

ただ、あの日、あの場所に残って社長の話を聞いていた人の多くは、エスパルスとともに人生を添い遂げる覚悟がある人たちだと思うのです。そして、最終節に札幌へ応援に行った方々も、DAZNで固唾をのんで祈っていた方々も、エスパルスにとっては「お客さん」ではなく「仲間」です。
社長やGMが1人でスポンサーやサポーターの想いや覚悟、責任を背負い込むのではなく、みんなで同じ方向を向いて進めばいいと思います。

足並みを揃えるには、クラブがメッセージを発する頻度を増やすことはさることながら、それを翻訳して伝える人物や媒体も必要です。クラブは伝える努力をもっとすべきだし、サポーターもメッセージを理解するためのアップデートが不可欠です。

2018年から2019年にかけて進めた「リブランディングプロジェクト」(エンブレムやブランド指針の更改)は、まさにクラブとサポーターが一緒に悩み、意義を学びながら創り出した、大きな成果の1つだったと言えます。
この過程で、クラブは60名を超えるステークホルダーへのインタビューを皮切りに詳細な検討作業を重ね、最終的にファン・サポーターから2,000件以上のコメントが寄せられたそうです。
私たちには変化に対する恐れもありましたが、こうしたプロセスがあったからこそ、現在のエンブレムを受け入れ、愛着や誇りを持つことができています。ビジョンを共有することも、これと同じではないでしょうか。

みんなで一緒に、生涯愛すべきエスパルスを創っていきたい。J2からの再出発という苦難の道に、せめてそのきっかけとしての意味ぐらい持たせてほしい。そう願いながら、この駄文の筆を擱きます。お読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?