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清水大樹が教育事業を志すまで。②

前回のつづき

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目がうつろなまま大学入学!笑 
何があったのかは、前回の「清水大樹が教育事業を志すまで。①」記事をどうぞ。
https://note.mu/shimizudaiki/n/ne22d76ec8643


今回の記事の簡単な流れ

【1.2年生】 バイト、サークル、お酒に明け暮れる楽しい日々
【2年生冬】 他大学の大学生との出会いで価値観・世界観広がる
【3年生春】 いろんな人と話してみたくて、ヒッチハイクで旅。
初めてこの社会について考えた。みんな死にたいとか思わずに楽しく幸せに生きてたらいいなーって思った。あら、幸せってなんだ?ってなった。
【3年生夏】 「あなたの幸せってなんですか?」いろんな人の幸せを聞きまくるヒッチハイク日本縦断の旅。案外、何気ないことが幸せって答える人ばかりだった。そんな中、自殺志願者に出会う。思い悩み、突然の旅終了。関係性を育み、学び合える環境づくりを京都でするんだー

大学1,2年生

お酒、バイト、サークルに明け暮れた。

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2年生の冬、大学生活を謳歌し、あとは就活を成功させて銀行マンになるだけって思ってた。銀行マンになるつもりで経営学部会計ファイナンス学科だった。就活に備え、あとは遊びまくる4年生という大学生活の展望にどこか物足りなくなってたら、たまたま友達に誘われたイベントで、めちゃくちゃ思考が深くて社会課題を掲げて精力的に活動する大学生たちに出会った。
衝撃だった。

新しい人と出会うことが、こんなにも自分の価値観や世界観を広げるのかと思い、もっと自分の価値観を広げたいと思うようになった。

大学3年生 春

出会いを求めて、ヒッチハイクで日本縦断することに。
目的は2つ。
1、売れる営業マンになるために世間話力をつけたい
2、北海道から沖縄まで、いろんな世代の人と話をして、価値観を広げたい

自分の成長の為に行った旅。
感じたことは、人の温かさ、尊さ、そして地球の美しさだった。

旅中に出会った、自分の夢に向かってるかっこいい大人に、
「次の世代を頼む」って言われた。

次の世代?

ああ、たしかに僕も社会の一員か。

社会のことなんて考えたことなかった。ただただ売れる営業マンになり、小金持ちになり、早く結婚して幸せな家庭を。自分の幸せしか考えていなかった僕が、急に問われた。僕はこの社会で、何ができるんだろう、何がしたいんだろう。

「自殺する人、いや、死にたいと思って生きてる人が減ったらいいな」

純粋にこう思った。当時、統計では年間3万人の自殺者。自殺未遂なども合わせるとその100倍と言われていた。思えば、僕は身近に自死した人が数人いた。自死した人の気持ちはわからないし良いも悪いも僕にはないけど、その自死の知らせを聞いた人が泣き崩れて発狂してる姿は幼いながら鮮明に残っている。僕自身はあの人たちの自死を受け入れられずに現実とあの世の境目も分からなくなった。小学低学年の時に見た、映画ほたるの墓、過呼吸になるくらいに布団の中で静かに泣いた。

 鬱になってる友達がたくさんいた。リストカットしちゃう人もいたし「自傷行為を友達がしちゃうんだけどどうしたらいいんだろう」「親が死にたいって言ってるんだよね」って、悩む友達がたくさんいた。自暴自棄になって無差別殺人に僕の友達や友達の友達が巻き込まれちゃったら嫌だなーって思った。友達の友達がそんなことになったら、友達は絶望してて、その友達に僕はどんな風に寄り添ったらいいんだろう。絶望しか感じなかった。

僕の願いが叶うなら、死にたいって思ってる人がいない世界がいいなと純粋に思った。僕はたくさんの人に支えられて、多くの友達に仲良くしてもらって生きてきたし、日本中で出会った見知らぬ人もみんないい人素敵な人だった。みんな幸せでいてくれたらいいなってそう思ってしまったから、不安で不安でたまらなくなったから、動き出すしかなかった。ふとその時、「幸せってなんだ?」って思って、人によって違うであろう「幸せ」というものを考えたくて、ヒッチハイクの旅は「幸せを探す旅」に変わった。

大学3年生 夏 

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出会って仲良くなって、さよならする時に「最後だけ真面目な質問させてください〜あなたにとって幸せな瞬間は?」って聞いてスケッチブックに書いてもらうという1人旅企画。

「お金持ちになる」とか「豪邸に住む」とか、どんな野望が聞けるんだろうって思ったら、返ってくる答えは案外「仕事から帰った時に娘が玄関まで迎えにきてくれる瞬間」「友達とBBQしてる時」とかだった。現代人にとっての幸せは、日常の中にあるのかもしれないって思った。人間関係が良好で困窮しないほどほどのお金があれば結構幸せじゃね?あと健康も大事か。

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そんな中、仙台でショッキングな姿を見ることに。
仙台のセンター街、ガヤガヤしてるアーケードをふらふらと歩いてたら、深く帽子を被った少年が座りこんでスケッチブックをパラパラめくってた。

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「孤独」

「絶望」

「空虚」

「自殺したい人相談にのります。もしくは、のってください。」

そんな言葉を座り込んでパラパラとめくってる少年の姿に、僕は少しの間立ち竦み、そして、立ち去った。

こわくて何もできなかった。助けるなんて論外、話しかけることさえも。
自分の無力さと共に、社会に対する怒りと憤りを感じた。

 なんで彼はああなったんだろう。相談する人は?親は?先生は?友達は?近所の人は?みんな何やってんだろう。。。知ってるのかな。。。

二日間悩み、僕の旅は終了することにした。

自分の身近な人に優しくあれる、声をかけれる、他人に対して自分から温かく関わることができる人が増えたらいいなって思ったから「関係性」をキーワードに、互いに学びあえる安心安全の場を京都に帰ってつくろうと思った。頼り頼られる関係が生まれる環境を。愛も力も育まれる、弱くて強い環境を。旅なんてしてる場合じゃなくなった。2010年、大学3年生の夏。

旅を終えて京都に帰ったら、自分が何をやっていくのか悶々と悩んだ数ヶ月が待ってた。考えること考えること、既に誰かがやっていた。自分の存在意義を憂いた。特別になりたかったのかな。沖縄人の親友に「誰がやってようと関係ないでしょそれなら仲間でしょ。自分のやりたいことに突き進めよ甘ったれてんなよ」って言われてやっと立つことができた。それ以降は京都に帰ってからのアクションの話だからまたいつか。

おわりに

僕が教育事業を志したのは、こういう経緯です。
生きてきた中で出会ったたくさんの人たちみんないい人だし、幸せに生きてたらいいなーって思ったというシンプルなもの。幸せに生きるためには、幸せな日常を守らなきゃって思った。

無差別殺人のようなテロ、通り魔が起こる可能性を下げたい。犯人だけが悪いなんて口が裂けても言えない。その人も人の子。社会がそうさせたのかもしれない。幸せだって思えてる人が1人でも多い社会に。

互いに頼りあえる社会のために、みんなで学び合うことだと思った。答えばっかり求められる社会の中に「答えとかわかんないよね。一緒に考えよー」って環境があることだと思った。だってみんな悩んでるじゃん。迷惑かけるのだってお互い様でしょ。迷惑はかけないようにじゃなくて、かけさせてもらいながら、自分も誰かにとってなにか役立ちながら、誰かにとっていてくれてよかった存在になりながら、共に生きていく。これって超難しいからそういう力を育む。「関係性」をキーワードに、学び合う。死にたいなんて思い続けずに、幸せだなーって思えて生きてる人が多い方が自分も嬉しいし幸せだし。

2010年大学3年生の時にこれを思い、それから9年間、何も変わってません。大学時代の友人からは「まだやってるの?笑」とか「変わらんなー」って言われます。宗教とか偽善者とかいろいろたくさん言われてきたけど、今となっては全ての声が有難い。
9年間、頼り頼られる心理的安全性の高い学びあえる場所を必死に追求してきました。毎日悩むし、不安だし、葛藤しています。同時に、希望や可能性を感じています。事業性をもって、取り組んでいきたい。

目の前の人のこと、好きだし、何か力になれたらいいなと思って今日もたくさんの人とお話させてもらいながら、学び合いながら、幸せに僕は生きてます。つらいこと、目を背けたくなること、たくさんあるけどね。

でも、前みてやるしかないしね。

隣の人、笑ってますかー!

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クラウドファンディングに挑戦中です。正念場。応援よろしくお願いします!
【追記】2,448,000円を250人もの方からご支援いただきました。
2019年6月13日に、達成し終了しています。

https://camp-fire.jp/projects/view/150261




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