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生誕80年・没後40年 ジョン・レノンとともに読書を④

 今年はJLの生誕80年・没後40年という節目であるせいか、命日である12月8日を中心にさまざまなメディアでJLが取り上げられていました。そこで必ずといっていいほど言及されるのが、JLの歌の世界とは対照的に、『Imagine』が歌われておよそ半世紀がたつ今も、世の中に争いや憎しみが絶えないということでしょう。あれは「JLスーパーライブ」でしょうか、忌野清志郎が「ジョンが今生きていたら、どう思うんだろうね、この状況を。世界で戦争が終わらないじゃないか。21世紀になったら戦争が終わると思っていたのに」と言って、『Imagine』の、とびきり素敵で激しいカバーを披露してからももう10数年が経っています(この感動的な映像はYouTubeで見れます)。JLやKIのことを理想主義者という人もいるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか。世界を構成する一人一人が真に争いを望まなければ、戦争は起こりようがありません。JLもKIもとても理知的で現実的ではないでしょうか。なんとも人類の歩みはのろいと思わずにおれません。

○『袋鼠親爺の手練猫名簿』T.S.エリオット 柳瀬尚紀 訳

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 この本をもとにしたミュージカル『CATS(キャッツ)』は、JLの死の翌年1981年、イギリスの作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーによる台本と作曲で生まれ、ブロードウェイ史上に残るロングラン・ミュージカルとなりました。今も世界中で愛されていますが、それがT.S.エリオットの詩をもとにしていることは、案外、知られていないかもしれません。

 T.S.エリオットは、どういう人かというと、訳者の柳瀬尚紀の解説によれば「詩、詩劇、評論など僕は学生時代から彼の作品のほとんどすべてを読みました。そして断言できますーーこの人はすごい人だ。どんなふうに、どれくらいすごいかを、今は語るスペースがありません。信じていただくしかない」。仲間と作った詩の雑誌に、エリオットの代表作『荒地』の名を付けた詩人の田村隆一は、「『荒地』の最初の一行から真の20世紀の詩が始まった」と言います。その一行とは「四月は残酷極まりない」というものです。この詩をエリオットが書いたのは、1922年。第1次世界大戦と呼ばれるように、人類が初めて世界規模の大戦を経験して、それまでの価値観が瓦解し、新たな価値を生み出さなければいけない時代に、先頭を切って第一歩を踏み出したのがエリオットの詩だ、というわけです。

 JLが殺された1980年、私が通っていた高校では毎年全校生徒(先生も)が映画館へ行き映画を鑑賞する日というのがあって、その年はコッポラの『地獄の黙示録』でしたが、その中でマーロン・ブランド演じる天才と狂気が紙一重の軍人カーツ大佐が朗読していたのがエリオットの詩でした。エリオットがノーベル文学賞を受賞したのは、第2次世界大戦が終わって間もない1948年。しかし、その後も、ベトナム戦争をはじめ、人類の愚行は繰り返されています。世界はまだ荒地のままなのかもしれません。

 エリオットが子供たちに宛てた手紙に添えるかたちで、個性豊かな猫たちを詩に書いたのは1930年代のこと。それらが1冊の本『袋鼠親爺(ポサムおやじ)の手練猫名簿』としてまとめられたのは1939年でした。ちなみに「ポサムおやじ」とはエリオットのニックネームです。生きづらい時代に、シリアスで厳しい作品を書く一方で、エリオットはなんとも愉快な詩を書いていたんですね。

 JLもまた時代ときびしく対峙しながらも決してユーモアを忘れませんでした。平和を訴えるために「ベッド・イン」して記者会見するとか、差別や偏見への対抗手段として袋を体に被せる「バギズム」とか、一種のギャグというか、ジョン&ヨーコはやはりエンターテイナー、けっこうな夫婦漫才ぶりなのです(映画『イマジン』を観るとよーくわかります)。

 窓辺に寝そべる愛猫を見ながら、JLは「生まれ変わるとしたら猫になりたい」と言っていたそうです。今頃、どこかでお昼寝でもしているのでしょうか?

文・絵 清水家!(弟)

※記事上の写真は、昼寝から目覚めあくびする、わが家の愛猫です。15才のオス。人だと76才くらい。推定誕生日はJLの誕生日のあたり。

↓こんなミニプレスを作りました。ジュンク堂書店吉祥寺店6階レジ付近で開催中の選書フェア『ブックマンション×ジュンク堂書店吉祥寺店 コラボ企画 第一弾』』コーナー、清水家!の棚に置いてあります(12月31日まで)。よろしければお持ち帰りください。

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