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人生というVR空間

人生のバーチャル感から脱出するために
貧乏に向かって全力疾走してきた、謎の戦いの記録をここに記す。

24才で新卒で入った会社。年収500万円
27才で鹿児島に移住。  年収200万円
30才で退職。      年収 50万円

先月、30歳の誕生日を迎えた。
預金残高は4円になった。

が、その悲惨な響きと裏腹に、
人生の幸福度はいまピークに達している。


お金の輝きが消えた世界で

欲しいものは何でも買ってもらえた。

とくに裕福な家庭だったわけではない。
公務員の父と専業主婦の母。ど田舎。
一人っ子だったからか、子供にお金を惜しまない家庭だった。

8歳の時だったと思う。
友達と駄菓子屋に行こうという話になった。
それを母に伝えると、お金をくれた。

5000円だった。

店中の駄菓子を買い占められる。
8才男子にとって、世界を買える大金だ。
友達の予算は100円だった。


5000円、あるいは「∞」の概念との出会い。
あの時の駄菓子屋の光景はトラウマになった。

ワクワクの光が消失し、時の止まった虚無空間。

この異空間は「死」を連想させた。
祖母の最期を看取った病室と同じだった。

「有限性こそが生に価値をあたえる。」

とおもった。小2の夏。

✳︎✳︎✳︎

無限が生みだす虚無を恐れたぼくは、

「お小遣い制にしてほしい」と母に提案した。
 
願いは叶えられ、
次の日から、我が家でもお小遣い制がスタートしたのだが、

手わたされたのは、1日500円だった。

これは月1万5000円になる。
友達は月300円だった。

貯金箱の中で無限に増殖するマネー。
当時の小さく芽吹いていたぼくの金銭欲は、
大量放水によって溺死した。


人生というVR空間

物欲が去勢された状態で過ごした青春時代。

お金とは、社会と自分の接点だ。
その接点が完全にブラックボックスだった。
社会と自分は分断され、人生からリアリティが消えた。

バーチャルな人生に、
ほんとうの悲しみ、惨めさ、挫折は存在しない。
その裏返しである幸福感も存在しない。

即物的な興奮や刺激だけが、唯一のリアルだ。
芸能人の子供がクスリに走る理由もよくわかった。

幸い、ぼくの場合、受験が興奮と刺激を与えてくれた。人生というバーチャル空間の中で、一番面白いゲームだったとおもう。
親も誰ももとめてないのに、東大を目指し、入った。


リアルを求めて

「生」をとりもどす希望の光は、就職だった。
経済的に自立すればかわると思って、就職した。

驚くべきことに、バーチャル感は増幅した。
これは完全に予想外だった。

就職先は、東京のIT企業。
何百万人のユーザーから、何百億円のお金が集まって、そのうちいくらかが自分に入る。

物欲なく育った僕には給料は十分すぎた。
食べたいときに寿司をたべても全然なくならない。

収入を増やしたいとも思わない。
そんなことをしても幸福度は上がらないどころか、バーチャル感がまして、人生を破壊するような気がした。

けっきょく3年で退職した。「若者」あるある。
当時は教育がやりたいとか、いろいろ理由をつけていたが、バーチャル感のある生活を破壊したかったのが最大の理由だと思う。

つまり、貧乏になりたかったのだ。


田舎生活のリアル

鹿児島の長島という町にいくことになった。
いわゆる「島」である。

年収は200万円になった。

年季がはいった新居の生活環境はなかなかで、
家の床はシロアリで崩落し、畳のカビで咳が慢性化した。

めちゃくちゃ生きてる感じがした。

田舎あるあるの、
やさいのおすそ分けも身にしみた。

そんな鹿児島生活は幸福だったが、
2年経ち、違和感に気づいた。
再びバーチャル感に襲われたのだ。


ゼロへの狂走

ぼくは貧乏ではなかった。
そもそも年収200万は、鹿児島の、特に田舎では平均と大差がない。

その上、家賃はほとんどどかかっていないし、
僕のいる島は一次産業が盛んで、
廃棄品もふくめて大量の食料が物々交換で流通している。

ファッションビンボー。
お酒も飲まない、食も細い、物欲がない僕は、
とくに出費を意識して切り詰める必要もない。
食うに困ることは全くなかった。

その事実に気づいたときから、
嘘の「生きてる感」が崩れ去り、
身体がバーチャルに蝕まれ、ゆっくり「死」が近づいてくる気がした。

そして、鹿児島での仕事を2年ちょうどで辞め、

「芸人になる」と宣言した。実質の無職宣言である。


そして涅槃へ

そして30歳の誕生日、
銀行預金の残金は4円になった。

お金がゼロに近づくにつれ、生の充実感は無限大に近づいた。

ご飯がない日は、とんでもなく惨めだが、
反面、すべての食べ物、手を差し伸べてくれる友人の存在にとてつもない幸福感を感じる。

30歳の僕は、
8歳の時にみた駄菓子屋の虚無感の対極にいる。
世界の全てが、有り難く美しい。


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