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接客ってめっちゃ、クリエイティブ職。

オランダ人の自然な接客が好き。仕事中でも歌ったり踊ったり他のスタッフと話したり。客のこちらも見てて楽しくなる。

キャバ嬢 とか ホステス とかは接客するのに言葉なくしてサービス出来ない(はず ← 行ったことないから想像でしかない)のに、ネコとかフクロウとか、「ただそこにいるだけ」で客からお金いただける、とか、存在価値どれだけ高いねん、てなる。猫カフェとかの話。笑

接客で気づいたんやけれど「いらっしゃいませ。どうぞご覧くださいませ」って、別になくてよくないか?ってなった... 見たい客は自分で見るし... ロボットじゃない(ロボットでももうすぐ出来そうだけれど)人間がその場にいるから出来る声かけ、とかもっと考えればいいのに。そんな声かけするため、のためにその場に居続けなあかん仕事、とかあたし苦痛でやってられんわ... お金以上に、そこにいる「時間」を自分が払ってるっていう感覚ないのかなぁ... 時間は有効活用したらいくらでも何でもできると思う...

提案力、みたいなものが売り「場」には求められてる気が、色んな場に立ってみて思う。使い方の提案だけじゃなく、生活者が買ってよかったと納得するための理屈の提案も含めて。消費者の自己正当化の代わりを提案者がやってあげると罪悪感が少なく買える、みたいな。

買うべくして買ったものかどうか、は、その人が買った後にそれをどう使っていくかに左右されると思うので、買った瞬間にそんなことは判断できないと思う。から、他者が「いいお買い物しましたね」って言ってあげると、なんか、良かったと思える、というか。

物事には色んな見方や感じ方があるし、時代も変われば昔は正しいと実証されていたものもそうじゃなくなったりする。だから、現時点で最もらしい理屈がその行動に伴うのなら、納得できる、というか。

そんなことを、ここ最近のママさんを見ていて思う。笑

「説明上手やねぇ〜」て言われることがナカノヒトからあるんやけれど、どう説明したら相手の疑問点や引っかかりどころが解消されるか、を考えて説明してたら、こうなるしかないじゃないかと内心思いながら、。

だから、生身の人間が前に全くいないのに『いらっしゃいませ』の呪文をただひたすら唱えてる接客も謎だと思うし、その「場」に立ってる自分が売りたい対象は誰なのかを分かったら、そこから自然な接客って生まれてくると思うんやけれどなぁ。たとえば、飲食やったら提供価格に応じての接客でいいと思う。

チェーン店みたいな、コスパ重視で客が来てるところに手厚い接客は別にいらないと思うし、そこにまで日本らしい?おもてなし?サービスを過剰に要求する客にも、うーむ、と思う。それなら、ちゃんとサービス料込みでええとこ行ったらええやん、と。

客のランクに応じた接客をする外国人が清々しい。なんでもとりあえず「お客様」だからって、ペコペコしてたらそりゃなめられて客から言い放題やと思われて色々言われるわ、。

コンビニやファストフードで色々注文や文句を言ってくる客とか... いやいや、ってなるw それだけ要求するのなら、もっとお金を落とすべきだし、コンビニやファストフードにそれを求めちゃいかんでしょ...

外国人客と話すと「なんで、ここはこんなに英語話せる人がいいひんのや。あなた稀有やわ。色々がっつり聞けるからすぐ買えるわ(大阪弁ver.)」って本当によく言われる。外国人(特に大阪ラグジュアリー店舗に来てる、中華系の)は「良いと思ったら迷わない、すぐ買う」人が多いので、接客が楽...

本をたくさん買って、たくさん読んで、たくさん書きます(たぶん)