言語化して初めて、世界への解像度は上がる。

言語化を大事だと思っている人は多くいるが、それがなぜかを言語化できる人は少ない。

僕は社内で、何か壁にぶち当たってるメンバーがいれば、「まず言語化しろよ」と言っている。それは課題抽出だったり企画づくりだったり、またはレポートを作成する場面でも同じだ。分かってないやつほど「やってますよ」と言う。どれどれ、と見てみると、ただ情報や発言が羅列してあるだけ。それは言語化とは言わない。

言語化とは、自らの解釈を通して、物事に対してオリジナルの輪郭を与えることだ。と僕は思っている。その輪郭が、世の中的に正しいかどうか、みんなの共感を集められるかは、まずは気にしない。自分の言葉で世界を切り取ることに意味がある。

なんとなく思ってることと、一行に表すことは、理解のレベルにおいては天地の差がある。テレビで芸人やコメンテーターの「あーそうそう」みたいな言葉は、自分でも言えそうだけど意外と言えない。喋りでの補足なしに紙だけで伝わるドキュメントを作るのはプレゼンなんかよりも難しい。やってみれば分かる。なぜできないのか。それは自分がなんとなく分かってるだけで、実はモザイクがかかってるくらいの解像度でしか、その対象を理解できてないからだ。

つまり言語化することは、言葉でのアウトプットをする云々ではなく、世界への解像度をあげるプロセス。だから僕は重視してるし、それができない企画屋は信用しない。どんなに右脳的な、感性的なアウトプットを生業にしてる人であっても、一流の人はみんな言語化力は高い。それはそれだけ世界を観察し、思考し、解釈しているからだ。(だからオリジナルな表現をつくれる)

仕事のミーティングで、ただウンウンと頷いてるやつは、SNSで言えば「いいねボタンを押してるだけ」だと思う。それはやってる風で気持ちはいいし、多少の空気づくりには役立つが、プロジェクト推進のコアになることはない。結局、自分なりに言語化して提案していくことでしか、役割も居場所も手に入らない。ツイートでもペーパーでもいい、恥を恐れず言語化することから始めるしかないのだ。

僕も昔はよく「お前の言ってること意味わからねぇよ」とか「長えよ。一言で言えよ」とかボロクソに言われて傷ついていた。でも毎日のようにやっていたら、気がつけばそれで飯が食えるくらいのレベルになった。言語化は筋トレと似ている。やればやるほど必ず上達する。そしてその力はすべての基礎になる。明らかにアイデアの質が上がるはずだ。というわけで、ハッとした人は、まずはこのnoteを読んで感じたことを言語化してみるといいかもしれない(シェアしてね笑)


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高木新平

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コメント3件

アウトプットとそうでないものを区別するのは何だろう?と考えていたところに「世界の解像度」がグッと刺さりました!ありがとうございます♪
高木さんのお話をトークショー(勝手に生きろ博覧会)でお聞きして、高木さんにとてつもない魅力を感じました。どうしたらそんなに感じてることを言語化し、的確な言葉がでてくるのかな・・と、同時に自分がいかに何も考えていないかを思い知りました。言語化できる人は普段からちがうのだと思いました。高木さんnoteが最近とても刺激になります。高木さんと同郷なのがすごくうれしいです。大好きです!(と、早速言葉にしてみました)
ぼくは自分や人のモヤっとしたネガティヴ感情の言語化は習慣として行なっているのですが、つい先日、酒屋さんから味覚レクチャーを受け、個人的には苦手分野としていた「食の言語化」にも最近チャレンジするようになり、まさに世界の「解像度が上がった」と肌で感じました。まず専門分野においては、言語化に長けている先人から教えをこうこともありなのかと思います。
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