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個性と惰性を履き違えるな。

最近、娘の学校説明会などでスーツを着る機会が多い。僕は企画業という仕事柄、Tシャツと短パンというラフな格好が多く、スーツは慣れていない。むしろスーツを着ることに対して抵抗感すらある。

そんなわけだから“スーツ着用”って書かれていても、なるべく手を抜こうとしてしまう癖がある。普段手ぶらだから鞄を持たなかったり、暑ければノーネクタイにシャツだったり。まぁそれでも我慢して着てる分だけ偉いと思ってた。

ただ、その様子に見かねた妻が、あんたなぁ…と呆れた顔して問うてきた。

「なんなん?そのスーツの着こなしは?」

いやいや、ちゃんと着てるやん。と答える俺

「あんたさ、スーツはなんのために着ると思う?」

えっ、、場の風紀を乱さないためでしょ。

「あ〜その解像度だから、そんな中途半端になっちゃうんやなぁ。スーツはエチケット。接した相手に気持ちよく感じてもらうため、つまり、気配り思いやりや。あんたは普段ストリートスタイルかなんかよう知らんけど、フレンチレストランでの食事で“あ、うちストリートスタイルなんで!”とか言いながら手で食べられたら不快でしょ?あんたの格好はそれと一緒。」

なんなんだ、その例えは。。まぁでも暑ければノーネクタイシャツでいくのがクールビズじゃないの?

「ジャケットは手に持つのよ。それが基本やで。あんたさぁ、そこまでして何を守ってるん?スーツの流儀に合わない、あんたの個性を中途半端に出してきて何がしたいのよ。むしろそんなんで消える個性を守ってどうすんの?個性ってもっと強いもんやで。内側から滲み出るもの。本当に個性の力を信じる人なら、コスプレでも役割でも徹底的にやり切るもんなの。個性を惰性に履き違えたらアカン。」

。。。

「宮崎駿も“常識の分からないやつには個性も出ない”って言うてるやん。じゃあもしな、部下が世の中やクライアントの視点に立ててない企画書あげてきたら怒るでしょ?クライアントワークに、俺の個性入れたいっすとか言って、自分の好みの企画案とかデザインとか入れてくるアホ。それと一緒や。むしろ相手の視点に立って考え抜いたら、結果的にその企画から個性ははみ出して世の中に伝わっていく。あんたも自分で言うてたやん。言い訳みたいなスーツじゃなくて、本物を誰よりも本気で着こなし。徹底的にやりや。」

はい。。


俺の妻はほんとうに強い。子どもに対しても同じようなスタンスだから凄い。大変やけど、でも真摯的だと思う。そんなわけで、もし個性を言い訳に中途半端な惰性をしてしまってる人は、僕と一緒にぜひ反省してください笑