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自動運転は、くだらない場所格差から、ぼくらの生活を解放する。

2年前、仕事で一本のコンセプトムービーをつくった。


2020年の日本。多くの地域が過疎化し、電車やバスも廃止され、生まれた場所で生きていくことすら難しくなってしまった。そんなまちを自動運転が救うという物語だ。(これはIT企業DeNAが自動車産業に参入するにあたって、業界の規制緩和を目指して、政治家や世論に対してメッセージングする文脈で制作したものだ)

なぜ、こんなことを思い出したかと言えば、サウナに入りながらテレビを見ていると「団地」の特集をしていたからだ。そこで出てきた団地は東京圏で3DKなどでありながら、家賃なんと1-2万円/月。建物は多少古いがボロ屋敷ではないし、こんな物件あるのかと純粋に驚いた。(僕が知らなかったからだけかもしれないし、極めて特殊な事例を見ただけかもしれないが。)

全然、僕も住めるなと思った。家賃というのは実に馬鹿らしい。ちょっとした場所の希少性で、とんでもない浪費を強いられる。こんなことで格差が生まれ、コミュニティも均質化しているなんて、馬鹿馬鹿しい話だと思った。

確かに、テレビで見た団地などは不便ではある。路線の駅だとか、駅からさらにバスで10分だとか、急な坂道の上だとか。帰宅が遅かったり、酒を飲む機会が多い僕にとっては、実際に生活するとなると困る。地域そのものよりもアクセスの点で。

ただ、それも電車やバスといった公共交通機関や、自分で運転する自動車など既存の交通インフラに頼った生活を前提としているからだ。テクノロジーが進化し、自動運転が普及すれば、上記のような懸念は不毛になる。常に自由な車移動を手にすることができれば、路線の本数や、徒歩10分の差、坂道の有無などは、たいした差で無くなる。現在の家賃相場なんて崩壊するだろう。

そうすれば、都市に人口が集中する中での狭い土地の奪い合いも減るし、今はまだ一部の富裕層に限られている自然豊かな地域からの通勤(そもそも通勤も不要になるかもしれないが)も多くの人にとって現実的な選択肢になる。当たり前だが、異常な満員電車によるオールアンハッピーな出勤も、痴漢をめぐる人間不信な事件事故もなくなる可能性が高い。

世界には色々な技術革新があるが、自動運転は間違いなく、僕らの生活を圧倒的に豊かにするだろう。インターネット以上に、場所から人々を解放してくれる。ゲルマン人の大移動じゃないが、自動運転は様々な形で人々の移動させ、今のいびつな社会をなめらかなものへと変えていくだろう。

ただ、それが早く実現するかどうかは、技術以上に人々の態度にかかっている。(ロボットに仕事が奪われるなどといった)既得権益による恐怖訴求に、ぼくらの想像力が負けてはいけない。イメージの勝負だ。そういうところに僕がやるべき仕事はあるのだろうと、サウナの帰り道に思った。シャワーしたばかりなのに、歩いたせいでさっそく汗をかきながら。