見出し画像

嫉妬する仕事。

僕は面接するときに必ず聞く質問がある。それは「あなたが嫉妬する仕事は何ですか?」というものだ。他の人や会社が手がけた仕事を見て、「うわぁ悔しい。なんで俺じゃなかったんだ。俺がやるべきだったのに!死にたい…」と唸ってしまう仕事のことだ。

なぜかと言えば、やりたい仕事は何かと言語化しようとしても、いろいろなキーワードが出てくるばかりで輪郭ははっきりしない。むしろ具体的に嫉妬する仕事を挙げたほうが、どういう仕事を目指しているのかが浮かび上がりやすいからだ。

例えば、今年のカンヌ広告祭で賞を総なめにした「#FearlessGirl」というアイデアがある。これは、世界の金融ビジネス聖地NYウォール街にある力の象徴としての牛の銅像『チャージングブル』。その正面に、国際女性デーの前日に、立ち向かう姿の少女の銅像を設置するというもの。たったそれだけ。

ただ少女像は、働く女性、多様性が持つ力の象徴として、100万件のツイートを生み出し、世界中で報道され、一大観光名所になった。コンテクストという波に乗り、社会の一部となって議論を生み出すことで、価値観を前に進めたのだ。

こういうシンプルで強いアイデアに嫉妬する。事例を挙げようとすると、何か海外を引き出しがちだが、日本にも素晴らしい例はある。

国土を巻き込んだ、大競争。

時は、1948年までさかのぼる。当時、日本は戦後まもなく、GHQの支配下で経済復興を進めていた。その中で豊田喜一郎は、国産乗用車の開発・販売を推し進めていた。画期的なS型エンジンを搭載した第1号車(SA型)は「トヨペット」と名付けられ、トヨタの自信作だった。

今では信じ難いが、その頃はまだ、車はアメリカのもので国産車なんて夢のまた夢だと思われていた。だからトヨタの製品レベルを国民は誰も信じてはいなかったという。そんな状況を打ち破ったのが、「急行列車と競争させる」というアイデアだった。以下、トヨタの公式サイトから引用しよう。

SA型の性能を広く知らしめたのは、名古屋・大阪間を急行列車と競争したイベントである。毎日新聞の記者が持ち込んだ企画で、国産車の実力を見極めようというものだった。1948年8月7日、朝4時37分発の下り列車が名古屋駅を動き出すと同時に、SA型が線路と並行する道路を走りだした。クルマには新聞記者とカメラマンが同乗しており、不正が入り込む余地はない。通行する道路では事前に警察から制限速度を解除する許可をとってあり、都心部以外では存分にスピードを上げることができる。

SA型が大阪駅に到着したのは、8時37分だった。急行列車の到着予定時刻は9時23分で、46分の差をつけての圧勝だった。SA型は235kmの行程を、平均時速60キロで走破したのである。この快挙は、翌日の新聞に派手な三段見出しの記事となった。

なんとシンプルなアイデアだろう。一つのアクションで、プロダクトの価値と国の希望を、同時に描くことに成功している。もちろん僕は当時の状況を知らないが、きっとこの出来事を体験した人は、衝撃を受け、周囲に語ったに違いない。リスクと引き換えに獲得した、最高のブランディングだ。(それはPRとしても、ある意味ネイティヴアドとしても秀逸だ)

僕もNEWPEACEも、要するに「アイデアで社会を動かす」という仕事をしている。その時に大事なのは、手段に囚われないことだ。いろんなメディアや制作技術が次々と生まれている今、どうしても手段やプロセスに目が行きがちだが、それは細かいアイデアの種でしかない。(そしてそれらは大体、短命の話題にしかならない。)

素晴らしい仕事というのは、世界を熱狂させる。だけではなく、時代を超えて、その仕事に携わる人たちに基本を教え続けてくれる。