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育休ライフ 13周目

今週で6月もおしまい。
育児休業も3か月が終了、残り9か月。
娘との生活は順風満帆で、自己研鑽もおおむね順調に進んでいる。
体調不良もセカンドオピニオンをいただいた病院での診察でほぼ完治。
健康であることも幸せを感じて日々過ごしたい。


娘の成長①
娘の言語理解が相変わらずぐんぐん伸びていて、日常生活レベルの意思疎通はほぼ取れるようになっているように感じる。娘に聞かないとわからないが、娘が要求を伝えるときの伝え方も少しずつ人間らしくなってきた。
少し前までは泣きわめいて要求していたことも、今では「〇〇したい~」と泣きわめきながら要求できるようになった。どちらも泣きわめいているけれども。笑(いつも泣きわめいているわけではない)
上記のようになる場面も減ってきて、諭すと自分で折り合いをつけようとする様子も見られるから、情緒の成長ってすごいなあと感じている。
私自身が、娘に求めていることが少ないので、基本、娘の要求にはこたえるようにしている。それもあって、たまにこちらが要求することを渋々のんでくれてるのかもしれない。

最近はスマホのカメラ機能の存在に気づき、カメラを向けるとポーズをとるし、撮影後は「見る~」と言って、撮れ高を確認しに来る。すでに自分がどう映っているのかを認識しているのだと思うと、子どもの発達って面白いと感じる。数日前は、自分が写った動画を見て大爆笑していた。どれだけ自己肯定感高いのよ…。素敵な感性を持っているな、娘。


私の夢叶う
私の夢の一つ、「家庭菜園で育った野菜を我が子が収穫して食べる」が先日叶った。今の家庭菜園には夏野菜が植えられていて、ミニトマトが収穫できるまで成長している。娘を連れて行ったところ、はじめはよくわかっていない様子だったが、私が収穫したミニトマトを食べさせると、
「トマト~」と言って自分で畑に入り、ミニトマトを収穫した。
マイホームを持ったら家庭菜園をして、育った作物をいただく夢がずっとあったので、それが叶いとてもうれしかった。

野菜はもぎたてが一番おいしい。娘もそれがわかるのか、その日以降、外に散歩に行くたびに、畑の前を通ると「トマト食べる~」と言って、もいでは食べている。まだまだ収穫できるので、これからが楽しみである。


悩みはつくられる
4月初めは、娘の食事について悩んでいたが、3か月たってほとんど悩みはなくなってきている。あのときは「嚥下が難しいたんぱく源」を食べてくれないことに悩んでいたが、3か月で徐々に自然と食べるようになってくれた。

よく「悩みはつくられるもの」と言われるが、まさにその通りだったと今になって思う。悩んでいたのは自分だけで、娘は成長段階の”そのとき”がくるのを待っていただけかもしれない。
私が解決のために保育士や栄養士に聞いて回ったり、アドバイスを基に食事内容をくふうしたりすることは、娘にはプラスに働いたと思うが、それよりも私が様々な手立てを講じて不安を払しょくしていくことで、娘への接し方が柔らかくなったり娘が安心して食事できるようになったりしたことのほうがプラスだったかもしれない。
娘の気持ちを聞くことができないから、あくまで見立てにはなってしまうが、過度に心配しないことがのびのびとした成長につながる面もあるのだと学んだ。



教育職の尊さと待遇について
育児をするまでは、育児は”学校現場の教育の延長”と思っていたところもあったが、全く違った。育児のほうがより丁寧な観察が必要で、その結果から行う行動の引き出しも”学校のソレ”とは全く異なるから、新たに獲得する力が多々あったと思う。逆に育児で培った力は学校現場で応用可能だと思うから、この経験は活きると考えている。


やはり、年齢が下がっていくほど育てる技術は高まっているんだなと感じる。それは中学校から小学校へ異動した際にも感じたことだし、今こうやって育児することでも感じること。それなのに、保育士と教員の賃金を見ると…年齢が下がるほど賃金が低くなっている。こういった状況を改善しない限りは、いい人材が教育現場に残らないよなあと考えずにはいられない。


保育士だけではないが、やりがいのために給与を気にせず働ける人はごく一部。皆さんそれぞれに生活があり、子育てがあり、親の介護がある。趣味もあるし、夢だってある。すべてに時間とお金がいる。それを知っている人、特にその思いが強い人ほど、教育現場からいなくなってしまう。そして、いなくなってしまう人ほど、教育現場に必要な人だったりする。
つまり、教育職への待遇を改善しないと、教育の質は下がる一方だと思う。私が関わっている範囲でも、保育士さんはとても熱心に働かれている。支援センターの方もとても丁寧で子供たちのことを思って様々なことを企画してくれる。そういった思いのある方が、より働きやすくなるような、よりその仕事に没頭できるような環境を整えていけたらいいと思う。
政治家の皆さん、頼みますよ、ほんと。笑



考える時間を持つことの価値
以前も書いたが、時間があると考え事が多くなる。
この思考する時間が忙しいと持てなくなる。現代の多くの人は考える余裕すらないのかもしれない。これってちょっと危ない。
考えないといけないことも考えないようになると、世の中の動きが見えなくなってくる。世の中で起きていることの本質が見えなくなってくる。ここ数年で起きた出来事、ここ数年の政治の動き、ここ数年の世界の流れ…私が働いているときは、そんなこと考える暇がなかったが、いま改めて調べていくと、過去の自分が本当に正しい選択をしていないことに気づく。
どんなに忙しくても思考は止めない。これは自分の教訓。そのためにはニュースを見る、そしてニュースだけでは情報が足りないからそれに関連した情報を得る、思考して判断する。といったプロセスをふんでいきたい。33にもなってできていないことが恥ずかしいが、そんなことを考えられないほど多忙な生活になっている要因を考えると、やはり長時間労働にたどりつく。来年度からは手放す勇気をもって、教育で本当に大切なことを大切にし、慣習でずるずる続いてきた業務を手放して自分が納得できる働き方を目指したい。


今週も最後までありがとうございました。

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