じしんのはなし③

こんばんわ。週の頭。帰りの電車は混みますね。
台本を開く事が難しいのでこちらを更新します。

周りが見えなくなるくらい夢中になれること、好きになれることは尊いことだと思います。

ただ、それが許されるのは経験が浅いうちだけです。これはどんなものでもそうで最近は年齢よりも経験の部分にこれが当てはまると強く思います。

そういった意味では自分は、18歳で価値観の転換期を迎えられた事が幸いだったように思えます。

自信を持って、捨てること。
これはきっと口にするよりもずっと難易度の高い事のように感じます。

周りの20台半ばを過ぎた俳優たちはこれが出来ずに苦しんでいる人が多く感じられます。

自信を持てるほどに打ち込むことも
そこに至る方法論やナレッジを捨てることも

同じくらい難しく、怖いことのように思えます。

ただ乗ってしまえばどうってことのない絶叫マシンのように、捨ててしまえばなんて事はなかったように感じてます。

ただ、捨てたからと言ってすぐ何かが劇的に変わるかと言われるとそんなことはありませんでした。

きっと今では僕を語るアイデンティティの一つになったかもしれない殺陣に関してもこの後初めて触れることになります。

あの頃からやり方がわからないなりに刀を振ってきました。
最初は切られました。ここから5年近く、斬る事よりも斬られることの方が多かった。

1初めての手は逆袈裟でした。今は一番鋭く振れると自分で思ってる剣です。たくさん、やった笑

そこで頑張りを認めてもらえて、兼任で役をもらえました。チャンスはあったけど、最後まではやらせてもらえませんでした。

そこで誇れることがひとつでもあるとしたら、腐らなかったこと。

そりゃ腐りたいほど落ち込んだりしたけど、それでも、だとしてもそれは世界で一番無駄な事だとわかっていました。

憧れた、カッコいい、なりたいと思った大人たちの中には少なくともそういう人はいなかったから。
これは経験談ですが、憧れている人がいるなら、真似をすればいいと思います。

言葉も、考え方も、作品も。

追うなら本気で追えと、真似してることがバレて言われた事がありました。

途中で消える奴が殆どだと笑って言っていました。
あなたからはもう、随分離れてしまいましたが今も本気で追っていると思います。

僕が本気で追いかけてみた結果、今32歳ですが32歳当時のかの人に随分と似てきたと言われました。
あくまで一部。全部ではありません。
だけど少しずつ、ただの真似っこに年月をかけて中身が追いついてきたのかもしれません。

真似は別に悪いことでは無いと思います。
利害や権利が関わる真似はだめですけど。

絶対に一緒にはなりません。本当に。

少しとっちらかってきましたがオリジナリティおか、自分というものを商品にしようとする人ほど周りが見えず、自己の価値を見誤り、自爆しているような気がします。

色んな自分ではない要素で構成される自分なのに、それを見失うと結果はまぁ、お察しなのではないかと思います。

僕は西田大輔さんを人生の師であると思っています。演劇を、成り上がる為の方法から、大好きなものに変えてくれた。その上で今の仲間たちと繋がるかけがえないのない絆にしてくれたこと。
本当に感謝しています。

18歳から真似を初めて30過ぎてやっと追いついてくる。
いつだって時間がたくさんかかって嫌になるけど、今じゃないとダメだった事もたくさん、たくさんあると思います。だからこれが、自分にとっての最速だったのかなぁと思います。
大好きな漫画のSBRでも、尊敬する武田航平くんも同じことを言ってました。

時間がかかることは悪いことではないけれど、それが最速でなければ意味はないと思っています。

13年ほど前、初めて木刀を握って走り出した小僧は今32歳でも一本だった木刀を二本に増やして走り続けてます。

見えなくなるまで背中を追いかけて、その背中が遠く見えなくなって、しばらく一人で走って、寂しいなと思っていたらいつのまにか横とか後ろに今の仲間がいました。

捨てて、また始めることを何度も繰り返してここに来てるから思います。

捨てることを、変えること、変身を恐れては発展は無い。

21歳を迎える頃に、小僧は二度目の転機を迎えます。
続きはまた。


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