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「超変革」の道のり

「超変革」誕生の経緯

2006年以降、何度もAクラスに入りながらも優勝を逃し続けて10年目。この年、2015年も3位には入ったものの、またしても優勝を逃した。課題は明白だった。鳥谷敬、福留孝介、M.マートン、福原忍、安藤優也ら主力をはじめとしたチーム全体の高齢化と、レギュラー固定の戦い方を続けてきたことにより江越大賀、岩崎優ら一部の若手しか生えてきていなかったこと。これ以上同じ戦い方をしても、先はどんどん苦しくなることはわかりきっていた。そんな中で2015年10月17日、歴史が動く。前回優勝時のチームの柱であり、「アニキ」の愛称でファンにも親しまれている金本知憲の一軍監督就任である。

課題山積なチームの再建を託された金本は、就任会見で次のように述べている。

・見てて面白い、ワクワクするチーム作りを目指す。
・監督、コーチ、一軍、二軍、フロント全てが結束して戦う集団に。
・1つのアウト、1つのプレー、1つの塁、そういったところをちゃんと大事にしていくこと。
・そのために選手の意識を変え、練習を変える。
・伝統的にホームランの打てるバッターが出てきていないので、振れる選手を育てる。
・チームを勝たせる監督になる。

これが超変革の目指す先、理想であり、そして原点である。これらを成し遂げるため、早速金本は動く。まずは、コーチ陣を大幅に刷新。矢野燿大、香田勲男、金村暁、片岡篤史らを新たに招聘し、コーチ陣の若返りを図った。
さらにドラフトにも参加し、2008年以降の7年中6年で投手をドラフト1位指名していたチーム方針を大きく転換させ、明治大学の外野手・髙山俊を1位指名。くじ引きを巡っての騒動は大きな話題を集めた。続けて2位でも同大学の捕手・坂本を獲得するなど野手強化の姿勢を見せた。
監督就任直後の秋季キャンプにも変化が見られた。「明るく・厳しく」をモットーに掲げ、挨拶や返事などの根底から意識改革に着手。また、前年まではあまり取り入れられてこなかった実戦的な練習を多く行い、強く振る力を持つ選手を育てるためにスイングの量も増加させた。その改革は2016年の春季キャンプでも継続される。全選手の体力・筋力を強化するために練習メニューには「ウエイト」が組み込まれ、ランニングの量も増加。クールの終わりには選手全員による「リレー」が行われ、「明るく・厳しく」のモットーを体現する練習として話題になった。さらに鳥谷や能見といったベテランにももう一度パワーで勝負することを求め、その姿で若手を引っ張ることを期待した。

オープン戦の時期になっても、試合後にウエイトを行うなど、筋力強化の姿勢を継続。また、試合では積極的に若手を起用し、新たな選手の台頭を促した。それに応えたのが高卒3年目の横田慎太郎であった。横田は俊足と高いパンチ力で期待を受けて積極的に起用されると、結果を残し続け、この年のオープン戦最多安打に輝く。他にも、過去の実績に関わらず多くの選手を起用。例年とは確実に違うシーズンの幕開けに、間違いなくファンはワクワクしていた。

「超変革」元年

2016年3月25日、金本監督初陣の日。発表された開幕オーダーは、前年とは明らかに異なるものだった。

2016年 開幕スタメン
1 左 髙山俊
2 中 横田慎太郎
3 三 M.ヘイグ
4 右 福留孝介
5 一 M.ゴメス
6 遊 鳥谷敬
7 二 西岡剛
8 捕 岡崎太一
9 投 R.メッセンジャー

1・2番には大卒1年目の髙山と高卒3年目の横田を並べた。いずれも一軍経験はなく、この開幕戦がプロ初出場であったと考えると異例の打順だ。さらに捕手には岡崎を起用。岡崎は2005年にプロ入りしながらも、前年までの11年間でわずか41試合の出場にとどまるなど、一軍実績はほぼない選手だった。結果的にこの試合は敗戦となるが、試合中にも投手のメッセンジャーが盗塁を仕掛けるなど、これまでとは明らかに違った戦い方を見せた。開幕戦はいわば今シーズンをどのようなメンバーでどのように戦うかを示す所信表明の試合である。この試合で金本は実績関係なく選手を登用する姿勢、若手を積極起用する姿勢、チームとして積極的なプレーをする姿勢を前面に押し出した。

これらの姿勢はシーズンが進んでも変わらなかった。例えば、当時育成選手でプロ入り後一軍出場のなかった原口文仁が二軍で好調と見るや否や支配下登録し即一軍へ昇格させ試合で起用した。さらに原口が結果を出すと、一軍の捕手として使い続けた。また、当時連続フルイニング出場が600試合を超えていた遊撃の鳥谷が攻守に綻びを見せるようになると、高卒4年目の北條史也を代わって遊撃に据えた。一軍登板経験のなかった田面巧二郎をいきなり勝ちパターンとしてマウンドに送ったこともあった。
終わってみれば前年より順位を1つ下げた4位であったが、支配下登録選手70人のうち61人を一軍の試合で起用するなど、年齢・実績問わず様々な選手にチャンスを与えた1年となった。その中でも特に野手では髙山、北條、原口が、投手では岩貞が一定の成績を挙げ、「超変革の申し子」と呼ばれるようになる。再建期を託された監督の1年目としては上出来と言える働きをしたと評価していいだろう。
オフのドラフトでは、前年に続き話題を集めた。この年は投手豊作と言われており、阪神は前年1位で野手を指名したこともあって、1位指名は投手だというのが大方の予想であった。ところが、金本は野手の大山悠輔を1位で単独指名。誰も予想できぬ動きに会場はどよめいた。指名の理由は「将来的にレギュラーになれる日本人野手の少なさ」だ。強く振れる野手の育成を掲げている金本にとって、逃すわけにはいかない人材だったわけである。阪神はこの年のドラフトで大山含め8人を指名、その中には後の二塁レギュラーとなる糸原健斗(JX-ENEOS)も含まれていた。

「超変革」進展

年は変わり、2017年。金本監督になって2年目の春がやってきた。注目はオリックスより新加入の糸井嘉男と、そして何よりドラフト1位の大山だ。金本は大山を一軍キャンプに呼び、日本代表との練習試合でも起用。キャンプではあまり結果が出なかった大山も、この練習試合では活躍した。それでも、金本は大山を開幕一軍には置かなかった。実は、球団フロントと金本は大山に対して綿密な特別育成プログラムを組んでおり、二軍でウエイトなどを課すことで基礎体力付けとスピード・パワーの更なる向上を狙ったのだ。しかし、ここで「良い意味での想定外」が起きる。本来はシーズン終盤の一軍デビューを予定していたが、大山の成長速度は予想を遥かに上回っていた。大山はわずか3ヶ月で一軍デビューを果たし、その後新人ながら4番にも抜擢されることとなる。
「良い意味での想定外」は続いた。若手を積極起用するチーム方針の煽りを受けて試合出場が減っていた中堅勢が意地を見せたのだ。前年45試合出場にとどまった31歳の上本博紀は二塁のレギュラーを奪還、粘りとパンチ力を両立した打撃で2番打者に定着した。30歳の俊介は規定未達ながらもキャリアハイの打率3割、4本塁打でOPSは.800を超えた。前年は大怪我をした28歳の伊藤隼太は左の代打の切り札としてサヨナラ打も記録。そして極めつけは前年登板なしに終わった32歳の桑原謙太朗だ。桑原は自己最多の67試合に登板し防御率1.51、圧巻の成績で最優秀中継ぎ投手に輝いた。他にも岡崎の初本塁打、サヨナラ打など中堅勢の活躍が目立つ一年となった。また、前年フルイニングが止まった鳥谷も打率.293と復活、福留やFA加入の糸井、ブルペン陣では高橋聡文や藤川球児などベテランの活躍も際立った。

一方で、「悪い意味での想定外」も目立った。前年「超変革の申し子」として名乗りを上げた高山、北條、原口、岩貞らは揃って数字を落とした。期待の若手として頭角を表していた横田は脳腫瘍にかかり、試合に出ることができなかった。中谷将大は自身初の20本塁打と結果を出したが、江越や陽川は一軍で結果を残すことはできずに終わった。また、外国人の不発も問題となった。唯一の助っ人野手だったE.キャンベルは明らかに大砲ではなく、開幕にも出遅れるなど完全に期待外れ。急遽途中獲得したJ.ロジャースも期待に応えたとは言いがたかった。
それでも、順位は前年の4位から2つ上げて2位へ浮上。若手の巻き返しと中堅ベテランの意地、そして外国人野手が噛み合えば優勝もあるのではないか──そう思わせる戦いぶりが見られた年となった。

「超変革」暗転

オフに大和がFA流出したものの、待望の助っ人大砲であるW.ロサリオを補強し開幕を迎えた。前年にルーキーながら高い打撃能力を見せた大山、糸原も開幕スタメン入りを果たした。金本が監督になって3年目、集大成を見せるシーズンが始まった。
ところが、開幕からなかなかチームは上手く回らない。なんとか勝率5割近くで耐えながらシーズン前半を消化したが、助っ人ロサリオには暗雲がたちこめており、期待の大砲である大山、中谷は揃って不振に。前年二塁のレギュラーだった上本は故障離脱し、三塁から二塁に回っていた鳥谷も不振を極め連続試合出場が止まってしまうほどであった。なんとか遊撃から二塁に糸原を回して遊撃には植田海を入れ、一塁には陽川を入れることで穴埋めを行っている状態だった。投手陣も藤浪晋太郎や秋山拓巳がローテを守れず、リリーフ陣も故障が相次いだことで小野泰己や才木浩人、岡本洋介らがなんとかカバーする状況に陥った。
このような状態に加えて雨続きで日程も過酷さを極めた結果、勝率を維持することはやはり不可能となる。夏場になるとズルズルと調子を落とし、最後は北條と糸井が故障離脱したことで勝負あり。チームは17年ぶりの最下位となった。

2018年10月11日、最下位決定から程ないこの日、事態は急転する。就任当初からチームの再建を託すために5年程度の猶予が与えられ、本年を迎えるにあたって新たに3年契約を結んでいたはずの金本が監督を辞任するというのだ。「最下位の責任を取る」というと聞こえはいいが、完全に行き詰まっていたチームを一から再建するためには3年という時間はあまりに短い。前年は2位になることができたが、アテが外れるとカバーできるほどの戦力はまだなかった。「若手を育てながら勝つ」ということの限界を突きつけられた。当初掲げた「超変革」の理想はまだまだ達成できておらず、明らかに道半ばであった。それでも世間は、親会社は「最下位」を許さなかった。3年間の金本体制は、ここに終わりを告げる。

「超変革」再燃

金本辞任の報をフェニックスリーグが行われていた宮崎で聞いた谷本修球団本部長は、衝撃を受けると同時に激怒したという。谷本は金本続投を前提に、宮崎で戦う矢野二軍監督(当時)に来季の一軍ヘッドコーチ就任を要請する予定だったからだ。ところが事態は急転し、揚塩健治球団社長(当時)が急遽矢野に来季からの一軍監督就任を要請することとなった。揚塩は矢野に深く謝罪し、それと同時にバックアップを約束。これを受けて矢野は一軍監督就任を受諾、ここに矢野政権が誕生した。
新監督に矢野を就任させることができたのは、揚塩や谷本らにとって不幸中の幸いであった。彼らは「超変革」の理念に理解を示しており、バックアップを約束していた人間である。そして、金本の盟友であり、3年間金本とともに戦ってきて二軍監督として結果も残していた矢野を高く評価していたのだ。もしここで矢野に断られていたら、「超変革」はなかったことになっていたかもしれない。
さて、監督に就任した矢野の最初の仕事はドラフトだ。この年はチームの弱点に鑑みて、ドラフト1位では徹底して中堅手を指名する一貫性を見せた。その結果獲得した近本光司(大阪ガス)を含め、1位から3位までがセンターライン。チームの再建に不可欠なこのラインを徹底的に指名した。また、バックアップを約束していたフロントは、オリックスより西勇輝を、中日よりガルシアを、新外国人としてJ.マルテやP.ジョンソンを補強した。

続く秋季キャンプでは、チームとして「明るく・厳しく」の姿勢を打ち出した金本とは異なり、二軍監督生活で学んだ「自ら考える力の必要性」を選手に植え付けさせるため、自主性を重視するスタイルをとった。翌2019年の春季キャンプでもそのスタイルを貫き、個々の能力アップを図った。
「超変革」の理想を受け継いだ矢野は、振れる選手と見込んだ大山を開幕4番に据えた。また、小柄ながらスイングが強くパンチ力のあるドラ1近本を2番に。そしてドラ3木浪聖也を1番に据えた。奇しくも、金本就任時と同じ「プロ初出場同士の1・2番コンビ」で開幕を迎えることとなった。
結果的には、これも3年前と同じく、開幕から程なくして破綻。しかし、近本は盗塁王を獲得するなど前年大きな弱点となっていた中堅のポジションをしっかりと埋める働きを見せた。木浪の方も、新人ながら95安打を放つなど奮闘。梅野や糸原のレギュラー定着もあって、センターラインは随分と見れるものへと変わってきた。
補強として獲得した選手は、ガルシアこそ今ひとつだったものの、西とマルテとジョンソンはチームの軸として活躍した。一時不振に陥り4番から降格した大山も、自己最多となる14本塁打を放つ活躍でチームに貢献。矢野監督自身も、自ら先頭に立って「矢野ガッツ」などでチームを鼓舞。優勝は逃したものの、脅威のラストスパートで最終的にAクラスである3位に滑り込みを果たした。阪神で監督初年度にAクラス入りを達成したのは、実に37年ぶりのことだった。CSではファイナルステージで巨人に敗れたものの、「超変革」を受け継ぎ、理想を同じくしてやってきたことは決して間違いではなかったと示す一年となった。

一方で、「超変革」を理想とする上で大きな問題点も浮上してきていた。本来、この理想はチームを一時的に強くさせるためのものではなく、一から再建し常勝軍団を築き上げるためのものだ。そのためには、常に新たな若手を、有望株を獲得していく必要がある。しかし、この時点の阪神には若手がほとんど存在しておらず、特に22歳以下の野手は小幡竜平ただ1人という有様であった。
この問題点をハッキリと理解していた阪神は、この年のドラフトで支配下6人中5人が高卒選手という極端な指名を敢行する。基本的に一軍監督は勝つことが求められるため、翌年に戦力となる可能性が低い高卒選手を大量に獲得する意向を示すことは基本的に難しい。今回のドラフトは、一軍監督のそういう事情をわかった上で、フロントが監督をバックアップすることを裏付けたドラフトであった。
そしてその通りに谷本をはじめとするフロントは積極的な補強に動く。MLBから一塁の大砲J.ボーアと中継ぎJ.エドワーズを、マイナーからは制球力の高いJ.ガンケルを、KBOからは打点王J.サンズを、そしてソフトバンクからは日本でのプレー経験も豊富なR.スアレスを獲得。これにより球団に所属する外国人選手は8人となり、史上最多となった。ドラフトが高卒中心だった分、外国人を多く獲得し戦力アップを図った。

「超変革」前進

矢野体制2年目となった2020年は、世界的な病気の流行により開幕が遅れるなど異例のシーズンとなった。一方で、その影響もあって外国人枠が5人に拡大(ベンチ入りは4人)。これは、史上最多の外国人8人体制を敷いていた阪神にとって幸運であった。今年は追い風が吹くかと思われた。
しかし、なかなかそう上手くはいかない。開幕から大きくつまずくと、2週間を終えて2勝10敗でダントツ最下位。頼みの新外国人もなかなか機能せず、スコアボードに0を並べるような試合が続いた。それでも、やってきたことは間違ってはいなかった。監督が見込んで使い続けた近本は夏場に復活、1番打者として2年連続の盗塁王を獲得する活躍を見せると、同じく監督に見込まれ前年使い続けられた大山は4番に定着し自己最多を大きく更新する28本塁打、85打点の急成長。外国人選手もサンズが19本塁打、ボーアが17本塁打とチームに足りなかった長打力を生み出すと、投手ではスアレスが守護神に君臨し、ガンケルとエドワーズは苦しい台所事情となっていた投手陣を助ける働きを見せた。
残念ながらまたしても優勝とはならなかったものの、前監督の金本がやりたかった「若手の育成」と「補強」を組み合わせた戦い方で順位は前年を上回る2位。着実に「超変革」の理想に向かって前進したシーズンとなった。

「超変革」結実へ

ここで、もう一度「超変革」の理想を振り返りたい。

・見てて面白い、ワクワクするチーム作りを目指す。
・監督、コーチ、一軍、二軍、フロント全てが結束して戦う集団に。
・1つのアウト、1つのプレー、1つの塁、そういったところをちゃんと大事にしていくこと。
・そのために選手の意識を変え、練習を変える。
・伝統的にホームランの打てるバッターが出てきていないので、振れる選手を育てる。
・チームを勝たせる監督になる。

さて、現在どれほど達成できているだろうか。優勝できていないということはまだ全て達成しているとは言えないだろう、しかし数年前と比べると随分達成できていると言える項目も増えてきているのではないだろうか。
チームは現在、2021年に向けて準備を進めている。ドラフトでは昨年の高卒中心から一転、多くの即戦力選手が入団。1位の佐藤輝明(近畿大)など、新たな「振れる選手」も加わった。補強では、巨人で優勝を経験した山本泰寛やソフトバンクで日本一を経験した加治屋蓮ら実力者の加入が既に決まっている。また、フロントの尽力もあって、台湾最強左腕のチェン・ウェインやKBOの打点王メル・ロハスJr、同じくKBOの20勝右腕ラウル・アルカンタラらの加入も間近と噂されている。生え抜きでは梅野が正捕手として背番号2を、岩崎が左腕リリーバーとして背番号13を受け継ぎ、大山や近本なども順調に成績を伸ばしている。
2021年こそはリーグ制覇を果たし、「超変革」を結実させなければならない。3年前の悲劇を繰り返さないためにも。もうすぐ勝負の矢野体制3年目、いや、「超変革体制6年目」がスタートしようとしている。

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