息苦しさを超えて


                   白島 真

 いきなりの私事で恐縮だが、私は新聞もテレビも見ない。ニュースソースはもっぱらツィッターである。コロナ禍についてのワイドショーなどは幸いにして見たことがなく、徒な不安を煽り立てられることもない。最低限の防御だけはしている。

★「詩素」8(平塚市・洪水企画)野田新伍・南原充士・池田康による編集。読み物としては南原の「ベートーヴェンのピアノソナタ」が面白かった。全32曲のうち「月光」「熱情」などの呼称が付いているのは13曲ほどであり、内容はその詳細と伝記。参考文献はいずれ読んでみたい。
詩は二条千河「手紙漁解禁」や坂多瑩子「場所」など優れた作品があるが、一番瞠目させられた作品は小島きみ子「甘い苦しみの後に苦い死はやってくるだろう」である。冒頭のジャック・リゴー『自殺代理店』の引用を含め4連構成の散文詩だが2連を引用してみよう。

【灰色の男が(甘い苦しみの後に苦い死はやってくるだろう)と歌っていた。腕時計を見ると日曜日の午前四時五十分だった。息苦しさで頭が破裂しそうだった。それは、ピンク虚無だった。金髪でピンクのスーツを着た女は、来日した某連邦国の大統領補佐官に酷似していた。ピンク自由主義の恐怖と絶望の発端は、大統領の愛人である彼女にあったが、夢では彼女自身も連邦国の支配から逃げようとしていたのだ。理由はピンクスーツの人民服に飽きたという単純なことだった。ピンク自由主義から逃げよ、ピンク人民服を脱げ。ピンクの後には、白い壁があるのか黒い穴があるのか夢から覚めてもわからない。】

終連最後の詩行が鋭く突き刺さる。【人間は何度死んでも死んだことを忘れてしまう。即死の詩を書くべきだ、〈甘い苦しみのあとに苦い死はやってくるだろう〉から。】
小島は詩論詩に果敢にチャレンジしていて、独自の詩風を打ち立てている。観念に走り過ぎないよう細心の注意を払って詩句を構成していることが窺える。〈ピンク〉には反体制的な思いが込められているようだが、細かな意味を追うよりも、小島のもつ韻律や意外性を楽しめばよい。

★「みらいらん」6(平塚市・洪水企画)同じ池田康の編集・発行である。詩を中心にした同人誌というより、詩・詩論・対談を取り入れた幅広い詩の雑誌といったほうが適切だろう。今回は吉岡実特集が組まれ、朝吹亮二と城戸朱理の対談をはじめ、野村喜和夫と江田浩司の対談「危機と再生―詩歌はいつも非常事態だ」でも冒頭に吉岡実に触れている。朝吹・城戸の対談では吉岡の『僧侶』『サフラン摘み』『薬玉』の3詩集を代表作と掲げつつも、『静かな家』『サフラン摘み』『神秘的な時代の詩』をエロス三部作を形成する詩集と喝破。両者の吉岡に対する深い洞察に感銘を受けた。その他、平川綾真智『「シュルレアリスム」と音楽の邂逅』、北爪満喜「カムパネルラとジョバンニの関係」における隠れた双子性、伊武トーマの長編詩「反時代的ラブソング6」などが強く印象に残った。
 次に今月は三人誌が目についたので4誌をピックアップする。
★「感情」25(埼玉県・瀬戸口宣司)
 発行人の瀬戸口、高橋治男、北野丘の三人誌。北野丘の詩篇「赤」は詩には無縁のはずの職場の壁に黒で自分の詩が書かれ、アートの様相を帯びて様々な色で塗りたくられ消されていく。最後は【拒絶の赤が/情熱の赤と同じだと気づいた時、指を髪を服を汚す絵の具が許せた/花のように拒絶してみたい/あなたを赤で】
と締めくくられる。寺山修司の「実際に起こらなかったことも歴史のうち」という言葉を想起した。詩も散文「夢のはじまり」も巧みでいつしか引き込まれていく。高橋はプレヴェールのバルバラについて。瀬戸口の詩篇「むずかしいこと」他4篇は一見若書きのようだが、読み進めていくとそうではなく、独特の語り口を持っていることが分かる。行の展開が早く予想を裏切っていくのだ。
【ぼくのベッドの周囲に人が集まってくる/誰かの詩にあったようだ/先生どうしたと泣く奴がいる/こういう輩はどうも苦手だ/あとで金を貸してくれと言って
くる】         (「むずしいこと」冒頭)

★「59」21(札幌市・ソンゴクウの会)
 1959年生まれの岩木誠一郎、金井雄二、伊藤芳博の三人誌。各人、詩が1篇、エッセーや論考が1篇の構成で読み応えがある。伊藤は詩誌「橄欖」(稲城市・日原正彦)のメンバーでもあり、その117号では新詩集『いのち/こばと』を上梓されたとある。伊藤の詩篇「彼」は夢の中の自己を追う物語だろうか。【「どこに住んでいるの」「夢の中」(中略)//会社に勤めたり結婚したりして/消えかけたころ/突然/夢の中で再会した(中略)「あった!」/と言おうとした瞬間/目が覚めた//淋しそうな笑顔が/流れでて/このぼくもそのぼくも/夢の外へ起床していくのだった/「どこに住んでいるの」】           
(「彼」抜粋)

 3人とも平易な言葉を使いながら、奥行きのある詩を書くことに成功している。
金井の連載では、くりはらすなをの詩を取り上げていて、妹が木坂涼、そのご主人がアーサー・ビナードという記述には驚かされた。詩人一家である。

★「彼方へ」5(さいたま市・岡野絵里子・川中子義勝)上記2名にダニエル・マイレを加えた三人詩。ダニエルに関しては筆者浅学のため5号を読んだだけでは出身・経歴など不明だった。できればプロフィールなど欲しい。各人、詩を1~数篇とエッセーや短篇小説で構成。岡野の「やがて静かなる楽(がく)として」は初めはエッセーかと思ったが短篇小説。短いながらも主人公の「彼女」の芯の強さやディテールがよく書き込まれ、作中の「彼女」が創ったとされる短歌5首は韻律がよい秀歌。
川中子の「ミステルの旅立ち」は2段組10頁の長編。この作品も最初は日本には少ない叙事詩を書く試みかと考えたが、ドイツ語のサブタイトルが示す通り、おとぎ話である。ドイツ文学者、キリスト教研究者、詩人の顔をもつ川中子らしく、内容は楽器演奏をするミステル(宿り木の意)の遍歴だ。遍歴というとやはりドイツ文学の伝統を思い起こす。次頁の論考「ヨハン・ヘールマン」にもあるように戦争・宗教弾圧もある中でのおとぎ話で、最後はやはりドイツ語で「それが彼らが今日生きている方法です」と結ばれている。

★「Rurikarakusa」14(東京・青木由弥子)青木、花潜幸、草野理恵子の三人誌。創刊号から読み続けているが編集方針はブレない。ゲスト1名を招待し、末尾に3人の近況が記される。変わったことと言えば、詩人別に詩のインクの色を変えたことくらいだろうか。今回のゲストは水島英己。詩篇「五月の耳」の【言葉そっくりの言葉】という表現にドキっとする。草野は現在twitterで猛烈に140字詩を打ち込んでいる。ひと月もかからず100篇くらいはいってしまうペースだ。今回もその中から「有毒植物詩」と題されたシリーズ物を2篇掲げている。
【耳鳴りのような風音が聞こえる//二階には岩の洞窟がある/入るためには/服をすべて脱ぎ/身体を滑らかにし/両手を上げ横に進む//肺の影のような二つの大きな岩//私は入ったことがない/入った人には二度と会っていない/だのに今日も人が訪ねて来る//モノクロの洞窟の入口に/色鮮やかなトリカブトの群れ】       (トリカブト 全行引用)

★「指名手配」創刊号(立川市・佐相憲一)
佐相の仕掛けと思われるが、「告示あるいは発刊の辞」がしゃれている。まるまる1頁を費やしているので全文掲載は無理だが冒頭・末尾はこんな風【市民諸氏に告ぐ。この連中に注意したまえ。愚かで哀れなこの面々に気づいたら、心の110番を。(中略)見過ごしてはならない。彼らは指名手配シジンである。注意深く彼らひとりひとりの特徴や個性を胸にとどめ、目を凝らしてその魔力をつかみたまえ。そして、「犯人だ!」と叫びながら、指名したまえ。】「容疑者一覧」には佐相ほか、井嶋りゅう、GOKU、小篠真琴、柴田望、若宮明彦の名も見える。今回の指名手配は井嶋りゅうの「蠅」。巻頭を飾る5連構成の散文詩だが、4連、5連が秀逸で迫力がある。自宅に向かうエレベーターの表示ボタンに一匹の蠅がとまっていたことに詩想を得て書かれた詩篇である。
【硝子越しに階数ごとの風景がくだっていくなか 私はふと夜の底へ墜落していくような気持になる。弔わなければならないものがあったような気がしてくる。忘れているのでも思い出せぬのでもなく 最初からそれと認識してなかったものの気持ちを 長い間踏みにじってきたような 奇妙な罪悪感に囚われる。】  (「蠅」4連)

★「すぷん」3(横浜市・坂多瑩子)
 発行は書肆かまど屋。まず、高橋千尋の表紙、カット、栞に惹きつけられる。言葉が溢れ出る坂多の感性にぴったりの表紙。彼女の詩や文章は諧謔精神の中にも一本筋が通っていて、毎回、大いに楽しんでいる。今号は長嶋南子を解体していて、長嶋本人や金井雄二、上手宰、壱岐梢の寄稿があるが、坂多の文章がはじけていて面白い。坂多の「クレヨン」全行引用。

【ぬりえのノオトの顔は茶色にぬりつぶされ/クレヨンがはみでている//目も口もなく//だからいいんじゃない/好きに書けば//だれかわからないだれかだもの/一つ目にしたってかまやしない/声にもクレヨンぬっちゃえばいい//ぬりつぶされた顔が/あるきながら上衣をぬいでいる/あたしもあるきながら上衣をぬいでいる//あたしの顔もぬりつぶしちゃえ/ぬりつぶしてもぬりつぶしても/あたしだよね/あれは//顔がはみでている】

★「ACT」455(仙台市・仙台演劇研究会)
丹下文夫が編集する詩や演劇の情報
誌。中塚鞠子など「イリプス」同人の寄稿
が多い。私も所属する同人誌「時刻表」
主宰のたかとう匡子が一面に詩篇「よる
べない地図に誘われて」を寄稿している。
その冒頭を引用する。
【川筋を打つ水音が聞こえなくなったのは/いつしか静謐さが覆ったからだと簡単に考えていた/末端というものがあり/わたしはきっとそこにいた/それはまだ閉じた世界のことだった】
 
たかとう匡子にとって「地図」や「水」は大切なキーワードで『地図を往く』『水嵐』『水よ一緒に暮らしましょう』などの詩集もある。
【わたしの地図が消えた日/机上にミクロの灰が立っていた(同・19~20行目)】
地図はこの世での安住の指針を示すが、逆説的な使い方がほとんどである。最終頁には中井ひさ子の詩篇「しゅうせい」が掲載されている。習性を意味する。

★「something」31(青梅市・鈴木ユリイカ責任編集)田島安江が経営する書肆侃侃房が発行所で、女性だけの詩誌。大判で写真もふんだんに使い価格はかなり抑えている。鈴木、田島のほかに、中本道代、原田道子、新井啓子、長田典子、伊藤浩子、渡辺めぐみ、北原千代、草野早苗、井村たづ子らが寄稿している。

★「地下水」236(横浜市・保高一夫)
 表紙は関中子。編集委員に片喰(かたばみ)あい子、鎮西貴信を据え、同人・会員を抱える。詩風は生活に直結したものに題材を得た作風が多いようだ。回転軸と名付けられた保高の詩誌・詩集評は不足な点もずばりと直言していて好感が持てた。昨今の詩人は褒められることに慣れ過ぎているかも知れない。

★「蒼炎浪漫」16(岐阜市・藤吉秀彦)
 浅野慈子(やすこ)「アンダーグラウンド」がいい。中日詩人賞受賞歴のある浅野牧子は母親で母子ともに同人。慈子は令和元年の詩歌句大賞を第一詩集『海辺のメリーゴーランド』で受賞した。
【世界は張りめぐらされた蜘蛛の糸で/つながっているというのに/肝心なところへはたどり着かないまま/複雑に交わる路線図を眺めれば/降りたことのない駅ばかりだ】    (アンダーグラウンド冒頭)
藤吉は「表現の自由」の問題を毎号訴えている。誰にでも関わってくる大きな問題であることを認識していく必要がある。

★「タルタ」51(鎌倉市・タルタの会)
 寺田美由記、田中裕子が編集人。前述の浅野牧子や柳生じゅん子らが同人。
【けものに近い血が巡りはじめた/手と足を地面につけて/丁寧にわたしの時を築いていく】(浅野牧子「近きを知らずして」7連)
 田中裕子が前述、伊藤芳博の詩集「いのち/こばと」の丁寧な評を、詩誌「橄欖」に触れながら掲載している。「こばと」はもちろん「ことば」に掛かっている。
   
*文中、敬称は省略させていただきました。
*『詩と思想』2020年9月号詩誌評のアーカイブです。
**10月号アーカイブUPは12月20日ころとなります。

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