喉に刺さる小骨を胸に

 70歳の古希ともなれば、いつお迎えが来てもいいころだ。
この歳で苦悩がどうの、真理がああのとぼやいていれば、仮にそれが心の裡だけのことであったとしても、お前ね、いい加減観念して静かに終活でもして、身辺整理などもしろよ、ジタバタするのは見苦しくねっ?と、大人ずれしたもう一人の自分が語りかけてくる。そうすると書生っぽい私が項垂れて聞き取れないくらいの小声で言うのだ。でも、一応、私は詩を書いている人間だし、真夏のグラスの中で氷がカランと溶けていくように、宇宙のなかでカランと溶けていく自分を認識していたいのだ、と。ウチュウ?ワクラバ?とは30年前に書いた「肉体の創世記」という詩章の中の一節だが、宇宙を語りたがる人間はやはりどこか病んでいるのかも知れない。

 どんぶり型のカップラーメンにお湯を注いで数分後、蓋をメリリと剥がす。するとクイズが印刷されており水滴をティッシュで拭い取って読む。なになに?番号のついた麵の先の文字を6番まで読み取れ?あみだみたいだな。「こ・む・ぎ・は・い・が」??。小麦は胃が?小麦はイガ?う~む、他のカップにも問題があるとのことなので、全部繋ぎ合わせろという営業戦略か?「小麦は胃が」「もたれないよ」、とか・・・・。暫らくラーメンをすすっていたら、あ、そうか!「小麦胚芽(はいが)」だなと分かる。文字と文字のちょっとした連関の相違によって、繋がっていなかった神経回路が繋がって解答らしきものがやってくるなら、ここに存在することの解答が何かの拍子にふとやってきてもおかしくないだろう。そうか!生きているってことはこういうことだったんだ!と法悦に涙ぐみ、1本の薔薇をあなたに差し出す光景にうっとりして、思わずラーメンの汁を全部飲んでしまう想像力たくましい私なのであった。

 この二日、ちょっと熱っぽい。糖尿や高血圧の持病があるのでコロナはやはり高齢者には怖い。生活のためのバイトがあるのでどうしても人のいるところには行かざるを得ないが、対面で話したり、接触はないので、ともかく手洗いや消毒、うがいは励行している。熱は36.3度。何だ、平熱じゃんと思われるかも知れないが、この十年、熱など計ったことはなかったが、数年前計ったときからどうも平熱は35.5度くらいらしい。新陳代謝力が落ちているので若い時のように平熱36度台というわけにはいかないのだろう。なのでやや熱ありか。葛根湯はたくさんあるが、いわゆる風邪薬(ルルとかパブロン)を切らしている。パブロンは数年前の残りが瓶に2錠残っていたがこれは捨てた方がよさそうだ。ただの風邪気味でこのまま安静にしていれば治りそうな気もするが、今日の妻との日用品買い出し、どうしようか。私から妻家に風邪菌にしろあるいはあの恐ろしいウイルスが伝播していくのも嫌なので見合わせるかな。あるいはマスクして買い物だけして妻宅には寄らずにお互いの家に帰るとか。だいたい買い物の後には妻宅で昼を食べ、ゆっくりしていくのが定番なのだが。あ、わたしたち夫婦は普段は5分くらい離れた別々のところに住んでいて、私は一人、妻は母と一緒。電話を入れれば殆ど毎日会ったり、アッシー君したり(車の免許保持は私だけ)、食事をしたり、詩の話をしたりと、とても仲がいいのです。
 熱のせいか、駄文になりつつあるので、この辺で。お読みいただいてありがとう!タイトルには迫れなかったな(笑)

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