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ハリ日記 3日目

 9月18日にサロンのお客様限定のクローズドなリトリートを開催しようと思っている。自分自身がリトリートでたくさんの自分の内側にアクセスすること、変化、学びがあり、これはもっともっと多くの人に知ってもらいたい!と思ったことがきっかけでリトリートを始めることにした。

 人の意識を変える。ということは出来ない。それは以前から知っていたようにも思うし頭では分かっていても、心では納得していなかったように思う。
人の意識、目の前の人を変化させるは出来ないということは前提にあってその人の変容を促すもの、環境というか「場」を作るということは出来るんじゃないか?と思うようになった事から私のリトリート熱は始まっている。
まだまだハードルが高いリトリートだけれども、変わりたい人に向けてというより、変わりたいのか、変わりたくないのか、にフォーカスするのではなく、自分の価値観に気がつくこと。なのだと思っている。
 変化に敏感なのは私のクセのようなものでもあると思う。私自身が実は変わりたいという周りの声に疑問を持っていたことにある。
 中学、高校と田舎の学校で育った私の周りには自分に自信がなく、環境のせいにしたり、親がこういうから、学校の先生がこういうから・・・そういう言い訳と同じくらい「変わりたい」という友人たちの愚痴を聞いていた。
 捻くれ者の私は変わりたいと嘆く友人に対して「本当は変わる事よりも変わらない事の方がずっと難しい」と心の中でつぶやいていた。
 変わらない事=良い事だと思っていた私。あの時の私の気持ちは誰にも分かってもらえないという窮屈さがあった。今でも人と違う事より人と同じでなくてはいけない。という気持ちの方が私をずっと萎縮させている事も何となく納得している。変わらない事というのは難しいし、変わらずい続ける事こそ努力が必要だとも。
 自然やクラッシック音楽、古くから代々ある老舗のお菓子屋さん、人が代わり、手が変わってもあり続けるものは何だろう。その何かに私は惹かれるし、尊敬しているのかもしれない。

 リトリートは普段の生活から離れて何もしないこと。何もしない代わりに普段見えてこなかったことが見てくるかもしれない。正解不正解さえもないその時間にあなたの心と体を委ねてみる。
 変わるもの、変わらないもの。何があるのか
それはリトリートに参加した人だけにしか分からない何かがある。

リトリートに参加する人が
その魅力を知ってもらう為に
何よりより良い未来を進むために
私はそんなリトリートを世に広めたいのだと思っている。

 

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