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独立する準備(副業をする)

 独立してから5年が経ち、独立する前ってどうだったのか、を少しまとめておきたいと思っていた。そして、いざ書いてみると意外とうろ覚えの所が多く、きっとこのままどこかに残しておかなくては全て私が経験したことなのに、きっと忘れて無かったことになってしまうそう思ってここに残そうと思いました。記憶力、ホントヤバイ…
 専門学校を卒業後、中国に留学、無事学位を取って帰国後ここで働きたいと思っていた会社で鍼灸師として、そして登録販売者として漢方相談薬局で勤務していたけれど。それで、いつか独立したい。と思っていました。

独立するために、私が始めたことは副業でした。私が働いていた勤務地の名古屋は私にとって縁もゆかりもなかったので独立してどこで始めるのかすら当時の私には決定打がありませんでした。
候補地は東京、関西(兵庫か京都と漠然と思っていた)。
東京か関西(兵庫)に戻って働くも考えていたが名古屋で働くことへの執着はさほどなかった。というのも名古屋に知り合いがいたわけではないし、誰か助けてくれる人がいるわけではない、実家のある鹿児島でやることは選択肢に上がりすらしなかった。
名古屋で働いていたのは、働きたい職場がここにしかなかったという理由だったし、私にとっては自分の治療技術がどこでも通用するのかを検証するための場所だった。
 名古屋で勤務をして2年が経ち、今の技術であれば新しい土地で自分の店舗を持つことはできるだろうと思っていた。ただ、どこで開業するのかをよくよく考えるとこのタイミングで東京でチャレンジしたい。という気持ちと、関西に戻るのは同じ流派の人が多い中でより難しくなってしまうかもしれない。そう思っていた。
 顧客になりそうな人は関西の方が馴染みもあるので多いかもしれないと思っていた。し、名古屋には今いる患者さんが、全て来てくれるものと想定するのは止めようと思っていたので名古屋をあまり検討していなかったと思う。東京か関西かまずは小さく両方で始めてみよう。どちらの方がお客さんが付くのかを比べてその間にどちらで開業するか決めよう。そう思って開業の準備をすることにした。

まずは月1回ずつ2人の患者さんがいる所へ行くことにした。最初のお客様が2人いなかったら始められていなかったと思う。東京も同じような感じで始めた。そしてこの月2回の出張の為に最初にぶち当たった壁が『資金』だった。

資金繰り
当時、私は働いている会社のお給料だけでは本当にカツカツで貯金すら出来ない状態だった。油断しているとカードの支払いも滞るほど。すでに留学していたり、サラリーマン時代の蓄えは底をついていた。
その為、まずは出張するためのお金を作らなくてはならなかった。
レンタルサロンを借りるお金。移動費は必ずかかる。とりあえず、プラスになることを目的とせず、この出張治療を一年続けられる資金を作る為に私がした事が副業だった。
目的は出張治療を続ける資金を作る事。それだけに注力している感じだった。
仕事を探す上でのポイントは3つ
①本業の仕事の日は兼業しない
②時給が良いこと
③働きやすさより、辞めやすさ

①本業の仕事の日に兼業はしない
理由はシンプルに本業の仕事に影響を与えなくて良い事。また生活の軸になるのはこちらなので、そこは間違えないように。という事だった。
鍼灸師としての信頼を失ってしまっては本末転倒。
仕事も被らない方が良いと思って仕事を探した。バイト先には多くを求める必要もなくなったので、あくまでの仕事が休みの日に働ける時間と曜日だけ働く事が重要だと思っていた。
②時給が良いこと
短い時間で沢山稼げるとその分活動に割ける時間が増える。
兼業しないと最初に決めたおかげで通いやすさ(交通費が全額出るか)、時給が良いかに全振り出来たと思う。週休2日ある職場だったので、月6〜7日しか働けない。なのでその時間で東京・関西に行く交通費、レンタル治療院の費用をペイする必要があった。
③働きやすさより、辞めやすさ
元々、開業する場所を決めるまでの間の仕事なので、働きやすさは不要だと割り切れた。扱いが雑だったとしても、辞めるだけだし、何よりそこで受けた不当だと思う待遇は逆に勉強になると思えた位だった。
一緒に働く人に多くを求めず、可能な限り役に立てることを考えて働いていたら、会社の人もとても良くしてくれて、結果的に楽しく働けたし、職場の色々なしがらみで苦労している人の愚痴を聞く人としての役割もわりかし楽しかった。
相手に求めすぎていないということは、自分もこの仕事で認められたい!とか役に立たなくては!というプレッシャーも少なかったのが私にとってはちょうど良かったのかもしれない。

見つかった仕事は振り返るとご縁だなと思う。前述した条件3つを意識して無料のバイト情報誌で探した仕事の候補はびっくりするくらい少なくて、むしろ決まってよかったという程だった。
派遣会社に登録もしたけど、結局派遣会社はスキルチェックだけをしてマッチングすらしなかった。(スキル高いと言われたので、もしかしたらここで働いていてもよかったかもしれない。日数で派遣は難しかった)
決まったバイトは小さな出版社のバイトで週2日。9時ー16時のバイト。基本的には社員にさせるほどではない発送業務をするだけ。あとは倉庫に待機している位の仕事だった。やりがいというほどのものもなかったけれど私にとって楽しいバイトだった。そして普段やらない単調な仕事は良い気分転換になった。
忙しい時はごく稀で、暇な時間にも何かできることはないか探しているくらいの気楽さで(バイト中に昼寝するわけにもいかないし)ありがたい事に1年ちょっと続けられ、さほど愛着が沸くほどの仕事もしていない業務はその職場の再雇用の職員の職場になることになり、あっさりと独立すると決めた5月の前の月の4月で終わった。

週7日休みなしで働く私にとってストレスがある職場であれば結構しんどいことになっていたと思う。
期間を区切り(独立するまでの間だけの仕事と決めていたこと)、副業には多くを求めずだったことが続いた理由だったと思う。
大変ではあったけど、気楽で、楽しく、そして組織で働くことはさほど嫌ではないのだな私。っていうことを思いながら働いた日々。
もう、あの日は戻ってこない。しかし、今も自分のサロンが立ち行かなくなったとしてもきっと大丈夫と思えるのはこの経験があるからかもしれない。

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