彩の『桜彩』について

今回私が話させてもらう曲は、アイドルマスターsideM より、彩で桜彩という曲になります。植物の桜に、彩と同じく彩りという字を使って『さくらいろ』と読みます。

この曲は彩にとって 3 曲目の曲として出て、前の 2 曲がアップテンポで盛り上げる方面だったのに対して、しっとりと聞かせにくるタイプの曲で、驚いた人も多かったと思います。自分もその一人でした。
彩というユニットは、キリオ君が落語家、翔真さんが歌舞伎役者、九郎君が茶道家と、3 人全員が日本の伝統芸能に携わっていていました。それもあいまって、見た目からも分かるとおりの和をコンセプトにしたユニットになっています。前の 2 曲、そしてこの桜彩も、歌詞の節々にそれらの要素が詰め込まれ、彼ららしい歌だと言えるでしょう。

でもこの桜彩という曲、言葉遣いまで古めのものとなっていて、パッと聞いただけではどういう内容なのか分かりにくいですよね。なので、今回それを自分なりに解釈して、この場を借りてその解釈を披露させていただきたく思います。

歌詞を順番に見ていきましょう。まずは 1 番の A メロから。
『咲いて散りゆくを 幾度繰り返しても 桜、桜、その鮮やかさ 永久に変わらぬまま』
ここはまだ簡単。桜の色鮮やかさ、綺麗さは、咲いては散ってを何度繰り返しても変わらないもの。という意味合いですね。
続いて 1 番 B メロ
『人は一度きり咲く 儚い命 だからこそ受け継いで 未来へ伝えゆく』
人の人生は一度きりで、とても儚いもの。だからこそ、後に生まれる人が、それを受け継ぎ、未来へと受け継いでいく。そんな意味でしょう。ここで大事なのは、彼らが元は伝統芸能に携わっていたということ。
古き良きと言われる日本の伝統芸能の各種は、年々失われつつあると言われています。そんな場所にいた彼らだからこそ、受け継ぎ、未来に伝えていくということの大切さが分かるし、それを伝える言葉に、より強い想いが込め
られるのだと思います。

ここで本来はサビですが、少し飛ばして次は 2 番の A メロを
『春を彩りて 笑みを花開かせる 桜、桜、遥かな日々の想い届けて欲しい』
桜は春を彩り、皆を笑顔にするような素敵なもの。それはきっと昔から変わらないものだから、そうして笑顔になってきた人達の想いを、これから先の人達にも、同じように届けて欲しい。そんな意味合いになると思います。
同じく 2 番の B メロ
『出遭い 別れても この道をゆくなら いつかまた巡り来るその日を夢見る』
人の短い人生の中で、出会いや別れは多くあるもの。それでも生きていれば、きっとまたどこかで巡り会えるだろう。その時を楽しみにしている。大きく見ればこういった意味になるだろうと考えています。

ではここで改めて 1 番と合わせてサビの歌詞を考えてみましょう。まずは一番から
『年々歳々花相似 時を経ても霞むことなく 斯くありたいと願う心こそを胸に書き認めましょう』
そして 2 番の歌詞は
『歳々年々人不同 時を手づから重ねあわせ 過ぎた日よりも美しき花で 再度、笑む人に逢おう』
とあります。
この曲の一番特徴的な部分とも言えるサビの頭の古語のような部分。意味を調べたところ、禅語と呼ばれる、禅の教えを伝える言葉の一つされていて、深い意味の込められた言葉でした。少し話は逸れますが、禅語には他に
どんなものがあるかと言えば、一期一会、や、雪月花、主人公という言葉も禅語として存在します。
話を戻しまして、この曲の中で出てきた『年々歳々花相似』と『歳々年々人不同』ですが、二つで一つものとなっています。正確に言えば、その言葉が含まれた詩の一節から来るものとの事でした。

ここでその詩と、その意味を紹介させていただきます。
『古人復た(こじんまた)洛城の東に無く
今人還た(きんじんまた)対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言を寄す(げんをよす)全盛の紅顔の子
応に(まさに)憐れむべし 半死の白頭爺(はくとうおう)』

意味としては、昔の恋人はもはや洛陽にはいない今、また、若い恋人同士が風に散る花を眺めている。冬を越えて春になれば、昔と同じように花は美しく咲くけれど、一緒にこの花を見た人はもはやこの世にはいない。若く、美しい君達に伝えよう。若いとはいうがすぐに年老い、黒い髪も白くなってしまうものだ。
少し言葉を変えましたが、このような意味合いの言葉です。この禅語の伝えたい部分は、「春になれば、毎年同じように花は咲くけれど、その花を見ている人は、毎年変わって同じではない」という部分にあります。
堅苦しい話が長くなりましたが、話を曲の方に戻します。1 番のサビ頭で歌われていたのが前半、それに 1 番の残りの歌詞を合わせて考えてみると、毎年同じように花は咲き、それは時間が経っても変わらないもの。自分もそう
ありたいと願うその心を、胸の中に大事にしまっておきましょう。という意味になるかと思います。
彼らに共通する伝統芸能という観点から見れば、長く培われてきたたくさんの知恵、技術、誇り、想いというものは、どれだけ時が経ってもあり続けるもので、それを受け継ぐ自分自身も、その一つでありたいと思う心が大切だという事になるでしょう。
同じく 2 番は後半の部分が歌われ、残りの部分と合わせると、時が経てば人は同じではいられないけれど、自分からその変わっていくことに身を寄せて、変わる前の自分よりもより良い人となって、分かれた人とまた笑顔で会おう。こういう意味になるのだと私は思っています。
伝統芸能で見れば、受け継がれていく度に、全く同じものにはならないけれど、それならばなおの事、それをより良いものへと変え、さらに先へと伝えていこう、という形でしょうか。

歌詞の意味という部分からは少し逸れますが、2 番の最後の部分は、再度、笑む人に逢おうという歌詞で、もう一度笑顔の人に会おうといった感じのものですが、sideM というコンテンツの名前も使われるという言葉遊びになっています。こちらの曲の作詞は松井洋平さん。毎度のことながら素晴らしい歌詞をありがとうございます。

また話を戻しまして、C メロ部分を見ていきましょう。
『移ろいゆく我が身 色を変えど 胸に咲いた花の彩は永遠に』
私自身は変わっていったとしても、変わらずにありたいと思うその心は、ずっと変わることは無い。変わっていくものの中にも、変わらないものがある。そういう歌詞だと考えました。
そしてラスサビ
『年々歳々花相似・・・時を重ね織りあげていく 遥かな明日に笑む人のため 伝え届けていきましょう 桜・・・また咲く日の様に』
毎年のように花の美しさは変わらないけど、時を重ねる度に、変わっていく素敵なものもある。これから先の人達が笑顔であれるように、そのことを伝えていきましょう。桜がそうであったように。こういう意味になるはずです。
伝統芸能という観念から見ても、変わらない伝統としての良さに、新しいことを取り入れるという一見矛盾してるように見える事も、これから先をより良いものにしていくのには大切で、それがきっと、伝統を守っていくことに繋がるのだと思います。
歌詞の意味は以上の通りで、ここからこの曲が伝えたかったことは何かと言われれば、そのままずばり、「変わらないものと変わっていくもの、そのどちらもが大切なもの」という事。
職を変えても、変わらない信念を持った彼らだからこそ、大きな意味のある歌になるはずです。

さて、ここまで彼らを伝統芸能に携わってきた人達という側面でしか見てませんでしたが、ここで聞きましょう。伝統芸能とはどんなものでしょうか?客観的にみた要素をいくつか挙げてみましょう。

「昔から受け継がれているもの」
「たゆまぬ努力、知識、情熱、想いで磨き上げられたもの」
「同じものでも人によって変わるもの」
「披露し、誰かに見てもらうことを大事にするもの」

これ、何かに似ていると思いませんか?
そう、アイドルも同じなんです。

アイドルの世界も、今では一つの伝統芸能なんです。彼らは和としての伝統芸能の道からは離れたかもしれないですが、今は新たにアイドルという一つの伝統芸能の道を行ってるんです。これもまた、変わっていくものと、変わらないものじゃないでしょうか。
先ほどまで解釈を話していたこの曲の、伝統芸能の面から見た部分。これをアイドルに置き換えても、しっかりと繋がります。

アイドルが、アイドルとしていられる時間は、人の一生の中でもさらに短いものです。ですが、その一瞬の輝きに、人々は魅せられ、引き込まれていく。そしてそれは、人から人へと語り継がれ、色褪せないものとして記憶に、そして記録に残り続けます。そうして生まれた輝きは、また次のアイドルが受け継いでいく。それは少しずつ形を変えるけど、人々を魅了する力は色褪せず、より強いものとして、また新たな、違う色の輝きを放ちます。
そんなたくさんの色の輝きが溢れる世界で、奇しくも『彩り』という字を充てられた『彩』の三人は、アイドルという伝統芸能の担い手として、これからも私たちに、懐かしく、そして新しい景色を魅せてくれることでしょう。

かつてのアイドル達が、そうだったように

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