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【お城巡り】会津鶴ヶ城

2016年8月

 東北の旅の途中、福島県会津若松市を訪れました。
 目的地は、会津若松城とも呼ばれる鶴ヶ城です。
 幕末の戊辰戦争、白虎隊、新島八重、松平容保(かたもり)で有名なお城です。

赤瓦の天守

 2011年に天守の瓦が幕末当時の赤瓦に葺き替えられました。青空や白壁に映えてとても美しいです。そして天守の周りは広々とした城址公園として綺麗に整備されています。
 幕末の悲しい歴史をもつ城だけに、この美しさがより一層心に沁み入ります。

赤瓦映える鶴ヶ城

 ちなみに、赤瓦は、釉薬を塗って焼成するため、水の染み込み→凍結膨張→ヒビ割れ、が少なくなる寒冷地仕様の瓦だそうです。ただのお洒落ではない、先人の知恵ですね。


1868年・慶応4年・明治元年

 戊辰の年 十干十二支

 私が生まれた年のちょうど100年前、明治元年の干支は、戊辰(つちのえ・たつ、ぼしん)にあたります。
 戊は"茂る"を表す漢字で、草木が盛大に繁茂している様子を表します。また、辰は"シン"。伸や新に通じるらしく、戊辰の年は、大きな変化の年なのでしょうか。
 陰陽五行の世界では、戊は十干の5番目"土の兄"、辰は十二支の5番目。十干、十二支ともに"陽の土"であり、「土」の性質が強い年とされます。
 五行における「土」は、東西南北や春夏秋冬のいずれにも当てはまらない中庸であり、陰にも陽にも属しません。これは一種の安定とも取れますが、逆に陰陽の二極に分類されない不安定な境界線上にあり、振り子細工のようにバランスがくずれれば、どちらにも転んでしまう危うい状態とされています。
 まさに、明治元年らしい!

歴史的な一年

戊辰戦争、会津戦争
 戊辰の前年、幕末の京都では、徳川最後の将軍となる慶喜が大政奉還を宣言します。
 すると、年明け早々、京都鳥羽伏見において旧幕府軍と新政府軍との戦争が勃発します。
 日本最大の内戦、戊辰戦争の始まりです。
 戦いの舞台は、京都から江戸、会津へ北上して、最後は北海道の函館五稜郭で終焉となります。
 明治元年は革命の一年なんですね。市井の人々は、この革命をどのように見ていたのでしょうか。

 1月 鳥羽伏見の戦い
    慶喜 大坂から江戸へ
 4月 江戸城無血開城(勝海舟、西郷隆盛)
 5月 奥羽越列藩同盟
    上野戦争
 7月 東京府設置
 9月 会津若松城 落城
 10月 天皇の東京奠都(てんと)
    改元 江戸から明治へ
    江戸城を皇居とし東京城

ならぬことはならぬものです

 この城は、白虎隊自刃の地である飯盛山、会津藩士の子供達が武士道を学んだ日新館などと一緒に巡ると格段に興味深いです。

  ならぬことはならぬものです

 会津藩士の子供達が学んだ"十の掟"に書かれ教えです。理屈ではない。ダメなものはダメ。ということでしょうか。
 当時としても、かなり厳格な教えだったようで、今の時代ではアウトなんでしょうが、私たちが今の価値観で語れない背景があるのでしょうね。

日進館
赤瓦
天守入口の野面積み

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