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たかゆき

『ももちゃんご指名65分』
 内線電話が鳴り寝ぼけながら受話器をあげる。フロントのおじさんは素早く要件だけをいい身勝手に電話を切る。がちゃん。と。
『は、はい』
 寝起きなのもあるけれどあたしは身体もひどく小さいけれど声も蚊のなくような声しかださない(とゆうか出せない。この前なんてアイスクリームを注文しようとしておばさんを何度もすみませーんと呼んだけれど洗浄機の音に声が負けなかなか店先に出てこずアイスを諦めることになった)。
 ヘルスの待機時間はほとんどいや全て睡眠に費やしている。まじで。こんなに有線がうるさい中寝れるぅ? とフロントのおじさんのデブの方が目をぐるんと回しながら不思議そうに語尾を上げるから、はい、のび太なんで。とこたえたら、クスッと笑い大物になるなー、とまた笑われた。 
 仕度をしてといっても仕度などないけれど部屋から出てお客さんと対峙するカーテンの前に立つ。
「はい、ももちゃんご案内ですー」
 フロントがいいカーテンが開く。
「あっ」
 その顔を見てつい声を出す。お客さんはうつむきながら所在なさげに2番の部屋に入った。先にお客さんに部屋に入ってもらう理由は靴を揃えるためだ。
「あっちー」
 開口一番に声をあげた。
「あ、ごめんなさい」
 あたしはとても慌てて冷房のスイッチを入れる。なにせ寒かったので切っていたのだ。冷房のきらいがありつい切っていた。おもては猛暑なのに。
「おそろしいほどすぐに冷えるから」と付け足すことをわすれない。
 お客さんはまあそうだね、と納得の表情を浮かべる。なにせ4畳ほどの個室に普通の大きさの冷房が設置してあるのだ。
「お久しぶりですとかいっとくか」
 ベッドに並んでそう話かけてきた。あたしはついクスクスと笑ってしまう。そうね。お久しぶりといっておきます。といいかえす。お客さんもまた笑った。
「あのね、この前あったときにいおうって思っていたんだけどね、」この前いいそびれたことを思い出したのでそういう。なに? と、お客さんはあたしの顔を覗き込んだ。
「山田孝之に似てる」
 雰囲気とか仕草が似ているのだ。っていわれない? と続ける。
「あああー」
 あ、またいわれちゃったよ。的な感じで手を頭の後ろに持っていきながら、うん、俺は全く意識してないんだけどね。と、すっかり認めた。
「けど、」お客さんは、けどね、と謙遜の羅列を並べると思ったのにまさかうそでしょ? みたいなことを切り出した。
「俺さ、名前が『たかゆき』なんだよ。山田孝之の『孝之』って漢字じゃなく『崇行』って漢字なんだけど……」
「え?」
 すごく偶然じゃないのそれ。そうなんだよね。だから余計にそう見られるのかもしれないね。あたしたちはお互いの顔を見合わせてニンマリと笑い合った。
「顔がね整ってるから。あたしなんだか緊張するし」
「はい? なにそれ? だってももちゃんプロじゃん。だし、俺だって訊きたいよ。そんなに美人なのになんでヘルスで働いてるの。とか」 
 プロじゃないよ、セミプロ。あたしは最初の質問にだけこたえた。最後の質問はスルーをした。
 細身の身体だけれどいざプレイに入ると見事に男に変貌する。あたしはその間ずっと目を閉じている。薄暗い異質の空間。たまに吐く、甘い吐息。息遣い。恋人ではないあたしたちなのに恋人のようなことをする。

「またね。ももちゃん。楽しかった」
「うん。ありがとう」
 挨拶を交わし出口まで見送る。帰り際に背後から抱きしめられた。
 耳にふーっと息をかけて。『たかゆき』は清々しく帰っていった。

 なんでヘルスで働いているか。なんで? そんなこと考えたことなどまるでなかった。だってこれあたしの仕事だもん。他になにもできない。なにも。ちょっと顔がいいだけ。だからヘルスで働いているのに。なんでその逆のことを彼はいったのだろう。見た目がよければそれでいい。のは風俗の世界だけではなけれど。やっぱり風俗は最初見た目で決まることがある。ブスとデブもいるけれど正直、は? と首をかしげる。けど、きっとそうゆうキャラなのだろうとやり過ごす。あたしには関係ないことだ。

「たかゆき、ねぇ〜」
 またベッドに横になる。持参の毛布に巻きつきながら。睡魔が再び押し寄せる。さっき動物園にいるなまけものの夢をみた。それはきっとあたしだったのかもしれない。
 そうっと目を閉じる。まぶたの裏にあたたかいものがうっすらと滲んでいる。そのうちそれはきっと目頭からつつつと流れ頬を伝うに違いない。

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