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僕と耳鼻科とキツネちゃん

物心がついた頃には発症していたので、花粉症との付き合いはもう二十年以上になる。

僕が幼稚園くらいの頃、花粉症というものはまだ世間ではまだまだ認知度が低く、四六時中くしゃみをしたり目を痒そうに掻く僕を母は川沿いにあった耳鼻科によく連れて行った。

耳鼻科。今でも好きになれない言葉の響きである。

診療室に入ると、無表情な感じの年寄りの先生がいて、黄色い塗り薬の付着したやけに長い綿棒みたいなものを鼻の奥まで問答無用でぐいぐい突っ込まれる。無駄に痛くて苦しい上に何も効かない。何故あれを毎回やられたのか、今でも納得がいかない。

薬も一応処方してもらえたが、当時の鼻炎用の薬は全然効き目がなかった。家でも外でも鼻水はエンドレスで流れ続け、夜になると鼻づまりになる。口だけで呼吸して寝るから喉も痛くなる。

幼稚園でも症状は当然治まらず、ポケットティッシュではなく箱のティッシュを持参していた。「鼻水星人」と他の子にからかわれるが、そんな子の相手をまともにする暇もない。マジで鼻水が止まらないのである。

そして歌を歌う時間。
鼻が詰まっていると「ん」が言えない事に気づく幼い日の昼下がり。

そ~らを~見上げて~み~て~ご~ら「ん」!?

きっと~飛び立つ~ひ~こ~う~せ~「ん」!?

「ん」が来るたびに「ぅぐぐ…」となり。
かはっ…!はぁはぁ…、と一人だけ口で呼吸する。ザ・フラストレーション。

一向に良くならない僕の症状に困り果て、ある時、母が目を付けたのはあるぬいぐるみだった。

当時僕は幼稚園以外ではいつも肌身離さず持っているタヌキのぬいぐるみがあった。名前は何故か「きつねちゃん」

外で遊ぶときもテレビを見ているときも寝るときもお風呂でさえも一緒に過ごしていた、いわば幼児期の移行対象。ライナスの毛布である。

母はつまり、あの汚れたぬいぐるみが、息子の鼻炎の原因なのではないかと踏んだのである。


ある時、幼稚園から帰ってきた僕は異変に気づき、しばらく家中を探し回った後に母に聞く。

「キツネちゃんは?」

「え?キツネちゃん?えーどうかなー。お母さんは知らないなー」

洗濯物をたたみながらとぼける母。
子供なら色々興味が移るのも早く、そのうち忘れるだろうと思っていたらしいのだが、だが僕のキツネちゃんに対する愛着は想像以上に深かった。

その後も数日間、幼稚園から帰ってくる度に家の中を探し回り、ことあるごとに母の後ろにくっついて「キツネちゃんは?キツネちゃんがいない!」と訴え続ける。しまいには癇癪を起こし、姉のお下がりのぬいぐるみを与えられても、違う、これじゃない!と泣き叫ぶ。

誰もキツネちゃんを探してくれない。しかし何としてでもキツネちゃんを見つけなければいけない。とっくに捨てられているとも知らず、キツネちゃんの捜索が独自に開始される。

キツネちゃんはもしかして外に出かけてしまったんじゃないか?
そう思い、捜索範囲を家の中から当時住んでいた団地の敷地内、隣の団地、近所の公園、その先にある児童館、と毎日徐々に広げていく。

キツネちゃんはぬいぐるみの国に帰ったとか、長旅に出てしばらく帰ってこないとか、捨てるなら捨てるでそういうストーリーを周到に用意して欲しかったものだが、まぁそこまでの機転を自分の親に求めるのも酷かもしれない。

ある時、夕飯の時に再度キツネちゃんの話をぶり返したら、「お前は男のくせにいつまで女々しい事を言っているんだ!」と、ついに父親に怒鳴られた。こうなったら終わりである。
納得のいかないまま捜査を打ち切らざるを得ない。
さもなければ引っぱたかれる。

かくしてキツネちゃん失踪事件は闇に葬られる事になる。
事実を母が白状したのはずっと後になってからである。

大人になって思うのだが、最近の耳鼻科の薬は本当に効くようになった。
花粉の飛散が酷くなければ、市販の薬でもほとんどしのげる。
小さな時から発症してる僕には奇跡みたいな話しである。

そうやって世の中は少しずつ良くなっていくのかな、と思う反面、たまにふと、やっぱりキツネちゃんの事を思い出す。

今の時代の子供の手元にあったなら、君も捨てられずにすんだだろうに。
ねぇ。

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