人生の反省

記念すべき1回目の投稿は、私のこれまでの人生を振り返ることにしようと思う。

私は関東のとある田舎に生まれた。

両親は自営業、共働き。2歳上の姉が1人。

そんな感じ。

小学校に上がるまで、私は自分の家の異常に、全く気づいていなかった。


小学校に上がって、友達の家に遊びに行くようになった。そこで、初めて自分の家の、父親の異常さに気がついた。

友達の家の父親は、笑顔を向けてくれるし、怒らないし、殴らない。

まあ、気づいたからって自分の家の状況が変わるかって言ったらそうでもなく。

父親は、アル中とかヤク中とかではなく、素の状態で、いわゆる虐待をしていた。なにか気に入らないこと(たとえば、母が父の飲むコーラを買い忘れたとか)があるとキレる。そして手当たり次第に当たり散らす。

生まれた時からそれが当たり前だった。


私の中の忘れられない記憶は小学校4年の誕生日。母が、学校の帰りにわざわざ迎えに来てくれて、私の好きなチョコケーキを買ってくれた。ワクワクしながら家に帰ると、リビングで父親がキレて暴れていた。

そのあまりの形相に、母は私は寝室に、姉は子供部屋に行くように命じた。私たちはそれに従った。

時計の針は9時を回り、10時を回った。小学校4年生の子供は、もう眠る時間帯だ。

そんな時間になってもなお、途切れない父親の怒鳴り声と母親の泣き声と、謝る声。

父親の気が済み、お風呂に入ったとき。やっと静かになった時、母はボロボロの姿で寝室に入ってきた。その手には、夕方に買った、チョコケーキ。

「誕生日なのにごめんね」「怖かったよね」「いつもごめんね」「誕生日おめでとう」というようなことを、母は泣きながら震える声で言った。

その時のケーキの味は、正直覚えていない。美味しかった気もするし、味がしなかった気もする。

私はそのケーキを食べながら初めて、父親が私の誕生日を蔑ろにしたこと、母親や私たち娘がなんの理由もなく殴られたり怒鳴られたりすること、父親が理由もなくキレることにある種の恐怖と怒りを感じていた。


それからもずっと、父親は事あるごとにキレていた。そして事あるごとに私や母や姉は殴られ蹴られ叩かれ罵詈雑言を浴びせられ、時には外に放置されたり風呂に入れてもらえなかったり寝かせてもらえなかったりした。

そんな父親を異常と気づいていながら、私はどうすることもできなかった。当時は虐待というものが今ほど騒がれてはいなかったし、どこに相談すればいいのかとか、分からなかったからだ。ただ、父親がキレるたびに、私は母に「離婚しないのか」と聞いていた。しかし母は、長い事そうはしなかった。


あるとき、転機が訪れた。

いつものように父親がキレた、その次の日。母親が、キレていない父親に「距離をとりたい。離れて暮らしたい」と告げたのだ。

それを聞いた父親はひどく困惑したらしく、別居するしないの話し合いは文字通り三日三晩続いた。

結論から言うと、別居するには至らなかった。

でもそれ以来、父親がキレる頻度はとても少なくなった。(キレなくなったわけではない)

その状態になって初めて私は、生まれてから初めて父親と話をしたのだった。まあ、いつ殴られるかビクビクして会話どころじゃあなかったんだけど。

未だに父親とは話すのは怖いから難しいし、目を合わせるのも怖い。父親が手を挙上しただけでめちゃくちゃビクッッ!!ってなる。


生まれてからこれまでずっとそんな感じだったから、今は父親のことが嫌いで仕方がない。

結婚式場でバイトしてた時、新婦が両親に感謝の手紙を読み上げるシチュエーションに何回も立ち会ったんだけど、その度に泣いてた。羨ましくて。私もそんな家に生まれたかったな、って何回も思った。

学費とかは両親に全部出してもらったし、そういう面では本当に感謝してる。今の時代殆どの子が奨学金を使ってるから。生活が苦しかったこともないし、病院に行かせてもらえなかったとかそういうことは全くなかったから、その点は多いに感謝している。

学費とか以外のことでも、いつか私も父親に心から感謝できる日とか来るんですかね。来ないかなあ。



第1回目の投稿は、こんな感じで。ありがとうございました。






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