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鎌倉殿と組織の闇

若い頃はほとんど見ようとは思わなかった大河ドラマだが、ここ十年くらいは見逃さないように見ている。あの走る人のやつは興味なかったけど…。

そして今は鎌倉殿。長澤まさみさんの語りから始まる。この低音の語りがとても心地いい。何でも出来てんやな長澤さんスゴいです。僕もやってみたい。そして源氏の棟梁源頼朝を大泉洋さんが笑いも織り混ぜながら熱演されている。とても似合ってるし良い味を醸し出されてるな~と思う。がしかし、最近は憎たらしくなってきた。

「人の世を治めるには鬼にならねばいかん」とかなんとか都合のええ言葉を吐いて、バッサバッサと首をはねよと指示を出しやがる。
「一番頼りになる者は一番恐ろしい」とかで
身内の首すらも平気ではねろと申し付ける。
そら申し付けられた者もえらい迷惑じゃ。

鎌倉殿に逆らってはこの鎌倉で生きて行けんと皆しぶしぶその指示に従う。なんとも言いようのないその思い。やるせないその思いを演じておられるのが北条小四郎義時役の小栗旬さん。爆発しそうな自分の気持ちを必死に修めておられる。だって人を殺めなアカンのやで。

「木曽義仲の嫡男義高の首をとって参れ!褒美をつかわそう」と配下の者に指令を出しておきながら、己は嫁の政子(北条政子)と大姫の命懸けの説得に屈服し気が変わる。そこへ
何も知らない配下の者は首を持って帰ってくる。絶対に許しません!と政子は怒る。

そのせいで今度は首を持って帰ってきた者が首をはねられる。なんたるやこの矛盾と闇。
その人の気が変わっただけで……。
やってられんわな。結局どない言うても原因と責任は「その人」にある。たったそれだけの事。「その人」は、その辺をよぉぉく考えてから行動に移してもらわんと配下の者も犠牲になる人もえらい迷惑。

今この現代でも、そういった組織の闇もあるんではなかろうか。首をはねるとまではいかなくても違う言い方をすると当てはまる。
クビにする。とか、クビをきるとか。
はたまた陥れるとか。その組織には居れなくなるように上手いこと持って行くとか。
うっわ~最悪。

「素直に謙虚に」と言う言葉も、それを言っている人に都合のええ言葉だったりする事もある。うんうん…これは胸が痛いわ。

戦時と平時という言葉も聞いた事がある。
平時に殺人をすると警察が「絶対犯人は逃がさない」とかなんとかで徹底的に捜査して逮捕する。そして裁かれる。
戦時の時には、それはしないの?
バッサバッサと人殺ししているやん。
ええのそれで?この時はええけどこの時は知らんっておかしな話しやで。
平時の時の人殺しは正しくないけど戦時の時の人殺しは正しいの?そんなこたぁないわ。
どちらも正しくない。でもなぜそれがまかり通るのかね。正しいかのような上手な理屈を
つけたら正しくなるのなら、理屈さえ考えれる人なら何でも正しくなる理屈になるぞ。

結局「人」。「その人」。戦車が勝手に動き出して砲弾を撃つ訳ではない。
そしてそれらを製造しているのも、それらをどう使うか考えてるのも「人」。そんな事ばっかり考えていると自分が深みにはまるわ。
アカンアカン    や~めとこ。


鎌倉殿の物語もいよいよ壇ノ浦の戦いになるのだけれど、源義経さんと頼朝さんとの間にある溝がだんだん深くなって行くような雰囲気だし目が離せない。鎌倉殿が始まってからまだ序盤ではあるけれど、これからの展開が楽しみです。色んな事を考えさせてもらって
時には腹抱えて笑わせてもらってありがとうございます。


大河ドラマありがとう!

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