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伝統という名の選手への追い込み

こんにちは、守屋です。

この時期、スポーツは駅伝に高校サッカー、高校ラグビーなど学生による全力で優勝を目指すひたむきな姿がテレビで映し出されます。

学生が繰り広げる真剣勝負をテレビは選手個々の物語を大事にします。どんな環境で育ってきたのか、どれだけ苦しい想いをしてきたかが解説がされ、視聴者は母校、出身の都道府県を応援しながら「頑張ったね」と感じるものです。

自分自身も高校選手権に出場し、敗退したときには悔しくて仕方なかった経験を今でも覚えています。そしてその当時はその経験こそ後に生かされると信じていました。

ですが大人になり、冷静に振り返ると”勝つことに特化”していたものの本当に”人間として成長”したのかは定かではないように感じます。

伝統という名が監督と選手に責任をもたらし、追い込みを生み出す

伝統校というのは「〇〇には全国大会に出場するのが当たり前という責任がある。」と今まで築いてきた実績を自分たちの代で潰さないことを意識させます。

たとえば青森山田高校は多くのプロを輩出しており、青森県では負けなしの状態です。そんな高校の選手たちは全国大会に出場することは当たり前であり、自分達の代で出れなければ「恥さらし」と思ってもおかしくありません。

すべての伝統校に言えるわけではありませんが、多くの伝統校にとって「全国大会出場」「全国大会でベスト〇に入る」というのはマストなこととして考えています。

そのため監督は成長よりも結果にこだわった戦術や選手を起用します。そのため出場時間が多い選手は負担が多くなり、怪我予備軍になることもあります。

野球でいえば高校時代、夏の甲子園で連投させた投手は消耗品であるのに酷使してしまい、プロになった後に肩を痛めてしまうというのは良くある話です。

選手も自分から「休みたい」とは言えません。それは優勝したい。そのために3年間を費やしてきたというプライドと責任があるからです。

ですが人生は先の方が長く、プロとして活躍するにあたって成長期をどう過ごすかは非常に重要となります。

この時期、無理をして出場する選手や結果に拘ってしまう監督の指示によって選手の未来が潰されるしまうこと、何よりも危惧してしまいます。

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