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ひとおもいの温度差

「誕生日、おめでとう!」

ゆりえは驚いた。まさか自分が今夜の主役として飲み会に呼ばれたとは思わなかったからだ。企画したのはゆりえに好意を抱いている賢吾だった。

賢吾は知らない土地に仕事の関係で引っ越しきて1年。慣れない土地でも人見知りすることなく、積極的に開拓していくのが特技だった。趣味はテニス。SNSを中心に呼びかけると、多くの人が一緒にテニスをやろうと集まってくれた。

そんな中で出会ったゆりこ。2歳年上で明るく、誰とでも仲良くなれる社交性を持ち合わせていた。彼女もまた半年前にこの土地に引っ越してきたと言う。

そんな彼女の誕生日月を知ったのは3か月前のこと。1月生まれとは聞いていたが、何日かまでは聞くことが出来ていなかった。最近は仕事が忙しいとテニスも一緒に出来ていない。

賢吾は仲が良いメンバーと飲んでいる時にこんな話をした。

「そういえば最近ゆりえさん、あんまり参加していないよね。仕事が忙しいって言ってたけど、まだこっちに来て1年経過していないし寂しかったりするんじゃないかな。1月生まれって聞いてたし、何かサプライズでもして喜ばせたいなって思ってるんだけど…みんな一緒に考えてくれる?」

周りは賛同してくれて、どんな企画にするか案を出し合った。その結果、ゆりえは仕事で手を頻繁に使うため一つはハンドクリーム。もう1つはビールが大好きといつも飲むときには言っていたため、地ビールセットという案になった。貰った側も気を遣いすぎず、それでも本当に貰って嬉しいものをみんなで考えた。

ゆりえは仕事の関係で少し遅れて飲み会に合流することが分かっていた。そのため、集まった5,6人で何でもない話をしながら様子を伺っていた。結果は大成功だった。

ゆりえが席を外したとき、みんなでバースデーメガネを着用し、プレゼントを渡した。まだ知り合って日が浅い。そして年齢も違えば仕事も違う。それでもテニスという共通の趣味で集まったメンバーで知恵を出し合ったサプライズ。

ゆりえは喜んでくれた。みんなの誕生日を教えて欲しいとせがんでいる姿が愛しく、可愛くも思えた。もちろん、みんな言うわけがない。そんなの恥ずかしいに決まってる。

2月に入ったある日。木曜の夜に練習をするためテニスコートを予約し、その後は月に一度の交流会もやる予定だった。参加者を呼びかけたら久しぶりにゆりえが参加するとメールがあった。

「2月から仕事落ち着きそうなの?一緒にテニスできるの楽しみにしているね!」

返事はすぐにきた。

「うん!久しぶりだし楽しみ。あ、交流会は行けないけど。それとタカさんがその日誕生日らしいんだけど、何かする?」

タカさんとは夫婦でテニスに参加しているメンバーの1人。最初は旦那さんから連絡があり、頻繁にテニスを一緒にする中で飲みに行くほどすぐに打ち解けていった。

2歳年上のタカさんは気さくでありながら、周りにも気が配れる存在。そしていつからか奥さんも参加するようになり、昨年は賢吾、タカさん夫婦、ゆりえの4人で飲みに行く機会も多くなった。

そんなタカさんの誕生日。たしかに何かやろうかと思ったものの、正直タカさんがそういうのが好きではないことも知っていた。賢吾はそれも踏まえて事前に奥さんのみテニスに参加したとき、こっそりタカさんへのプレゼントを用意して渡していた。

それは前から欲しいと言っていたテニスの本を1冊。家で飲む回数が増えたということで、夫婦で笑いながら読むことができる「30才過ぎたら意識するコレステロール。」という本の2冊。

タカさんから電話があり、感謝の言葉とともに「奥さんが賢吾はわたし以上にタカさんのツボを知っているって笑ってたよ」と伝えてくれた。

サプライズはときに喜びではなく、困惑を与えることもある。ゆりえからのメールに賢吾は迷った。すでに自分だけ渡してしまったことを言うべきか。それとも隠しておくべきか。

「え、誕生日なの?いや、今は何かをするって予定はないけど、何かするなら…交流会のとき?」

ゆりえのメールから何か企画を考えているのか伺いたかったため、少しだけとぼけたフリをしてメールを送った。

「ううん。交流会は私は参加できないから、その前にタカさんにパパっとパイ投げでもして祝おうかなって(笑)どうせシャワー浴びるし、顔面にパイ。周りも笑って問題ないでしょー!あとは賢吾たちに任せる(笑)」

賢吾はメールを返せなかった。

ゆりえは自分が誕生日にサプライズをしてもらったこともあり、何かしたいという気持ちがあることは理解できた。でも、そこに相手の気持ちや性格、喜ぶツボを考えているのかという疑問。

止まった指を動かせない理由は、もう一つあった。それは賢吾はゆりえに対して好意を抱いていたものの、人を想う気持ちに対する温度差を感じてしまったからだ。

集まったメンバー全員がまだ日が浅い。お互いの過去も知らなければ深い部分も知らない。それでも賢吾は自分で立ち上げたテニスコミュニティの中で、色んな人をしっかりと見るようにしていた。

見ることによって相手の表情や発言、嫌だと思ってる人、困っている人がいないかチェックして、事前に防げないかと考えていたからだ。

好意を抱いていたゆりえのメールには、タカさんのことを想ってのお祝いに思えなかった。まだ「何か一緒に考えよう。」ということであれば救われたかも知れない。

パイ投げで祝い、自分は先に帰り、あとは賢吾たちに任せる。

これで…タカさんは喜ぶのかな?

そんな疑問と同時に、自分が好きと感じていた女性のひとおもいの温度差に触れてしまったような気がした。

賢吾はメールを返さずにいた。いや、返せずにいた。

立春を迎える夜。思いのほか暖かくなりだした心が、ゆっくりと冷えていくのを感じた。

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