”静”の時間をつくる意味
こんにちは守屋です。
「いただきます」「ごちそうさま」と義務教育で教えている先生。そんな先生が普段の食事では、いただきますも言わずスマホを見ながら会話をせずに家族でご飯を食べる。
そんな姿を見たとき、なぜか違和感を覚えました。子どもに教えるとき、大人はお手本とならなければいけません。
なぜ「いただきます。」「ごちそうさま」が必要かを伝えているはずなのに、大人になれば言わなくても良くなるのでしょうか。
つねに動く時代。流れを止める「静」の時間を確保しているか
スポーツ選手の中には、試合前に心を整えるため、
・目を閉じる
・祈る
・深呼吸する
というような動作をする人がいます。選手それぞれのルーティンがあります。落ち着いてプレーするため、感謝の気持ちを忘れないため。色んな意味があるはずです。たとえ10秒でも「静」の時間を作ることは、自分と会話することができます。
最初の話ではありますが、日本では食事をする前後に「いただきます・ごちそうさま」ということで作ってくれた人々への感謝の意を示すことになります。
その時間、わずか1,2秒かも知れません。それでも、その瞬間に作ってくれた人、届けてくれた人々、そして食べることへの感謝を感じることができるはずです。
いまの世の中、すべてにおいて「ながら作業」がスタンダードとなり「静」の時間を確保することが難しくなっています。ぜひ少しでも「静」の時間を作ることを意識して感謝の気持ち、自分と向き合う時間を作ってみてはいかがでしょうか。
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