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一生懸命はカッコ悪いのか

こんにちは、守屋です。

才能のある選手でも、大きな上辺だけのプライドを持っていた場合、開花することなく散っていく可能性があります。不要なプライドは才能を邪魔する要因になりえるからです。

誰でも知っているようなこと、やれること。その一つ一つを意識し続けれる人間。細部にも一生懸命に取り組める人間のことを「才能のある人間」と呼べるのではないのでしょうか。

一生懸命に取り組む姿。笑われるときこそチャンスと考える。

・雑用一つでも何か得るものがあると、効率が良い手段を考えながら丁寧にこなす。

そんな姿を見た同僚が「よくそんな簡単な雑用を丁寧にできるよな。サッサと終わらせて飲みに行こうよ。」と鼻で笑う。

・基本のインサイドキックの練習。何度も同じポイントにボールが行くように徹底して取り組く。

そんな姿を見た同期の選手が「そんな基礎、いまさらやっても変わらないだろ。それよりも早く帰宅してゲームやろうぜ。」と呆れている。

ある人にとって無意味と思えることでも、ある人にとっては納得のいくまでこなしたいことかも知れません。一生懸命に取り組む姿は、時として周りから笑われる可能性があります。それはある人にとっては「くだらない」と感じることかも知れないからです。

そんな光景を見ていれば自分も笑われたくないと、一生懸命になることが馬鹿らしく感じることもあるかも知れません。

「一生懸命になるのはカッコ悪い」

このキーワードが頭の中にインプットされてしまえば、つねに周りの目を気にすることが優先順位の一番になってしまいます。

すると本来はもっと取り組みたいと思っていることでも、周りの目があるときには気にして取り組まない。ということに繋がってしまいます。

何かに一生懸命に取り組むことは、カッコいいことでもカッコ悪いことでもありません。周りにどう思われるかではなく、自分が納得するのかどうかを基準にしなければいけないはずです。

周りを気にするあまり、取り組むべきことを軽視する。そんなことが無いように、気にするべき部分は自分自身がどう取り組んでいるか。それこそ大事にするべきではないでしょうか。

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