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ニコライエワ ショスタコーヴィチ後半  ネルセシアン ショスタコーヴィチ

24の前奏曲とフーガ 二十番から二十二番

綾部(以降あ):ドビュッシーのような感じがしなくもないですね。過去の古典のいいところが聴こえてくるようです。かなり長いですが。

若木(以降わ):さっき言おうとしていた話はなんでしたっけ?

あ:音楽を聴くという、基本スタンスの話でしたかね。概念的に理解することに意味があることと、音楽のように、自分で感じるか感じないかの世界とではだいぶ違うんですね。僕が学生時代の話で言うと、高校生くらいの時って将来のこととか、じっくり物事を考えるような時期なんですけど、当時ドイツの哲学史を読んでいる中で、ニーチェが流行っていたんで、友達と話をしていたんだけど、ずーっと噛み合わないまま、もの別れに終わったことがあるんです。友人が言うには、読書も何もかもがどう感じるかだ、みたいなことを言っていたんですが、哲学のように概念的なものが理解できないと、意味がほとんどないっていうことと、音楽のようにどちらかというと、どう感じるかに終始するものと分けて考えた方がいいと思うんです。

 僕は言語が介在するものと、ファインアートとか、音楽というものはどうしても相容れないものというふうに分ける傾向があって、もちろん音楽や美術も楽しみ方のコツというの絶対あって、特にヨーロッパのクラッシックの古典の絵画や音楽というのはものすごくロジックで成り立っているので、そういうカラクリや、楽しみ方のコツは絶対に知っておいた方がいいと思っているからこの番組をやっているんです。とはいえ、いくら言っても感じないものは感じないんです。僕らは若い頃に出会い頭に叩かれたように「なんだこれは」というものに出会っている経験があって、そういうことが出発点になっていたりするので、その辺は共有したり反発したりすることがあるんですよね。若木さんとは同じ年齢で時代的には共通体験が多いんですが、どう感じるかは人それぞれですよね。僕は「こうやって聴くとこういう面白いことがあるよ」ってこの番組で伝えられればと思っていますが、実際どこまで通じるのかは難しいところですよね。

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