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マニア度の高いノート始まる!!!

 綾部さんというレコードコレクターに出会ってもう10年くらい経つが、いつ会っても彼の熱量はハンパなく高い。実際の体温も普通の人よりだいぶ高いらしい。冬でも半袖でいるのをよく目にする。

 綾部さんとの出会いは、その当時作り始めていた僕の祖父のオマージュ映画、「星影のワルツ」のサントラにする音楽を探して、クラッシックレコード専門店という所に初めて入ったとき、そこの常連が綾部さんだった。今ではふたりで、渋谷のラジオで毎週水曜日の18時から30分間、「レコードの谷」という番組をやっている。

 番組を聴いていただければ、綾部徹之進さんのレコードに対する熱量はすぐにわかってもらえると思う。音楽番組だからなるべく曲をかけたい。しかし、そのセレクトに込めた綾部さんの思いは番組中では伝えきれない。そこでこのnoteの活用に達したのだ。番組で曲がかかっている間の裏トークをこのノートで紹介していく。

 綾部さんはこの毎週の番組のために下準備のノートを書いてくる。そのノートがまたなんとも性格を表しているというか、ちゃんとしているのだ。勿論取り上げている内容もレアだし、データとしても正確だ。我々はこのマニア度に感謝すべきだと思う。このノートもマガジン講読してくれた方は見ることができる。そして番組でかけている音源のレコードジャケも趣向を凝らして、ボブファンテーションのヒロミちゃんにイラスト化してもらっている。ある種のアナログ的簡略化複製技術といってもいい。

 以下は無料特別版として普段はあまり聞くことのない本人のレコードコレクターとしての略歴を語ってもらった。かなりの長さだけど、今後マガジンを購読してくれた方達は幾度となくこの略歴に立ち戻ってくれるだろうと予想する。「綾部さんってどんな人だっけ」と。


綾部徹之進インタビュー by 若木信吾

若木(以下わ):まずは「レコードの谷」っていうテーマからですね。綾部さんがレコード・コレクターになって、何歳くらいからレコードを集めてたか、いつごろからクラシック音楽のレコード・コレクションを始めたか。

綾部(以下あ):ぼくの年齢は若木さんと同じだけど、僕の場合はもともと美術系に進んでいたこともあって、中学生の時についた絵の先生ですね、それは当時レコードがCDに切り替わる時期だった。

:それは大体何年くらいですか?

:お互い1970年ぐらいの生まれなんで、80年代の半ばくらいですよね。それこそ洋楽とかもテレビやラジオで、AMラジオでも洋楽がバンバンかかっている時代で。ふと思い出すのは、例えばスティービー・ワンダーの『パートタイム・ラバー』とか、僕がすごく好きだったダイア・ストレイツの『マネー・フォー・ナッシング』とか。

:シンディ・ローパーとかね。

:そうですね。そういう世代で、ただ僕の絵の先生はひとまわりちょうど歳が上で、当時その先生たちの世代が、ビートルズとかローリング・ストーンズを聴いていたんだけど、特に美術系ではローリング・ストーンズやビートルズに影響を与えたディランを、美術系の人たちが聴いていた伝統があって。特に美術系の予備校。

:当時はレコードしかなかったんですよね。

:そうです。だからディランのレコードでいうと、CBSソニーから出ている日本盤で、片桐ユズルっていう有名な、当時は高校の英語教師だったと思う、今はどこかの大学の名誉教授になっている人が対訳を書いていた。

:へー、すごいなあ。

:やっぱりディランの格が上がると同時に、それに関わっている人たちの格も上がっていった感じなんですけど。それでディランのレコードを。ちょうど英語の勉強にもなるし、毎週通っていた油彩(ファインアート)がメインで、ただ絵を習いに行っていたのか、音楽を教えてもらいに行っていたのかわからない。

:ちなみに僕は、英語の勉強はビートルズでしたね。

:若木さんは結構、「性格が素直な優しい人」ですけど、僕はゆがんでいるんで。

:いやいや。

:みんながビートルズでやるっていうと、僕はビートルズにはしたくないっていう。

:わかります。自分で選ぶ大事さの何かをね。

:そうなんですよ。だからなるべく価値のあるオリジンのものを、追求したいっていうのは中学生ぐらいからだんだん芽生えていって。例えばロックも、みんなプレスリーっていうけど、僕に言わせればプレスリーは二番煎じで、オリジナルはチャック・ベリーだ、とか。ビートルズやストーンズが流行っているけど、オリジンはディランの影響が大きいのも含めて、なるべくいいものでっていうので。10代の頃って虚栄心があるじゃないですか、難しいものに挑戦しようという。そういうのもあって、ディランの影響を受けて。運が良かったのは、ボブ・ディランの日本盤で、英語の歌詞と日本語の片桐ユズル訳のレコードをその恩師からもらったんですよ。かなりまとめてね。何十枚も。

:へー。


アメリカ・コロンビアのオリジナル盤

:ちょうど80年代の後半ぐらいって、バブルの全盛期で、僕は埼玉県の今は浦和市ですけど、もともと川口市に育っていて、埼玉県民にとっての夢のエリアっていうのが、池袋なんですよ。渋谷でも新宿でもなくて、池袋。その池袋のちょうど西武が黄金時代で、必ず毎週のように、池袋西武に用もなく行くっていう。

:(笑)わかります、行けばいろんなものがありましたからね。

:ただ西武の横に、大人向けのエリアのパルコがあって、中高生にするとちょっと背伸びした存在で、インポートのCDショップとか、レコードショップみたいなのがあった。当時は円高で、アメリカから傷だらけなんだけど、全部10ドル20ドルぐらいのレコードをそのまま日本で売るみたいなことをやっていて。そこでボブ・ディランのアメリカのオリジナル盤っていうのに、初めて接するんですよね。

 まず、たぶん若木さんもピンとくると思うんだけど、日本盤のCBSソニーのジャケットが目に焼き付いている前提で、アメリカ・コロンビアのオリジナル盤のジャケットを見ると、写真のクリアさとか、出来の良さに最初圧倒される。中が傷だらけでも、こんなにディランの写真がきれいに写っているなら、ほしいなと思って。当時2~3千円ですから買うじゃないですか。

:うん。

:最初はきれいな美しいオリジナル盤のジャケットを眺めていたんだけど、そのうち傷だらけの盤をかけてみると、これがまた傷はあるんだけど、音の鮮度とか、純度があり得ないくらい良くて。こんなに違うんだって。全く同じレコードの同じ音源ですよ。なんだけど、やっぱりアメリカ・コロンビアの音は、すさまじいリアリティで。これはアメリカ・コロンビアの方で集めないとだめだなっていう風に。

:そのもらったコレクションを、入れ替えていくわけですね。

:そうなんですよ。当時はインターネットもなかったんで、それこそレコードマップとか、知り合いのコレクターのお兄さんとかに聞いて。どこで買ったらそういうのが買えるのかっていうのを、必死に。やっぱりその必死さが大事です。

:そうですよね。

:必死に探すことによって、より濃密になっていくんです。

:CDへの入れ替えの時代だったじゃないですか。CDにいかずに、レコードにとどまったのはどうしてなんですか?

:当時ミニコンポを買って、僕が始めた頃は、ミニコンポのちょうどメインがCDになって、レコードプレーヤーがオプションになってる時代なんだけど、例えばディランだったら、初期の代表盤を、まず恩師からもらったCBSソニーの日本盤、もう1つは傷だらけだけどアメリカの60年代当時のオリジナル盤、それから同じレコードをCDでも買って3種類を比べたんですよ。そうするとはるかにやっぱり、アメリカのオリジナルのレコードの方が音がいい。

:おお!


僕はコレクター向きなんで、周りにコレクター仲間ができるんですよ

:さっきも言ったように、僕はひねくれ者だから。世界市場は、ちょうどその80年代はCDの方が音がよくて。レコードはあたたかみがあるけど、CDの方にみんな移行しようとするプロパガンダでいっぱいだった時代。僕はレコードの方が音がいいから、独自の道でオリジナル盤を集めようと。だからディランだったら、アメリカ・コロンビアの、なるべく初期のレコードが一番音が濃密でクリアなんで、それを集めようっていう。順番に集めて、そろってももっときれいな盤があったら買い替えて、っていう風に、どんどん濃密化していく。

:買い替えるっていうのは、売るんですか? 前の盤を。

:そこがコレクター向きかどうかの差で、僕はコレクター向きなんで、小さい頃から何か集めていると、周りにコレクター仲間ができるんですよ。それは望んでできるっていうよりは、集めていると、周りの友達が真似し始めるんです。結構小さい頃から、それこそウルトラマン消しゴムとか、仮面ライダーカードとかも、そういう時代からそういう傾向が強くて。当時はそれがすごく嫌で、すぐ友達が真似し始めるからイライラしていたんだけど、中学生くらいになると、結構あざとくなって、状態の悪い盤ときれいな盤を重複して持ったら、状態の悪いやつは友達に譲ることにした。そしてそのお金でまた買う。それを繰り返して、今お互い47、48歳まで来ちゃいましたっていう感じですよね。

:(笑)すごいですね。

:15、16歳ぐらいから、もうすぐ48歳になりますけど、三十何年間ずっと同じサイクルで回っているんですよ。

:ディランから音楽の方向性はどうやって変わっていったんですか?

:ちょうどよかったのは、80年代って、CDにどんどん切り替わっていくんですよね。CD化になっているものもあるし、なってないものも多くて、どんどん有名な60年代ロックがCD化されていく時代に、ぴったり自分がやり始める時代と重なったんですよ。それがラッキー。

:値段が下がっていったんですか?

:値段が下がるっていうよりも、当時はCDがメインなんで、初めて聴くものに関しては、僕もCDから買い始めたんですね。

:おー、そうなんですね。

:それで60年代ロックがCDになったりとか、当時は気合の入った評論家が多かったんです。例えば「プログレッシブ・ロックのキング・クリムゾンがこれからCD化されます」って時に、その専門家の人が『クリムゾンキングの宮殿』っていうレコードが出たことによってロックの歴史が変わったって言った。1969年にずっとビートルズの『アビーロード』が全英でずっとチャート1位だった、たぶん10月だったと思うけど、いきなり『アビーロード』が2位になるんですよ。1位が『クリムゾン・キングの宮殿』で、そのレコードの存在によってプログレッシブ・ロックっていうジャンルができるぐらいに特別で、そこから新しい時代が始まるっていうんで、これは聴いてみなきゃいけないと。

 それで初CD化になるっていうんで、当時3200円だったCDを買って。そういう中から「あー、これは失敗だったな」とか、いいやつは繰り返し聴くし、気に入らないのはもう二度と聴かないしっていうので、だんだん濃密なクレジットとかも、自分なりに読み取れるようになってきた。こういう風にコメントが書いてあるのは自分には合いそうだなとか、一般向けには受けそうだけど、こういうコメントのは避けた方がいいなとか。だんだん経験則的に分かってくるようになってきた。それでいくつかディランを筆頭に、60年代ロックでいうと、最も熱狂したのがドアーズ、いわゆるサイケと呼ばれている時代のロックバンド。

 当時はドアーズとか、ベルベットアンダーグラウンドとか、それから今の器楽のベースになっているキング・クリムゾンとか。それからディランと。だいたいその辺がメインで。そればっかり聴いている感じでした。

 それで高校から大学に入って、日大芸術学部なんで、音楽もかなりマニアックにやっている友達もできた。そういう人たちといつも聴いたり、話したりしながら、より濃密度を増していったという感じ。

:当時はプレーヤーは何を使っていたんですか?

:その時はね、美術の恩師からもういらなくなったものを(その恩師は早々とCDに切り替えたんですよ)。僕の方がむしろレコードの方がいいなっていうのがどこかにあった。さっきの話に戻ると、例えばクリムゾンのファーストがCDで買ってよかったら、よしこれはレコードを買おうと思って、レコードを買う。そういう感じですよ、最初はね。CDを買ってこれはハズレだったなというのはレコードは買わない。CDを買ってよかったやつは、レコードのなるべくいい音で聴きたいので、オリジナル盤を。当時は新宿の裏通りにいっぱいあった。新宿から大久保の間に20軒くらいあって、はしごしていましたね。

:すごい。

:そういう形で深めていった。

:で、プレーヤーは何を使っていたんですか?(笑)


僕は結構見た目も重視で、機能美っていうのがあると思っているんです

:そうそう、プレーヤーは、恩師からもらった「マイクロ」っていう一応日本のレコードプレーヤーのブランドの中ではすごい王道のマイクロのプレーヤーを使っていたんだけど、だんだん音質やオーディオにもこだわるようになった。大学生の時に親が家を建てたこともあって、自分のオーディオルームが作れるっていうんで、必死にNHKでバイトして、お金を貯めて、それでちゃんとしたオーディオを買ったんですよね。

 だから最初に使っていたレコードプレーヤーはマイクロのダイレクトドライブっていう日本でよく作られているタイプのものだったんだけど、大学の二回生の時に自分のオーディオルームを持つようになると同時に、全部オーディオを買い替えて、そこで初めて大枚はたいて、バイト代で買ったのがLINN(リン)のLP12っていう、今でいうと伝説のプレーヤーです。当時新宿にあるダイナミックオーディオで買った。僕は結構見た目も重視で、機能美っていうのがあると思っているんです。何軒も店をまわったんだけど、自分のこづかいで買えるのがなかなかなくて。それで新宿のダイナミックオーディオに友達と行った時に、ちょうど入ってきたばかりで、箱から出しているのがあって、「これはいいプレーヤーだよ。安いけどね」って。それが今話題になっているLINNのLP12で、まだみんなが知らなかった時代なんですよね。ずいぶんきれいな回り方をしたんで、そのターンテーブルに惚れ込んで。当時で10万円以上したから豪華な買い物。12~13万円くらい。

:すごい。プレイヤーだけでその値段って結構いい値段ですよね。

:そう。でもそのあとね、十数年使って売った時には三倍以上。

:まじっすか(笑)

:そのころLINNのLP12の大ブームが起きて。今ね、LINNのLP12ってフルスペックだと100万円超えますよね。

:まじっすか。

:僕が使っていたのはそれの、初期型のオリジナル版でした。そのLP12をメインに使って。あとはレコードの再生って、一般的にあまり言われないんだけど、カートリッジがものすごい重要なんです。レコードプレーヤーっていうのはターンテーブルでそれにアームが付いていて、その先のカートリッジで溝の信号を拾うんです。そのカートリッジのところを、どういうものを使うかっていうのを当時はいろいろ試行錯誤した。当時はまだオーディオに関しては、経済的にも学生ですから、アメリカ型のいわゆるMM方式っていう、そのまま直につないで音の出るようなタイプのやつにした。それでもかなりいい音で鳴っていたっていう風に思っているんです。

:それはどこのだったんですか?

:それはPICKERING(ピカリング)っていう、アメリカでいうと、MMカートリッジっていう伝統がアメリカにはあって、一番上のグレードがSHURE(シュア)で、二番目はEMPIRE(エンパイア)で、一番安いのがピカリングなんだけど、音質は費用対効果じゃないけど、ピカリングのカートリッジはかなりクオリティが高いと思っている。今でも安いとつい買ってしまうんです。たぶんスペアが20個くらいあります。

:ええっ。すごい。

:誰かがオーディオを始めると、最初に自分が使ったやつと同じやつを提供してっていう感じです。それで十数年、それこそロシア盤のクラシックに目覚めた当時も、それを使っていたわけです。

:そうなんですね。ちなみにロシア盤に目覚めたのはどういう出会いだったんですか。


仲間同士では「あたりをとる」っていうんです

:若木さんは同じ世代だから分かると思いますけど、僕らはアメリカ音楽、厳密にいうとアフロアメリカンっていうブルース、黒人音楽を中心としたものをメインに聴いているじゃないですか。そういう流れでいうと、

:メインで聴いているっていうわけではないですけど(笑)

:でもHIPHOPもその流れをくんでいるでしょう?

:もちろん。

:僕は若木さんのように、感覚的に聴くっていうよりは、徹底的にルーツを体系的に調べたくなるコレクター気質なんです。

:それは何で調べるんですか? 当時、インターネットがない時代に。

:80年代のアイドルグループの中で、すごく好きだったグループに、A-haっていうノルウェー(北欧)のグループがいて、そのA-haのリーダーの人がいろいろ知的なコメントを書いているのを見た時に、自分たちは何の影響を受けて音楽を始めたのかっていうものの中に、ドアーズ が入っていたんですよ。それでドアーズを聴いてみようと思ったんです。そういう動機ですよ。

当時は音楽雑誌も素人から玄人向けのもかなりいろいろ出ていて、そういうのを読むと、自分たちはこの人の影響を受けている、例えばローリング・ストーンズだったら、「ローリング・ストーンズ」っていうグループの名前ってもともとマディ・ウォーターズっていう黒人のグループの曲の名前から取っていますよね。そしたらマディ・ウォーターズを聴かなきゃいけない。マディ・ウォーターズを調べると、同じ時代にジョン・リー・フッカーとかライトニン・ホプキンスがいる。でもそれらの元のベースは、ロバート・ジョンソンからきている。

 他方で、ボブ・ディランもロバート・ジョンソンをリスペクトしているんですよね。っていうことは、ロバート・ジョンソンを聴かざるを得ないじゃないですか。っていう風に、当時は、書籍とかを調べると、必ずそのルーツが出ている。

:じゃあ雑誌とかだけじゃなくて、音楽本も読んでいたっていうことですか?

:そう。大事なのは、音楽本を読んで、自分で実際に買って聴いてみて、そこに書いてある通りかどうかっていうのを、自分なりに考えて、自分の考えを総体化していくっていうのが、すごく大事です。

:すごい。

:この人のコメントはおかしいと思ったら、その人のコメントは無視できるでしょ。逆にいうと、すごくいいコメントを書いている評論家がいて、ほかのところでその人が紹介しているものがあったら、それは自分に合うはずじゃないですか。そういうあたりのとり方が、今の時代とちょっと違うかなと。

:信憑性がないですね、最近は。

あ:そう。だから、どっちもそうなの。要するに、批評するほうもそうだし、オーディエンスのほう、愛好家としても、感度が研ぎ澄まされていくでしょう。それで、仲間同士では「あたりをとる」っていうけど、これはよさそうだなとか、これは自分に合いそうだなとか、そういうねらいのつけ方も、精度が上がっていくんですよね。

 僕はやっぱり、いろいろ聴いてルーツをさかのぼった時に、王道のものは必ず聴く価値があると思っているんです。そういう中で、ブルースの歌を聴く時に、ブルース音階の音楽、ブルースベースの音楽を聴く。ロックだってブルースのルーツの先にあるし。そういう中で、ある記事を読んだら、ジャズもブルースだし、ロックもブルースだし、全部ブルースから派生しているって。そうしてモダンジャズに興味を持っていくっていう感じですよね。

:そこからジャズに行くんですね。

:そうです。だけど当時は、少し上のお兄さんとか、ひとまわり上の絵の先生とかから聞いて、「モダンジャズを聴くなら、綾部君だったら、ジョン・コルトレーンみたいなのが合っているんじゃない」とか、サックスがいいんじゃないとか。それでジョン・コルトレーンを聴くと、同じようなパターンで、専門誌とかを読み漁って、自分で聴いてみて、合うものを見つけて。

当時僕はモダンジャズに関しては、あるレーベルにものすごく心酔していて。それがブルー・ノート・レーベル。人気があるのはプレステージっていうレーベルが、人気盤が多いんだけど、マニアが喜ぶポイントはブルーノートが圧倒的で。僕はブルーノート自体にものすごく惚れ込んで、ジャケットデザインとか、ソフトの内容とか。当時は「ブルーノ—ター」って呼ばれるくらい(笑)。

:(笑)

:バイトしたお金は全部、ブルーノートのオリジナル盤にお金を使うっていう。

:ブルーノートのオリジナル盤っていうと、当時でも相当前のものじゃないですか。

:そうですね。

:50年代とかですよね。

:そうですね。50年代後半が一番の黄金時代。57年から58年がビンテージっていわれている、一番いい時代。

:それを探すのはなかなか大変だったでしょう。

:でもね、繰り返しになるけど、当時はインターネットみたいなのがなかったんで、新宿に2軒、渋谷に1軒、すごい高価な特殊盤を扱う専門店があったんですよ。高かったんですけど、ちょっと傷があったりとか、ジャケットに難があったりとかして、とりあえず聴いてみたくて、どうだろうな、当時でいっても2~3万円くらいはしたかな。

:それはなかなかお金がかかる趣味ですね。

:アルバイトしても、一枚買うのに一週間分が飛んでしまうくらい。ただ、ちょうど大学生の時で、学校に3カ月行っていない時もあったんです。NHKの社員より、NHKアートで働いていたので、そういう時代に月のバイト代もサラリーマン以上にもらっていた。時間的にそれぐらい働いていたんで、そのお金をつぎ込んだ。しかも大学生なんで、周りの後輩とかが、同じ趣味を始めると、また同じ方式で売って。

:(笑)

:売ったお金でまた買って、というのを繰り返すんです。

:ロシア・ピアニズムにいったのは、いつぐらいですか。


ロシア盤との出会い

:基本的に、アフロアメリカンのブルース音階の音楽っていうのを、自分なりにある程度やり尽くした感があった。その中で、やっぱり自分はピアノが好きだなっていうことがよく分かった。そのピアノが好きな中にも、ジャズのちょうど、ジャズってクラシックジャズとモダンジャズと、前期・後期みたいに分かれるんだけど、その橋渡しをしたピアニストの人で、ものすごくシンパシーを感じる人に20歳の頃に出会った。

 その人ほど、音楽的にも演奏スタイルも、自分の理想に近い人はいないっていう境地に辿り着いたんです。それでこんどは上から目線で、クラシックもやってみようかなと思った。

:それは誰だったんですか?

:アート・テイタムです。だからアート・テイタムの音源は全部コンプリートしていているし、主要なものも全部SPで持っていた。周りにクラシック音楽をやっている人とか、レコードを聴いている人もいたけど、僕はどっちかっていうと、完全にアンチ・クラシックだった。クラシック音楽もあんまり好きじゃないし、クラシックしか聴かないやつはもっと嫌いで、いつもいじめる対象にしてるっていう感じだったんですよね。ところが、ミイラとりがミイラに…。

:それは何て言っていじめていたんですか?(笑)

:いやいや(笑)。要するに、どうしても、クラシック音楽っていうのは再現音楽だから、例えベートーヴェンのピアノソナタのいい演奏があっても、それは作品がいいのであって、しかもジャズとかのインプロヴィゼーションとかを聴くと…。

:完全にプレイヤー重視ですね。

:そうそう。当時は演奏家主体の聴き方をしていて、ジャズとかだったら必ずアドリブが入った。そのアドリブを例えば、コルトレーンのアドリブとパーカーのアドリブを比べるとか、そういう聴き方だから、そういうのからするとクラッシックは完全に「ステロタイプの腰抜けが聴く音楽」っていう風な感じで。まあ大体、親がクラシックをやっていて、なまっちょろくて、体も弱いみたいな。僕は当時、一日腕立て千回とかしていましたから(笑)。

:(笑)

:そういう感覚からいうと、いじめたくなるんですよね。そういうところでずっと20代は推移していたんだけど、きっかけがあって、20代の後半くらいからクラシックを聴くように。

:それはどういうきっかけですか?


明日をも知れない状況のなかコンサートをやっていた

:結局、アフロアメリカンの黒人の音楽がすごく濃厚なのは、アメリカの白人の中で、ものすごく差別されている黒人が生きるために作り出したからなんです。それがブルース。そうすると、西ヨーロッパを中心とした知性主義のようなクラシック音楽は、私の音楽的ビジョンにあまり響かなかったんだけど、どうやら第二次大戦中に、ナチスが戦況の不利な状態、要するに45年までどんどんひどい状態になっていくなかで、ナチスがずっと、爆弾が投下されているようなところも全部ドキュメントでコンサートをやっているのが残っていると知ったんですね。それは僕がアフロアメリカンに求めた黒人の音楽のビジョンに重なるなって思ったんですよ。明日をも知れない状況のなかコンサートをやっていた。ナチスのほうとしては、国の戦況が悪いことを隠すために、我がドイツ軍は勝ち進んでいますよって、プロパガンダするためにコンサートをやっていたんだけど。そのすさまじい状況のなか、夜やると電気がついて狙われるんで、昼間やっていたりしていたようなものが、全部録音されて残っているんですよ。なぜ残っているかというと、ドイツは軍事用の技術がすごく高くて、マグネットフォンという、本当に紙に磁気を貼っているだけのような、原始的だけど音質はすごくいい音源が今も存在して聴けるっていうのがわかったんです。それを聴き始めたら、ミイラとりがミイラになったって感じですね。

:マグネットフォン。それは今でも手に入るものなんですか?

:マグネットフォンが手に入るっていうよりは、そのマグネットフォンで録っていたんですね。

:ああ、それがソフトになったと。

:そうなんですよ。いわゆるロックとかジャズとかで徹底的にオリジナル思考になっている、僕のコレクター気質からすると…。

:要するにプレイヤー気質ですよね。プレイヤーが重要という。

:それもそうだし、音質のオリジナル盤にすごくこだわる、初期盤にこだわる気質からすると、当時のナチスの戦中音源を、今どんな形で、一番いい音で聴くにはどんなことができるのかを調べた時に、当時はジャンクだと思っていたロシア盤が全部オリジナル盤(最初期盤)だということが分かったんですよね。

 当時ロシア盤というと、一般の市場には出てこないジャンクレーベルで、そのロシアになんでそんな古い戦中音源があるのかを調べていたら、いわゆる戦争が終わって、北の方からロシアが入って、南の方からアメリカが入っていったという感じなんだけど、ロシアから来た軍が、全部録音したテープも機材ごと接収という名のもとに持って帰って、しかもそれを使って自分たちの国でプレスしていたというのを聞いて、より心がくすぐられて。これはぜひロシア盤で聴きたいと思うようになって。

 忘れもしない、まだテレビ局のサラリーマン時代の時に、レコードマップ買ってきて、仕事の合間に北は北海道から南は沖縄まで、徹底的にレコードマップで会社の電話で電話しまくった(笑)。

:(笑)

:それでロシア盤が定期的に入ってくるお店を、日本全国探したんです。

:あったんですね。

:でもね、日本全国100件以上かけたけど、定期的にロシア盤が入ってくるのは全国に4軒くらいしかなかった。

:それでも4軒はあったんですね。

:そう。1軒は北海道。関東に2軒。あと九州にあったけど、北海道の人とはそのあとやりとりを始めるんですけど、九州のほうは思ったほど入荷がなかった。あとは関東にある2軒のお店に徹底的に入り浸った。

:それは東京ですか?

:そうです。神保町や御茶ノ水界隈にあるのが1軒と、あとは今はもうないんですけど、西荻窪に。その2軒を週2くらいでまわって。特に御茶ノ水のほうはオフィスから近かったんで、会社の合間に抜けて、戻ったりとか。


誰も知らないような、すごいピアニストとかヴァイオリニストがいる!

:(笑)。そういうほしいものがあると、もう何をおいてでも追いかけるっていうのは、ちょっとわかりますね。

:そうなんですよ。それで当時は、フルトヴェングラーというドイツの象徴的なカリスマの指揮者がいて、その人を中心に、第二次大戦中の音源がロシアの中でレコード化されているのを探していた。でも5枚から10枚に満たないぐらいなんですよ。それこそマニアックにいうと、首都のモスクワから、元首都だったレニングラード、旧サンクトペテルブルクのあたりのいろいろなプレスを買い集めてはいたけど、この熱量ですから、一年も経てばほぼ集まるっていう感じで。そんな週に2回も行って、そのフルトヴェングラーの戦中の音源が、週2回行ったところで新入荷があるわけないじゃない。

 だけど当時は、ロシア盤も初めて見るし、真新しいし、そんな風にしつこく顔を出しているうちに、店主のオーナーから「そんなにロシア盤に興味があるなら、ロシアはピアノとかヴァイオリンの宝庫だから、まだみんな誰も知らないような、すごいピアニストとかヴァイオリニストがいるから、綾部君のような聴き方で、クラシックを聴いている人は少ないから、ぜひお店の在庫を片っ端から聴いて、意見を聴かせてくれ」って言われて。それで週2ペースでピアノとかヴァイオリンのレコードを聴いているうちに、「あ、これは!」というのに出会ってしまった感じ。

:それが、ゴリデンヴェイゼルですか。

:ピアニストでいうと、ゴリデンヴェイゼルと、フェインベルクのバッハと、ネイガウスの一部のもの。ヴァイオリンでいうと、ユリアン・シトコヴェツキー。この4人。「この4人だ」と断言していいぐらい。それまでも一応、クラシック音楽の名盤は一通りは聴いているんですよ。

 クラシック音楽のレコードの市場でいうと、イギリスとドイツなんで、イギリスとドイツのメジャーレーベル。イギリスでいえばHMV、DECCAだし、ドイツだとグラモフォンとか。そのあたりのピアノやヴァイオリンの名盤は聴いているけど、先ほど申し上げたように、まあ腰抜けのふぬけの音楽で、本当にステロタイプで、自分がロックやジャズで熱狂したものに比べれば、ずいぶん音楽的に薄いっていう感じだった。そんな上から目線で、ロシアの演奏家を聴いたら、ちょっとこれは甘く見ていたなと目覚めて。そこから、よし本気でやろうと。

 特にヴァイオリンの音自体は、もともと自分はヴァイオリンの音が嫌いだと思っていたんだけど、シトコヴェツキーのヴァイオリンの音を聴いた時に、明らかに自分がヴァイオリンの楽器のイメージする範疇を超える音で鳴っていたんで、ああこれはちょっとヴァイオリンも本格的にやらなければならないなと。それで、本格的に海外に手を伸ばすようになったという感じですね。

:なるほど。



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若木信吾 写真家

子供の頃から写真を始めて、今ではプロのカメラマンとして雑誌や広告でお仕事させていただいてます。個人的な作品集づくりも。映画を撮ったり、本屋の経営もしてますが、どれも写真が軸にあってのことです。最近はラジオ番組も。毎月第4水曜日朝九時から渋谷のラジオで「レコードの谷」放送中。

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