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ハサミ片手に世界を舞台に。

こんにちは。ミラノ在住美容師の森田信一です。日本でしか美容師経験がなかった僕がどの様にしてパリコレや有名雑誌のヘアを担当できるようになったのか、経緯など海外で美容師をしていて思ったことを素直に伝えさせて頂きます。

言葉に慣れ始めて、ようやくスタート地点。

ミラノに引越してようやく一年以上が経ち仕事にも少しずつ慣れてきました。そこでようやくアシスタントからスタイリストとしてデビューさせてくれるということで、実際にお客さんを担当させてもらえることになりとても嬉しかったのを今でも覚えています。しかしその時の僕のイタリア語はわかるのがやっと、ちゃんと話せるまでにはまだ至っていませんでした。ところがイタリア人のお客さんは僕がまだ未熟であるにもかかわらず笑顔で接してくれました。僕も笑顔でお客さんに対して「Come facciamo oggi? 」カジュアルに「今日(カット)どうしようか?」と聞くとなんとお客さんは「Fai tu.」つまり「あなたの好きなようにして」と言ってきました。初めて担当してもらう外国人美容師である僕に対して彼女はなんとおまかせ希望という、なんて大胆というか勇気があるのか無謀なのか。何回も聞き返して本当におまかせでいいの?と確認。正直、好みを言ってくれた方が夕食作りやすいお母さんになったような気持ちでした。“なにやればいんだ?”と思いながら彼女の髪がクセ毛で多毛、肩ぐらいの長さということから僕が導き出した答えは、、、顎下ぐらいのボブ。クセ毛を活かしたいわゆる#外国人風ヘア。でも相手は本物の外国人(僕にとっては) 果たして髪をすいても大丈夫なのか、どうやって乾かしたらいいのか、スタイリング剤をつけてもいいのか。考え抜いた末、おまかせなので思い切って切っちゃいました。まずは行動。

髪質の違いによる変化。

良く外国人を見てるといい感じのパーマかかってるなーっと思う事がありました。がしかしそれはほぼ全員地毛つまりクセ毛だったのです。しかも人によってウエーブだったりカールだったりアフロだったり。

おまかせでカットさせてくれた子の髪をウエット(濡れた状態)でばっさりいきました。僕の中ではかなり長く残して切ったはずが乾かした瞬間、髪の長さが”ギュン!“と短くなったのです。僕は動揺を隠すのにやっとのところ。彼女の髪はクセ毛でしたが長いときは髪の重さでクセがあまり出ていませんでしたが、長さを短く切ったら、重力に逆らいクセ毛が全開でそのクセを発揮してしまったのです。後ろの毛だったのでせめて前の部分を前下がりにして長さをかなり残して切ることにしました。乾かしたあと彼女に長さを確認してもらい、その後毛量調整。これもクセ毛だったため時間がかかりましたがなんとかクリア。イタリアではクセ毛の人はクセを活かして整髪料などでスタイリングするかブロードライで真っ直ぐにまたはウェービーに伸ばすかに別れます。当然僕のブローの技術は未熟でしたが、なんとか綺麗に仕上げる事ができました。彼女はなんと大満足の様子でぼくもホッと一息でした。達成感

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カットだけではなくカラーも違う。

しばらくしてある日のお客さんのこと。一見金髪に見える彼女は地毛ではなくカラーによる金髪でした。根元が少し伸びていたので根元のリタッチをしたいとのことでしたが、メッシュでカラーして欲しいという注文でした。僕は金髪の女性はもともと金髪だとばかり思っていたので、ナチュラルな金髪のメッシュはどうやればいいのかわかりませんでした。ここは正直にできないと伝えざるを得ませんでした。まだまだ勉強不足

話は少し変わりますが、当時バイトでサロンに働きに来ていた韓国人の男性ジャーニー、彼はニューヨークで長年働いていた経験があり、さらにワシントンD.C.で自分の美容院を経営していた経歴のある凄腕ベテラン美容師。ヘルプでブローに入るも圧倒的な速さとスタイリング能力でみんなを圧倒。僕とは経験の差が歴然だ。その彼が金髪メッシュカラーを僕に見せてくれる日が訪れたのだ。願ってもみないチャンス!彼は僕にこう言った「This is how to do Highlights, alright!?」「こうやってハイライトするんだよ。オッケー?」と。当時僕はイタリア語意外にも英語も勉強していた。もちろんお約束の英語手帳。ジャーニー曰く金髪メッシュカラーのことをハイライトというらしい。そして彼が準備していたのはもの凄い枚数のアルミホイル。縦30cm x 横15cmくらいに切ったものを100枚ほど。まず髪を束に分け(ブロッキング)後頭部からすごい細かい毛束を取りアルミホイルをその毛束の下に置いてカラーを塗布。この一連の作業を全頭がホイルで埋め尽くされるまで行われる。ジャーニーは作業がすごく速く1時間もせずに終えた。その後放置時間がさらに40分ほど。経験者ですら最低2時間はかかるとても複雑な作業。僕は仕上がりを見てとても驚いた。”Wow!! Fantastic!!” ついうっかり出た外国人かぶれな僕のリアクション。そう、これが世の中のいわゆるパツキンの作り方だったのだ。そしてその需要はミラノだけでなく金髪に憧れる世界中にあることを知った。あのマリリン・モンローマドンナもそうであったように。

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松本さん、ジャーニーとの出会いが僕に与えた影響。

ようやく営業にも慣れてきました。最初に比べればある程度の対応能力はついた。だがオーナー松本さんやジャーニーとは経験と技術の差は未だ歴然だった。当時仕事だけでなく私生活まで全てお世話になっていた松本さんはイタリアでの経験が長く技術もイタリア流だと思える印象があった。そしてジャーニーはアメリカンスタイル。この2人と働いているうちに思ったことがある。“日本の技術は世界で通用する”と勝手に決めつけていたのだ。だがこれは日本人が勤勉で仕事に対して熱心努力家ということであって、日本の美容技術そのものは海外では通用しないことが意外に多くあるということ。カットが出来てもブローやカラーができなければ海外では働けない。シャンプーが上手くてサービスのいい接客だけでは限界がある。もっと世界を見て勉強する必要があることを知った。

ある日のこと、ジャーニーはミラノ滞在は彼にとって人生の夏休みであって、あくまで仕事はニューヨークでするつもりだったと。彼はニューヨークに戻ってしまうのだ。「I’ll be missing you guys but we can see each other when you come visit NY!! 」「寂しいけどNYに遊びに来ればまた会えるよ。」と。

決めた、今年の夏はNY行こう。

イタリアには社会人になっても夏休みがある。それも1か月ほど。個人差はあるがうちのお店は1か月。なんと今年の夏は松本さんと一緒にジャーニーに会いに1か月ニューヨーク滞在が決まった。すごい楽しみだった。ずっと憧れていたアメリカ、ニューヨーク。興奮のあまりに何も考えずに飛行機の往復チケットを取ってしまったのだ。

これが後にとんでもないことになることを僕はまだ知らなかった。

ではまた次回、ニューヨーク編

ちゃお!

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